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浮嶋神社

浮嶋神社
浮嶋神社
基本データ
旧社格など県社
総本社 −−−−−
ご祭神 可美葦牙彦舅尊 (うましあしかびひこじ)
※[別記]宇摩志阿斯訶備比古遅神
大山祇神(おおやまつみ)
※[別称]大山積神  
三神御面(さんしんごめん)
ご祭神について 可美葦牙彦舅尊:別天つ神のひとつ、活力を司る神(万物の生命力を神格化した神)
大山祇神:大山を司る神、山の神の総元締の山神、金運の神
三神御面:南北朝時代・室町時代初期の作とされる三体の奇怪な翁面、雨乞いを司る
ご利益 開運招福、富貴繁昌、衆災消除、交通安全、安産守護、雨乞い・雨止め 他
参拝形式 二拝二拍一拝
創建 −−−−−
由緒 当社は、浮嶋神と三島神を祀っているとされ、日本三代実録の貞観9年(867年)2月5日の条に「伊予国正六位上浮嶋神に従五位下を授く」とあり、国史に見える神社、国史現在社としているが、具体的な創建時期などは不明となっている。浮嶋神は、弥生文化時代からの御祭神で、社地「王座」は物部氏の太祖宇麻志麻治命の降誕の浄地といい、崇神天皇の頃に天津社に列せられたと伝えられている。伊予の豪族越智益躬は時運変遷により大三島神を合祀して氏神と仰ぎ、以後、越智息利、河野通清、白石三郎家員、牛渕太郎孝房等と名門の崇敬厚く、累世神殿の改築や神田の奉納等があった。保延5年(1140年)には崇徳院の院宣によって道音寺、香積寺、西光寺、明照寺の4つの別当が置かれた。吉野朝になって得能氏が館を設けて尊崇し、満良親王、懐良親王より奉幣があり、文中年中(1372年〜1375年)には長慶天皇が武運長久の祈願を執り行わせている。長慶天皇は当地の王座屋敷に滞在され、この地で亡くなられたといわれ、その御陵が残っている。また、長禄年中(1457年〜1460年)には、河野宮忠義王が2年の間王座屋敷に滞在され当社を尊崇されたという。天正14年(1587年)には、長曽我部元親が当国に乱入の時、兵火にかかり社殿や旧記を焼失したが、慶長年中(1596年〜1615年)には、加藤嘉明が社殿を再建して三島大明神と称え、菖蒲祭の古式を復旧した。その後、代々の松山藩主は菖蒲祭を引継ぎ、藩の祈願所として尊崇した。その後、 明治2年(1869年)に浮嶋神社と旧号に復し、明治3年郷社に列せられ、明治14年県社に昇格した。
所在地 (〒791-0213)愛媛県東温市牛渕584
最寄り駅 ●伊予鉄道横河原線「牛渕」駅より徒歩約11分
その他アクセス −−−−−
電話番号 089-964-8752
ポイント
当社では、境内社として、
1.[長慶天皇御陵]
2.[荒魂社]
3.[祖霊社・殉国英霊社]
4.[長慶河野宮霊社]
などを祀っている。
境内には、3つの磐座(いわくら:大きな自然石)が配置されており、中央に可美葦牙彦舅尊、左右に伊弉諾尊・伊弉冉尊をお祭りしてきたと伝えられている。
河野家から伝わる三神御面があり、雨乞いに御神威があるとされ、一部には、鎌倉や室町時代に作られたものとみられている。これは、能面の前の時代の田楽や猿楽の面とされ、美術工芸的にも大変優れたものであり、平成16年には、「雨乞い三面」として東温市の有形文化財に指定されている。御面は、御面渡御祭の日に一般に拝観を行っている。
当社の秋祭りは、250年以上前から行われており、猿女の君に導かれ、笛太鼓の調べと伴に相撲力士による大和働きの所作や槍奴による毛槍投げなど、175名と馬1頭で繰り広げられる。平成9年に東温市の無形民俗文化財に指定されている。
ご朱印対応 不明
公式HP −−−−−
MAP(地図)
イベントスケジュール
1月1日元旦祭
2月11日開運祭
5月5日 菖蒲祭
7月30日 長慶天皇御陵祭/夏越祭
9月秋分の日磐座祭
10月第2土日例大祭・神幸祭
11月3日牛渕祖霊祭
12月20日御面渡御祭・隔年鎮座
12月31日納め神楽
その他イメージ
磐座(いわくら)