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横手阿蘇神社

横手阿蘇神社
横手阿蘇神社
基本データ
旧社格など−−−−−
総本社 阿蘇神社(熊本県阿蘇市)
ご祭神 健磐龍命(たけいわたつのみこと)
※[別称]阿蘇大神(あそのおおかみ)
横手五郎(よこてごろう)
ご祭神について 健磐龍命:阿蘇神社の主祭神、阿蘇山の神、神八井命(神武天皇の子)の子=神武天皇の孫
横手五郎:戦国時代の武将、怪力無双の武人、不遇の最後を遂げる
ご利益 地域守護、事業成就、学業成就、商売繁盛 他
参拝形式 二拝二拍一拝
創建 −−−−−
由緒 当社の具体的創建時期などは不明となるが、境内社として、怪力無双と謳われた横手五郎の像を安置するお堂が隣接されており、別名、横手五郎大明神としても有名となっている。
所在地 (〒860-0046)熊本県熊本市中央区横手3-24-15
最寄り駅 ●熊本市交通局「新町」駅より徒歩約14分
その他アクセス −−−−−
電話番号 −−−−−
ポイント
横手五郎は、天正13年(1585年)に、戦国武将、益城郡赤井城の城主、木山弾正の遺児として、横手村で生まれ、五歳の頃には、米俵を担ぐほどの怪力を誇っていたとされる。しかし、天正15年(1587年)に天草の乱が起こると、加藤清正公に一騎打ちをして敗れた父の仇をとるために、清正公が推進する熊本城の築城に石運びの人夫として潜入する。その時の力と働きぶりは大層評判であったが(凹字形の大石を首にかけて持ち運んだという)、同時に、仇討ちの件が見破れてしまい、五郎は井戸の中へと落とされてしまいました。そして、大石を井戸に投げ込むも、五郎はその大石を上に放り投げ、自身が殺されることを悟り、「砂を入れないと殺せないぞ」と叫び、ついには、砂を入れて殺されてしまったという。江戸時代には、この五郎の死を憐れみ、当時の吉祥寺の毘沙門堂に御霊を祀ったといい、これが、明治以降に当社の境内に建立されたと言われている。
当社は、北岡神社の境外摂社となる。
ご朱印対応 不明
公式HP −−−−−
MAP(地図)
イベントスケジュール
9月13日例祭(五郎の命日)
その他イメージ
社殿正面
横手の五郎尊像