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総本社日吉大社(山王権現)
所在地(〒520-0113)滋賀県大津市坂本5-1-1
神使
系列社日枝神社、日吉神社、山王神社 他
同系神社松尾神社
備考日吉大社の系列社は、全国に2,000社以上あるとされる。
日枝神社基本神
[代表名]大山咋神(オオヤマクイ)
[別名]山末之大主神(ヤマスエノオオヌシ)
[仏教名]山王権現(サンノウゴンゲン)

大山咋神は、素戔男尊(スサノオ)の御子神にあたる大年神(オオトシ)と天知迦流美豆比売(アメノチカルヅヒメ)との間の御子神となる。つまり、スサノオの孫神にあたり、古事記では、「大山咋神、亦名は山末之大主神、此の神は近淡海の日枝山に坐す。亦、葛野の松尾に坐す鳴鏑に成りませる神なり」とあり、それ以上の深いことは書かれていない。唯、どちらも日枝神社と松尾神社に関わる言われを残しており、それがオオヤマクイが祀られる根拠となっているが、元々は、土着の山岳信仰とオオヤマクイが習合したことが始まりと見られている。そして、その意味は、その名の通り、山の神を表すが、大山祇神(オオヤマツミ)のように、山全体を司るのではなく、この場合、日枝山(ひえのやま)、すなわち、比叡山(ひえいざん)の守護神となっている(元々は、その比叡山の東方に位置する八王子山の山岳信仰がベース)。また、比叡山が延暦寺を始めとした仏教の本山的な意味合いを強めるに従い、仏教、とりわけ天台宗の守護神とされ、その関係から江戸城、皇居の守護神と転じて行く。また、東京の山王日枝神社は、徳川家の氏神となった経緯もある。
日枝神社あるある神 日枝神社でよくみる神々
日枝神社の総本社である日吉大社は、東本宮と西本宮に別れ、東本宮に祀られているのが、オオヤマクイになるのだが、西本宮には、大己貴命(オオナムチ)が祀られており、ごく稀に、主祭神として、オオヤマクイではなく、オオナムチを勧請するケースもあり、その点は多少の注意が必要となる。

[関連神1]"大己貴命(オオナムチ)
大穴牟遅神・大穴持命(オオアナモチ)
オオナムチは、言わずと知れた大国主命(オオクニヌシ)の若い頃の呼び名で、オオクニヌシと全く同じ御神徳をもった神と考えてもよいだろう。基本、オオナムチは、国作りを通して、国の基盤を作り上げた神として有名で、そのため、殖産振興や国家安寧の神として名高い。とりわけ性質的には、大地を司る神とされ、その活躍の中から縁結びや医療の神としての人気も高い。特に、医療においては、初めて医学的知識を見せた神として名高く、病気平癒などのご利益のある神としても高い支持を受けている。
日枝神社のご利益
家内安全オオヤマクイは、地勢における守護神的な役割が強く、また、その名が、山に杭を打つイメージから、その地の所有権、転じて、地主神などと言われている。そのため、オオヤマクイには、大事な場を守る働きがあり、その最小単位と呼べる家庭・家族を守るという意味でも、家内安全に有効とされている。

殖産振興元々、オオヤマクイは、地方の自然神との融合の中から発せられた神であり、その根本には、松尾神社での由緒とも結びつく、丹波の国の自然神との見方がある。そして、そこには、大山咋神が、川を作り、湖水を海に流したおかげて、水が干上がり、農業に適した土壌を生んだと伝えられており、そのため、大山咋神には、山の神の性質のみならず、水の神や農業の神、そして、開拓の神の意味を持っている。そして、結果、丹波の国の産業(農業)の振興に至ったことから、殖産振興に強いとも言われている。

※ご利益に関しては、あくまで参考程度にお考え下さい。
日枝神社拡大の歴史
元は、地方神との習合から発展した日枝神社もその初期の段階で、2カ所で信仰が発生したことから、同じ大山咋神を信仰するも日枝神社と松尾神社では、その拡大ルートは大きく異なってくる。特に、日枝神社は、仏教との習合というより、仏教の後ろ盾を得ることによって、時代における重要なポストを担うことができたことが、その最大の特徴となっている。日枝神社拡大の主なポイントは、以下の通り。
(1)地方神から都の守護神への転身
元々は、八王子山(牛尾山)の磐座(いわくら)に始まり、いち地方神に過ぎなかったが、平安京の遷都によって、比叡山が、その鬼門の位置にあたり、必然的にその守護の役割を担うようになった。
(2)仏教の守護神化
仏教の伝来に伴い、比叡山に延暦寺が建立され、比叡山がその仏教的総本山の色合いを強めるに従って、日吉大社の地主神の性質が、京の守護、比叡山の守護のみならず、延暦寺の守護、とりわけ、天台宗の守護として迎え入れられるようになっていった。そして、仏教、とりわけ、天台宗が全国に伝搬するに従い、日枝神社も全国各地にその守護神として勧請されていった。
などが挙げられる。そのため、日枝神社のあるところ、仏教の寺院が隣接していることも多く、日枝神社周辺には、よく、地域の要所、仏教寺院などが確認されることがある。
崇神天皇7年
(668年)
日吉大社
(滋賀県)
現在の八王子山(牛尾山)の山頂に祀られていた磐座(いわくら)を軸に、2社の奥宮(牛尾神社・三宮神社)があり、東本宮がその牛尾神社の里宮として建立される。

天智天皇7年
(711年)
日吉大社
(滋賀県)
天智天皇が営んだ大津京(近江宮)を鎮護するため、大神神社より、大己貴神の御分霊を勧請し、奉祀するようになる。

延暦7年
(788年)
日吉大社
(滋賀県)
最澄が、比叡山に延暦寺を建立する。これにより比叡山の地主神として崇敬されていた日吉大社は、天台宗並びに、延暦寺の守護神として崇敬されるようになる。また、この頃から中国天台宗本山、天台山国清寺で祀られていた山王元弼真君にならい、山王権現と呼ばれるようになる。そして、天台宗の拡大に応じて、日吉社、日枝社が各地に勧請されるようになる。

延暦13年
(794年)
日吉大社
(滋賀県)
京が平安京に遷都するのを機に、比叡山の位置が、京の鬼門に位置することから、日吉大社は、鬼門除けの社として、中央からも崇敬されるようになり、日吉大社の属性が、単なる地方神から中央の守護神へと変化する。

天長7年
(830年)
仙波日枝神社
(埼玉県)
第53代淳和天皇(じゅんなてんのう)の勅命により、天台宗の僧侶、円仁(えんじん)が、現在の埼玉県川越市の場所に、無量寿寺(後の喜多院)を創建する。そして、その創建の際、喜多院の鎮守として、日吉大社からご分霊を勧請し、仙波日枝神社を建立する。

永治元年
(1141年)
日枝神社
(岐阜県)
飛騨国(現在の岐阜県高山市)国司で、三仏寺城城主であった平時輔が、狩りの最中に一匹の老狼を見つける。これを射ようと矢を放ったところ、狼の姿は見えず、矢が大杉に刺さっていたことから、これを大山咋神 の神徳として、老狼を救われたとして、日吉大社よりその御分霊を勧請し、ここに日枝神社を創建する。

養和元年
(1181年)
日枝神社
(岐阜県)
源義仲により三仏寺城は落城し、日枝神社も焼失してしまう。

文明10年
(1478年)
山王日枝神社
(東京都)
太田道灌が江戸城を築くにあたり、川越の仙波日枝神社よりご分霊を勧請し、山王日枝神社を建立する。

元亀2年
(1571年)
日吉大社
(滋賀県)
織田信長が、比叡山領を横領したことを機に対立し、信長による焼き討ちが行われ、日吉大社も焼失の憂き目にあう。その後、豊臣秀吉の尽力により、当社も再興を果たす。

天正18年
(1590年)
山王日枝神社
(東京都)
徳川家康公が江戸に移り、江戸城を居城とすると、山王日枝神社(永田町)をその守護神として、また、徳川の氏神として、篤く奉祀する。また、中央区の日本橋日枝神社は、この山王日枝神社の境外摂社となり、元々、神輿の巡幸における御旅所(おたびしょ:休憩所のようなもの)だったことに始まり、この頃より日本橋日枝神社として祀られるようになった。

慶長10年
(1605年)
日枝神社
(岐阜県)
現在の岐阜県高山市に高山城が築城され、金森長近がその城主として入城した際に、日枝神社をその高山城の守護神とするため、以前、三仏寺城は落城に伴い、焼失してしまった日枝神社を復興し、現在地に遷座させる。

承応3年
(1654年)
山王稲穂神社
(東京都)
山王日枝神社より御分霊を勧請し、山王稲穂神社が建立される。

寛文13年
(1673年)
日枝神社
(神奈川県)
吉田勘兵衛という材木商が、幕府から許可をもらい、吉田新田(よしだしんでん)と呼ばれる横浜発展の基礎を築いたとされる埋め立て地を作り上げていた。その完成における苦労は計り知れず、その完成を神仏の功徳とし、日枝神社を山王日枝神社(永田町)よりご分霊を勧請して創建した。

明治元年
(1868年)
山王日枝神社
(東京都)
山王日枝神社(永田町)が、准勅祭社に指定される。

大正元年
(1912年)
山王日枝神社
(東京都)
山王日枝神社(永田町)が、官幣大社に昇格し、皇居の守護神として正式に認められる。

このように、日枝神社は、何らかしたの守護の使命をもって祀られることが多いため、その社あるところに何らかしらの意義をみることが出来る非常に興味深い神社と言える。