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総本社皇大神宮(伊勢之神宮:伊勢神宮)
所在地(〒516-0023)三重県伊勢市五十鈴川上
系列社神宮系(一部)、神明社(宮)、天祖神社、皇大社、伊勢神社、五十鈴神社 他
同系神社なし
備考・皇大神宮の御神体は、三種の神器のひとつ、八咫鏡と伝えられる。
・伊勢神宮とは、皇大神宮(内宮)、豊受大神宮(外宮)他125社の別宮の総称となる。
・伊勢神宮は、日本の総氏神とされ、国内でも別格扱いとなっている。
・伊勢神宮の正式名称は「神宮」であり、「神宮」は本来、伊勢神宮を意味する。
伊勢系列基本神
[古事記名]天照大御神(アマテラスオオミカミ)
[日本書記名]天照大神(アマテラスオオミカミ)
[別名]大日靈貴尊(オオヒルメノムチ)

アマテラスは、皇室の祖神(皇祖神)の一つとされ、伊邪那岐命(イザナギ)の禊ぎから生じた三貴子(さんきし)の一つであり、とりわけ別格の扱いを受けている。また、伊勢の神宮においては、天照坐皇大御神(アマテラシマススメノオオカミ)と呼ばれ、これは神職が神前で唱えるときの敬称とされる。

その性質は、太陽を司る神とされ、高天原(たかあまはら)と呼ばれる天津神(あまつがみ)が住まう天上界を統べる立場にある。一部に、江戸時代以前には、アマテラスを男性神とする説もあったようだが、一般的には女性神とされている。神仏混淆の時代においては、大日如来と同一視されることもあり、また、孫神にあたる瓊瓊杵尊(ニニギ)が降臨を果たす際に、自身と思い祀るように託した八咫鏡が、伊勢の神宮におけるご神体とされている。
伊勢系列神社によくみる神さま
基本、アマテラスは別格の存在であるため、そこに代わる神の存在はあまり聞かない。それだけアマテラスの存在が孤高とも言える訳だが、配祀される神々は、地域の神を合祀するパターンを除いて、内宮と外宮の組み合わせから、アマテラスの食事形とも伝えられる豊受大神(トヨウケノオオカミ)が一緒に祀られることは多少なりとも存在する。

[関連神]豊受大神(トヨウケノオオカミ)
※[古事記名]豊宇気毘売神(トヨウケビメ)
※[日本書紀名]豊受媛神(トヨウケビメ)
※[別名]大物忌神(オオモノイミ)
詳細は、稲荷神社の豊受大神の項目参照。
伊勢系列神社のご利益
所願成就アマテラスは、太陽を司り、その光はこの世界全てを照らす正に、私たちの生活の根源を司る力を持っている。そのため、アマテラスの御神徳は、特定のものではなく、全方位的なものと考えられている。

国家安寧アマテラスは国土安寧の神とも伝えられている。それは、日本国の総氏神であるアマテラスの役割であり、また、他者利益が自身の幸福にフィードバックされるその考えを具象化したその存在にも意味する。

※ご利益に関しては、あくまで参考程度にお考え下さい。
伊勢系列神社拡大の歴史
伊勢系列社の総本社は、伊勢の神宮こと、皇大神宮(内宮)にある。そして、その象徴が「八咫鏡」であり、実は、「八咫鏡」は最初からここに奉祀されていた訳ではなく、幾つかの変遷を得て、この伊勢の地に至っている。そして、天武天皇による式年遷宮と斎宮制度の開始に、江戸時代における伊勢参りの流行。今の伊勢神宮には、こうした幾つかの変遷を経て、現在に至っている。
(1)三種の神器のひとつ、八咫鏡の登場
元々、八咫鏡は、石凝姥神(イシコリドメ)、別名、鏡作神(カガミツクリ)が、製作したもので、アマテラスが、天岩戸にお隠れになった際、そのアマテラスを岩戸より連れ出そうとその鏡を使ったことが最初の登場シーンとなる。その後、天孫降臨(天の神々が宮崎県の高千穂に降臨)の際、瓊瓊杵尊(ニニギ)が、アマテラスより三種の神器を授かり、この鏡をアマテラス自身と思い、祀りなさいとの神勅(ご命令)を授かったことから鏡が地上に降り立つことになる。これが、鏡=アマテラスとの認識に変化した瞬間でもある(ただし、この記述は、古事記だけのものとなる)。
(2)八咫鏡の変遷ー伊勢に祀られるまでの経緯
その後、鏡は、宮中に祀られていたのだが、その霊威の高さから、宮中での祭祀が困難となったため(理由は不明だが、当時、疫病の流行で、大勢の民が亡くなっており、その厄災を鎮めるために、その遷座が進められたとも言われる)、崇神天皇6年(紀元前92年)に、豊鍬入姫命(トヨスキイリビメ)に、その祭祀場所の選定を託されることになる(これが斎宮制度の始まりとも言われる)。

トヨスキイリビメは、その最適地を求め、地方各地を訪れ、大和の笠縫邑(かさぬいむら)に一時祀ったとするが、その笠縫邑の所在も諸説あり、明確な地は未だ判明していない。ちなみに、京都の籠神社(こもじんじゃ)は、その笠縫邑から次の祭祀場所として、移された与佐宮(よさのみや)とされ、一時、鏡が祀られた経緯から元伊勢(もといせ)を称している(籠神社の社家、海部(あまべ)氏は、現在、82代目を迎え、その家系図は、国宝にもなっている)。
(3)伊勢神宮の創建
そして、垂仁天皇の御代(紀元前19年〜紀元前10年)、なかなか鏡の祭祀場所が安定せず、その選定は、日本武尊(ヤマトタケル)の叔母にあたる倭姫命(ヤマトヒメ)に託されることとなった。ヤマトヒメは引き続き点々と最適地を追い求めて到達したのがこの伊勢であったという。この時、「この地がよろしい」との御神託が下りたとされ、ここに、伊勢、皇大神宮の起源を迎える。

この地が選ばれた諸説としては、当時の王都は奈良にあり、そこから東方にあたる、つまり太陽の昇る方向であったというものと、伊勢の鎮座する紀伊半島は当時の国状より最西南端にあたり(記紀には富士山が登場しないことから当時は西日本の世界観がベースとされる)、さらに、大西洋の彼方は常世の世界とも伝えられ、もっとも太陽の昇る常世の世界に近い場所であったという理由が大半を占める。
(4)式年遷宮の始まり
その後、天武天皇の御代(673年〜686年)、壬申の乱で勝利を掴んだ天武天皇は、その直前に、伊勢神宮の近くで勝利祈願のご祈願を遥拝したことから、以来、伊勢神宮を篤く奉祀していったと伝えられる。このため、天武天皇は、現代にも通ずる大きな祭祀制度を導入する。そのひとつが、神宮式年遷宮(20年に一度の社殿の立て替え)で、その理由は定かではないが、以降、持統天皇の治世に第1回目が行われ、2013年(平成25年)には、第62回目の式年遷宮が迎えられた。

そして、もうひとつが、斎宮制度というもので、天皇に代理として天皇の未婚の娘、姉妹、場合によって、孫女といった皇女が神宮に仕える制度が成立したのもこの時期とされる。これは、トヨスキイリビメが、鏡の祭祀場所を求めてその管理を任された状況と酷似しており、これを正式に代理制度として設けたものと考えられている。
(5)伊勢神宮の私幣禁断
桓武天皇の御代(781年〜806年)、伊勢神宮は最初の分岐点を迎える。それは、伊勢神宮が私幣禁断(天皇以外の奉幣禁止)の社に定められたことで、これは皇太子や皇族なども同様の許可がなければ奉幣できず、ここに皇祖を祀る伊勢神宮の神格化が強められたと言える。これは当時、律令制度が確立し、伊勢を含めた中央集権体制が図られたこととも無縁ではない。共産主義とも言えるほど、私財が厳格に制限された当時としては、神宮は一般の参拝を期せずとも運営できる体制にあったということが言える。
(6)伊勢神宮の私幣解放
しかし、律令制度が崩壊すると、中央集権的な財務体制が維持できなくなっていく。これは当時、朝廷が改革開放路線に着手し、三世一身の法、墾田永年私財法といった具合に私財の保持を認めていったことと無縁ではない。結果、荘園を代表とする貴族層が台頭し、これが後に武家勢力の誕生に繋がって行く。

このため、神宮は財政的に困窮していくことになり、鎌倉時代以降は、徐々にその門戸を上流階級を中心に解放していくことになる。それが、最終的に段階を経て、私たち一般庶民にも参拝が許される布石へと繋がっていく。しかも、鎌倉末期、元寇というモンゴル軍の襲来によって、神国思想が高揚を見せる時期があり、この時、亀山上皇が伊勢神宮へ参拝し、敵国降伏の祈願をしたと言われ、結果、神風が起こり、日本は守られたと考えられたことから(外宮に鎮座する風日祈宮がその神風を起こした神と伝えられる)、上流層への間ではより一層の崇敬を集めた。また、これに呼応するかのように、伊勢の外宮の神官、度会行忠(わたらいゆきただ)が、伊勢神道を提唱し、当時はどちらかと言えば、内宮より外宮の存在が際立っていた。
(7)伊勢神宮の暗黒時代
しかし、室町時代を迎えると、神宮は徐々に存亡の危機に立たされることになる。当時は、式年遷宮の費用調達を目的とした臨時課税「役夫工米(ヤクブクマイ)」を荘園や諸国の公領に負担させていたのだが、幕府が衰退し始めるとその徴収が困難となり、式年遷宮が滞り始めた。このため、20年に一度施行されるはずの式年遷宮は、およそ123年もの間、施行されず、社領も極度に荒廃していったものという。

しかし、そんな中、この苦境を打開するにあたり、最初にその理解を示したとされるのが織田信長公で、当時、外宮の神官からの要請に応じ、十分な資金提供を申し出たという。結局は、本能寺の変が起こったため、この支援が実を結ぶことはなかったが、最終的には、豊臣秀吉公が黄金250枚を寄進し、伊勢は式年遷宮の再開にこぎつけるようになる。
(8)伊勢の参宮ブーム到来へ
そんな神宮再興の兆しの影には、御師(おし)と呼ばれる神職者の活躍もあった。御師は、祈祷を行いながら、御祓大麻(神宮大麻)と暦を配って歩く人々で、全国の檀家(崇敬者)との間に師檀関係を結ぶ、まさしく神社コンダクター的な役割を果たした。このため、江戸時代には、「伊勢講(いせこう)」と呼ばれる参拝組織が全国各地で結成されていった(当時は、その参拝資金を用意するにも厳しいものがあり、こうして講を組織して、資金を互いに出し合いつつ、くじ引きで、選出された者が代表して伊勢に参拝していたと言われる)。

こうして迎えた神宮参拝の動きを、「お蔭参り」と呼び、一生に一度の大旅行、「日本人に生まれたおかげ、生かさせていただく有り難さを感謝する」という運動が起こり、数百万単位の集団参詣(これを「おかげ年」という)が、おおよそ60年周期で、数回にわたり起こった。特に、文政13年(1830年)に起こった参宮ブームは、大いなる盛り上がりを見せ、当時、およそ、3200万程度と推定される人口に対して、約4ヶ月で、427万6500人もの動員を達成したと言われる。

ただし、この参宮ブームには、他の誘因も幾つか指摘されている。一つが、当時、伊勢参宮ブームの中心が内宮よりも外宮にあったということ。これは、外宮が五穀豊穣や商売繁盛といった神さまが祀られていたこともあり、私幣に対して寛容であったことから、国民の大半を占める農民にも熱狂的な支持を得られやすかったことが上げられる。そして、二つには、当時、農民には厳しい移動制限が求められていたが、伊勢参拝のみ別格の扱いを受け、その証拠がなくとも、伊勢参りを所望すれば誰も邪魔立てはできず、唯一の国内旅行として容認されていた点などが上げられ、伊勢参拝は今でいう海外旅行のような羨望の的にあったというのも、更なる参拝者を招く契機になったと考えられている。
こうして、伊勢神宮は、今なお私たちの国を象徴とする神社となり、その主祭神たるアマテラスは、全国でもっとも崇敬される神として、知れ渡るようになっていった。そして、各地では、そんな伊勢を祀るようになり、それが、神明神社や天祖神社となって、各地で奉祀されていった。因に、東京都内で、東京のお伊勢さまと呼ばれ、特に有名なのが、千代田区の東京大神宮と港区の芝大神宮である。
伊勢神宮の主な構成社
  正宮2社
■ 【正宮】皇大神宮(こうたいじんぐう)/内宮:[主祭神]天照坐皇大御神
・伊勢神宮の中心地!
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■ 【正宮】豊受大神宮(とようけだいじんぐう)/外宮:[主祭神]豊受大御神
・内宮と双璧を成す正宮で、アマテラスの食事処を司る五穀豊穣、商売繁盛の社!
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  内宮別宮10社
■ 【内宮別宮一位】荒祭宮(あらまつりのみや):[主祭神]天照大神荒魂
・内宮の宮域内に鎮座し、正宮参拝後に参拝するのがよしとされる。
・内宮別宮10社中1位にあたり、瀧原竝宮と同じく天照大神荒魂を祀る。
・石段には通称「踏まぬ石」と呼ばれる4つ割れた箇所があり、通例、ここを避ける。
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■ 【内宮別宮第二位】月讀宮(つきよみのみや):[主祭神]月讀尊
・内宮の宮域外に鎮座し、内宮の宮域外に鎮座する中では最高位に位置する。
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■ 【内宮別宮第三位】月讀荒御魂宮(つきよみのあらみたまのみや):[主祭神]月讀尊荒御魂
・内宮の宮域外に鎮座し、月讀宮内に鎮座する。
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■ 【内宮別宮第四位】伊佐奈岐宮(いざなぎのみや):[主祭神]伊弉諾尊
・内宮の宮域外に鎮座し、月讀宮内に鎮座する。
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■ 【内宮別宮第五位】伊佐奈弥宮(いざなみのみや):[主祭神]伊弉冉尊
・内宮の宮域外に鎮座し、月讀宮内に鎮座する。
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■ 【内宮別宮第六位】瀧原宮(たきはらのみや):[主祭神]天照坐皇大御神御魂
・内宮の宮域外に鎮座し、瀧原宮内に鎮座する。
・別名、天照大神の遙宮と称され伊雑宮と同じく天照坐皇大御神御魂を祀る。
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■ 【内宮別宮第七位】瀧原竝宮(たきはらならびのみや):[主祭神]天照大神荒魂
・内宮の宮域外に鎮座し、瀧原宮内に鎮座する。
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■ 【内宮別宮第八位】伊雑宮(いざわのみや):[主祭神]天照坐皇大御神御魂
・内宮の宮域外に鎮座し、伊雑宮内に鎮座する。
・別名、天照大神の遙宮と称され瀧原宮と同じく天照坐皇大御神御魂を祀る。
・神饌用の米は当地の御神田で栽培される。
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■ 【内宮別宮第九位】風日祈宮(かざひのみや):[主祭神]級長津彦命・級長戸辺命
・内宮の宮域内に鎮座する。
・外宮の風宮と同じ御祭神を祀る。
・外宮の風宮と共に元寇で神風を起こしたとされ別宮に昇格した。
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■ 【内宮別宮第十位】倭姫宮(やまとひめのみや):[主祭神]倭姫命
・内宮の宮域外に鎮座する。
・唯一、近代(大正12年:1923年)に創建された神社。
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  外宮別宮4社
■ 【外宮別宮第一位】多賀宮(たかのみや):[主祭神]豊受大御神荒魂
・外宮の宮域内に鎮座する。
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■ 【外宮別宮第二位】土宮(つちのみや):[主祭神]大土乃御祖神
・外宮の宮域内に鎮座する。
・祭神の大土乃御祖神は外宮鎮座地の地主神とされる。
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■ 【外宮別宮第三位】月夜見宮(つきよみのみや):[主祭神]月読尊
・外宮の宮域外に鎮座する。
・当初は高河原神社に始まり、外宮摂社の首位とされ、別宮に昇格したという。
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■ 【外宮別宮第四位】風宮(かぜのみや):[主祭神]級長津彦命・級長戸辺命
・外宮の宮域内に鎮座する。
・外宮の風日祈宮と同じ御祭神を祀る。
・内宮の風日祈宮と共に元寇で神風を起こしたとされ別宮に昇格した。
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