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総本社金刀比羅宮
所在地(〒766-8501)香川県仲多度郡琴平町892-1
系列社金刀比羅宮、金刀比羅神社、琴平神社、金比羅神社 他
同系神社大神神社(おおみわじんじゃ)
備考・金刀比羅神社の系列社は、全国に2,000社以上あるとされる。
金刀比羅神社基本神
[代表名]大物主神(オオモノヌシ)
[別名]三輪明神(ミワミョウジン)

オオモノヌシは、大国主命(オオクニヌシ)の和魂(にきみたま)、いわゆる、穏やかな側面(この逆を荒魂という)を表しているとされ、オオクニヌシの半身的な存在として描かれている。古事記では、オオクニヌシと少彦名神(スクナビコナ)の国造りの下りで、スクナビコナが、その途中で、突然、常世の国に帰ってしまった際、一人途方に暮れていたオオクニヌシの前に、海の向こうから光り輝きながら現れた神として描かれている。そして、自身を御諸山(おもろやま:現在の奈良県桜井市の三輪山)に祀れば、国造りをともに手伝いましょうとの神託を与えたことから、オオモノヌシは、三輪山に祀られるようになったとされている。そのため、オオモノヌシを祀る根源的な地は、三輪山をご神体とする大神神社(おおみわじんじゃ)とされている。

ただ、オオモノヌシの存在は、非常に抽象的であり(あらゆるものに変化する)、実体性をあまり伴わないが、その存在価値は、非常に大きく、自身の娘、媛蹈鞴五十鈴媛命 (ヒメタタライスズヒメ)が、神武天皇(ジンムテンノウ)の妃神になることで、天津神と国津神の二つの系譜がまたひとつになるきっかけを導いたことで発揮されている。

そんなオオモノヌシの性質は、ひとつにオオクニヌシの半身的存在であることから、五穀豊穣、縁結び、病気平癒、酒造といったオオクニヌシの性質を引き継ぎつつ、更には、日本書記で、蛇に変化したエピソードを持ち合わせていることから、蛇神としての側面も持ち、水を司る神ともされる。また、金刀比羅神社系列に至っては、オオモノヌシは、仏教十二神将の一神である宮毘羅(くびら)と習合している。この宮毘羅は、ガンジス川に棲むワニを神格化した神、クンピーラに由来すると言われ、水運を司るとされることから、航海安全の神として、航海民より広く信仰を集めることになる。
金刀比羅神社あるある神 金刀比羅神社でよくみる神々
一般に、金刀比羅神社に祀られる神と言われれば、やはりオオモノヌシということになる。ただし、その総本宮となる金刀比羅宮では、相殿に、崇徳天皇(ストクテンノウ)を祀っていることもあり、中には、崇徳天皇も祀っている金刀比羅神社も存在する。これは、崇徳天皇が流刑に処された際、讃岐国に流れ着き、当社に参籠したと言われていることから、その死後も合祀して祀ったことに始まる。
[代表名]崇徳天皇(ストクテンノウ)
崇徳天皇は、第75代天皇であり、幼き頃から不当な扱いを受けて来た不運な天皇として有名な天皇となっている。特に、謀略によって讃岐国へ流刑にされ、当地で憤死して以降、京で大いなる災厄を引き起こしたことで有名で、祟り神の代名詞的存在として、今も敬われている。このため、その性質として、特に縁切りといったマイナスのパワーを活用したご利益で、篤い信仰を集めている。

以上、崇徳天皇は稀に金刀比羅神社で見かける神さまとなるが、中には、京都の安井金比羅宮のように、先に崇徳天皇が祀られ、後から金刀比羅宮からオオモノヌシを勧請する逆パターンの神社も存在する。そんな安井金比羅宮は、縁切りの神社として有名となっている。
金刀比羅神社のご利益
航海安全元々、金刀比羅宮のある象頭山(ぞうずさん)は、瀬戸内海航路の海の目印とされてきたこともあり、航海の指針的な位置づけを担っている。そして、水の神、オオモノヌシと水運の神、クンピーラの性質によって、この航海安全のご利益は、金刀比羅神社を代表するご利益となっている。

豊漁祈願同じく、航海民ならではのご利益となるが、航海安全と同じく、豊漁を祈願する場合にも用いられることが多い。

水難守護同じく、こちらも水を司るという観点から水難守護に用いられることもある。

商売繁盛こちらは、五穀豊穣とともに、どちらかと言えば、オオクニヌシのご神徳を引き継いだものとなる。特に、オオモノヌシは、オオクニヌシの半身的な存在であるが故に、その性質は、オオクニヌシと同質の性質を持ち合わせていると考えてもよい。

病気平癒こちらもオオクニヌシから引き継がれたもので、元々、オオクニヌシには、医療系の御利益があるとされ、それは、古事記の因幡(いなば)の素兎伝承で、傷ついたウサギに適切な処置を施したことから、医療にも優れた力があると信じられた所以となっている。そのため、病気平癒や健康長寿的な意味合いを継承することが多々ある。

これ以降のご利益は、崇徳天皇が祀られている場合に言えるご利益となる。
縁切りこちらは、最大の怨霊神と言われた崇徳天皇のお力として名高い。これはあらゆる関係を断ち切りたい場合に用いられることが多い。因に、学問の神様で有名な菅原道真公(スガワラノミチザネ)も怨霊神のひとつである。

※ご利益に関しては、あくまで参考程度にお考え下さい。
金刀比羅神社の歴史
金刀比羅宮の起源についてはあまり定かにはなっていないが、象頭山(ぞうずさん)信仰という地方神に始まったとも考えられている。その後、何らかの形で、オオモノヌシや宮毘羅(くびら)と習合していったと考えられているが、この成り立ちについては、大きく2つの説が有力視されている。

ひとつが、オオモノヌシが象頭山で行宮(あんぐう:一時的な滞在施設)を営んだとされ、その跡地に琴平神社を祀られたとするもので、その後、神仏習合がはかられる中で、仏教の宮毘羅と習合していったと言われている。

もう一つが、先ず象頭山にあった真言宗の松尾寺に宮毘羅がその守護神として祀られ、大宝年間(701年〜704年)に修験道で有名な役小角(えんのおづの)が象頭山に登拝し、そこで、護法善神(ごぼうぜんじん)たる金毘羅(クンピーラ)に遭遇したことから、これを金毘羅大権現としたとするもので、こちらは、元から仏教神としての起源に始まる。

いずれにせよ、金刀比羅宮の創建年代は全くもって謎であり、どれほどの歴史があるのか、その具体的な年代は分かっていない。ただ、その創始としては、神社側が、前者の説を採択していることからも優先すべき起源は、前者の琴平神社に始まると考えるべきだろうが、明治時代の神仏分離令が施行されるまでは、象頭山松尾寺金光院と称していたことからも仏教的側面は無視できないものとなっている。
(1)オオモノヌシの行幸
古くからの言い伝えによると、オオモノヌシが象頭山に行宮(あんぐう)を営み、これを日本経営の本拠地と定め、周辺国を統治していったとされ、その跡地に琴平神社を祀ったとしている。
(2)本地垂迹(ほんじすいじゃく)説 の影響
仏教が輸入されて以降、神仏習合の流れは着々と進んでいったが、それは暗黙値で語られることが多く、神仏の立場を明確に伝えるものはなかった。そこで提唱されたのが、本地垂迹説で、これは、「日本の神は、仏の化身として代理、または、仏に至る過程で発現された」とする考え(日本の神を仏教用にカスタマイズした考え)で、琴平神社もその影響を大きく受けている。因に、この時期、琴平神社は、金毘羅大権現(こんぴらだいごんげん)と呼ばれ、その役割も真言宗の松尾寺の守護寺として、象頭山松尾寺金光院と名乗っていた。
(3)宮比羅(くびら)との習合
本地垂迹説の影響によって、神仏の習合が促進され、仏教の宮比羅(くびら)と習合している。宮比羅は、元々ヒンドゥー教の神、クンピーラに由来すると言われており、ガンジス川に棲むワニを神格化したものと言われている。そのため、クンピーラは、水を司る神、水運の神として、航海安全のご利益を求める動きと連動していったとされる。そして、クンピーラは、仏教に取り入れられ、薬師如来を守護する十二神将の一神となり、宮比羅神将となったとされ、その宮比羅神が讃岐に出現したのが金毘羅神と言われている。なお、宮比羅神だけが独立して信仰されるケースは、他に例がなく、大変珍しいものと言われている。
(4)航海民による信仰拡大
こうした海上交通の守り神的な役割は、当然のことながら、瀬戸内海の船乗りたちの崇敬を集め、その彼らが、全国各地に、金毘羅信仰を広めていったとされる(現在でも海上自衛隊の掃海殉職者慰霊祭が毎年行われているという)。また、この海上交通守護の考えは、元々、琴平山(象頭山)が、海上交通の目安になっていたことも関連していると考えられている。
(5)崇徳天皇の参籠
長寛元年(1163年)に崇徳上皇は、象頭山松尾寺金光院(現在の金刀比羅宮)に参籠している。そして、讃岐国に流され、軟禁生活を送り、長寛2年(1164年)、失意のまま崩御したとされる。その後、崇徳天皇の怨霊化が騒がれ、翌年の永万元年(1165年)に合祀されている。
(6)京極家の崇敬
京極家は、宇多源氏の流れを汲む氏族のひとつであり、室町時代より出雲・隠岐・飛騨の守護を司った名家であった。その京極家は、讃岐金刀比羅宮を崇敬しており、各々の領地、関連施設に金刀比羅神社を勧請していっている。
(7)金毘羅(こんぴら)講の組織
江戸時代中期になると、金毘羅信仰も他の神社と同様、各地で金毘羅講が組織されていった。この「講(こう)」とは、今で言う崇敬会のようなもので、この他代表的なものとして、伊勢講や富士講といったものがある。この動きは庶民の中でかなり浸透しており、伊勢神宮へのお陰参りに次ぐほどの人気だったと言われている。
金刀比羅宮は、他の神社と比べて、仏教色がかなり強く、その創始においても神道、仏教両面の見方がされていることからも、その影響の強さが伺える。
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金刀比羅宮
(香川県)
オオモノヌシが行宮(あんぐう)を営んだとされる、その跡地に琴平神社が祀られる。

長寛元年
(1163年)
金刀比羅宮
(香川県)
崇徳上皇が象頭山松尾寺金光院(現在の金刀比羅宮)に参籠される。

永万元年
(1165年)
金刀比羅宮
(香川県)
象頭山松尾寺金光院(現在の金刀比羅宮)の相殿に崇徳天皇が合祀される。

永正2年
(1505年)
金刀比羅神社
(福島県)
威宝院の第三代にあたる弘榮が、讃岐金刀比羅宮より御分霊を勧請し、現在のいわき市内に祀る。

万治3年
(1660年)
虎ノ門金刀比羅宮
(東京都)
讃岐国の丸亀藩主であった京極高和(きょうごくたかかず)が、金刀比羅宮(本宮)の御分霊を当時藩邸があった芝・三田の地に御分霊を勧請する。

元禄8年
(1695年)
安井金比羅宮
(京都府)
太秦安井(京都市右京区)にあった蓮華光院が移建された時、その鎮守として崇徳天皇に加えて、讃岐金刀比羅宮より勧請したオオモノヌシと、源頼政を祀り、安井金比羅宮の原形が造られた。

文化8年
(1811年)
丹後金刀比羅神社
(京都府)
旧峰山藩主となる京極家は、代々、縁の讃岐金毘羅権現を崇敬しており、7代藩主となる京極高備(きょうごくたかさまさ)は、現在の峰山町泉の地に金刀比羅神社を創建した。

文政2年
(1819年)
讃岐金刀比羅宮
(東京都)
江戸の板橋市左衛門の邸内祠として、金刀比羅宮が祀られる。

明治元年
(1868年)
讃岐金刀比羅宮
(香川県)
神仏分離によって象頭山松尾寺金光院は廃されて、神道の神社になり現在の金刀比羅宮へと改称する。