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基礎情報
総本社 鹿島神宮
=目次(INDEX)=
基本情報
主祭神
その他神さま
ご利益
歴史
代表的な鹿島神社
所在地(〒314-0031)茨城県鹿嶋市宮中2306-1
神使鹿(シカ)
同系神社春日神社
系列社鹿島神社、鹿島大神 他
備考
鹿島神宮の系列社は、全国に600社以上あるとされる。
延喜式神明帳で神宮の呼称が許されているのは、伊勢・鹿島・香取のみとなる。
延喜式神明帳とは日本最古の神社格付け書のようなもの。
登録状況現在、60社(令和2年3月17日現在)→全国の鹿島神社はこちら
主祭神

建御雷大神(タケミカヅチノオオカミ)=鹿島大神(カシマノオオカミ)

[古事記]建御雷神(タケミカヅチノカミ)
[日本書紀名]武甕槌神(タケミカヅチノカミ)
[別名]建布都神(タケフツノカミ)
豊布都神(トヨフツノカミ)

建御雷大神は、その名の通り、を司り、刀剣の神でもある。それは、「古事記」の登場でも刀剣の上に座した姿で降り立っており、その力は絶大で、武の神、戦の神として、有名な神さまとなっている。元々は、「古事記」の神産みの話において、妻、伊弉冉命(イザナミノミコト)が出産の時、火の神、火之迦具土神(カグツチノカミ)を産んだために、命を落とすことになり、怒り狂った、夫、伊邪那岐命(イザナギノミコト)がその火之迦具土神の首を切り落とした際に多くの神々が誕生したという話があり、この時、伊邪那岐命が手にしていた剣、十束剣(とかのつるぎ)、別名、天之尾羽張(アメノオハバリ)の根元についた血が岩に飛び散って生まれた三柱の神のひとつと言われている。

その後、「古事記」では、「出雲の国譲り」の話となり、天鳥船(アメノトリフネ)とともに、葦原中国(あしはらのなかつくに:地上)に降り立ち、抵抗する建御名方神(タケミナカタノカミ)をその力で、諏訪の地に閉じ込め、葦原中国を平定したとされる。また、これが「日本書紀」だと、武甕槌神は単身ではなく、経津主神(フツヌシノカミ)という別の神さまとともに降臨をする。そして、この二つの記紀をまたがる建御雷神・経津主神・天鳥船の三神が、この鹿島神宮を含めた東国三社(他、香取神宮・息栖神社)として、それぞれの地に祀られている。

その他神さま

鹿島神宮は、周辺の香取神宮息栖神社を加えて、東国三社と呼ばれ、関東では、お伊勢参りの後の東国三社参りと呼ばれるほどに、非常に、格の高い神社として崇敬されてきた(事実、鹿島、香取両神宮に至っては、神宮の呼称を古くから使用されることを認められた神社であり、延喜式神明帳では、その呼称は、伊勢とこの両神宮の3社のみとされる。さらには、昔は、伊勢と東国の両方を参拝して完成、片方の参拝だけだと、「片参り」と呼ばれたとも伝えられる)。それだけ、この3社の関係は非常に密接なものとなっている。ということで、こちらの神々には、その東国平定にまつわる神をいくつか挙げてみた。

[関係神1]経津主神(フツヌシノカミ)=香取大神(カトリノオオカミ)

※[別名1]斎主神/伊波比主神(イワイヌシノカミ/イハヒヌシノカミ)
※[別名2]布都怒志命(フツヌシノカミ)

経津主神は、「古事記」には登場せず、「日本書紀」にのみ登場する神となる。経津主神は、その読みの響きの通り、「フッ」と物が二つに断ち切られる音を表すと言われ、刀剣の威力を神格化したもの、刀剣に宿る霊威を表したものとも言われている。そのため、武神的な側面が多く、建御雷大神はと対を成す神として、祀られることが多々ある。そのため、武道場では、鹿島大神、香取大神として、この両神々が、神棚に祀られることも多く、武を志す者には、非常に馴染みの深い神となっている。また、物を断ち切る側面から、悪い縁、関係を断ち切るという意味で、縁切り的な側面を持ち合わすことがある。そして、一般には、香取神宮の香取の語源とは、楫取(かじとり)とされ、船人を統率する人の地と言う解釈がある。

[関係神2]天鳥船(アメノトリフネ)

※[別名]鳥之石楠船神(トリノイワクスフネノカミ)

天鳥船は神産みにおいて、伊邪那岐命(イザナギノミコト)と伊弉冉命(イザナミノミコト)の間に生まれた御子神のひとつであり、その名が示すように、神が乗る天空の乗り物とも言われる。これは、当時における頑強で、勇壮な正に神が乗る船を例えらものとも言え、そのため、天鳥船は、船の神、運輸・交通の神とし、「古事記」においても、建御雷神が葦原中国へ降臨される際に、この天鳥船に乗船してきたとされる。

[関係神3]天津甕星(アマツミカボシ)

※[別名]天香香背男(アメノカガセオ)/香香背男(カガセオ)

天津甕星は、「古事記」には登場せず、「日本書紀」にのみ登場する神となる。そして、天津甕星は、その名から類推される通り、星を司る神であり、一部には、金星を意味するなどとも言われている(後世には、北極星の化身、妙見菩薩と同一視されることもある)。この天津甕星は、元々、東国を支配していたと考えられ、最後まで、建御雷大神に抵抗した神とされている。そのため、倭文神建葉槌命(シトリガミタケハヅチノミコト)という神を派遣し、当時、常陸国の大甕山(おおみかやま)に拠点を構えていた天津甕星を制圧したとされる。また、天津甕星の別名に、「香」という字が多用されていることから、この天津甕星の制圧(鎮魂などの意味も含め)には香取大神の御神名と何らかしらの因果があるのではないかと推察することも出来なくはない。また、この最後まで抵抗した神という点で、一部には、諏訪に封じ込められたタケミナカタと同一視する意見もある。

[関係神4]天羽槌雄神(アメノハヅチノオ)

※[別名]建葉槌命(タケハヅチ)

建御雷大神・経津主神では服従しなかった天津甕星を征服した神となるが、その性質は、織物の神となっている。

[関係神5]天迦久神(アメノカク)

いわゆる鹿(シカ)の神さまを意味し、「迦久」は鹿児を意味する。元々は、「古事記」の「出雲の国譲り」の話に登場し、当初は、建御雷大神ではなく、その父で、火之迦具土神を斬り殺した刀、十拳剣(とかのつるぎ)の化身、天之尾羽張(アメノオハバリ)に降臨要請が下るはずだった。しかし、その旨を告げるための道が困難であったことから(天安河(やすのかわら)の水がせき上げて、道を塞いでいた)、その伝令役として遣わされたのがこの鹿の神、天迦久神であった。

結局、天之尾羽張の意見で、建御雷大神が適任と考え、建御雷大神が降臨することとなった。このため、鹿島神宮では、鹿を神使として考えており、鹿島神宮の境内にも鹿園が存在する。ちなみに、Jリーグの鹿島アントラーズのアントラーとは鹿の角を意味し、これは鹿島神宮の神鹿に由来する。

また、鹿と言えば、奈良の鹿が有名だが、そもそも春日大社に祀られる建御雷大神は、鹿島神宮より御分霊を受けたものであり、その分霊の際に、御神体を神使、つまり鹿の集団を組んで、その背中につけた鞍に乗せてご遷座をしたといい、東京都の江戸川区には「鹿骨」という地名がある。実はそれこそが、この時に亡くなった鹿のことを意味するのだという。このため、この地には、鹿骨鹿島神社が鎮座しており、結果的に鹿は鹿島と春日を繋げる重要な役割を担っている。

ご利益
勝利祈願やはり、武の神最強の建御雷大神、最大のご利益は何かと言われれば、この勝利祈願・必勝祈願と言える。それは、無敗を誇る建御雷大神に強く言え、基本、他のご利益もこの勝負強さから見られる御神徳に通ずるものがある。

旅行安全これは、建御雷大神が地上へと降臨し、その後も各地を平定するなど、その移動を天鳥船といった神船で問題なく訪れていることが、武神としての強さも込めて、「交通安全」という目的地までの安全を期するものとして上げることができる。

武芸上達こちらは勝利祈願にも等しいとも言えるかもしれないが、建御雷大神は武道場に祀られることも多く、その上達、すなわち自身が強くなることも意味する。

事業成功こちらも勝利祈願の拡大解釈的な意味合いが強いが、やはり事業をひとつの勝負事として見立てた場合、同様のご利益を求めることができる。それは、出世開運なども同じと言えるのかもしれない。

※ご利益に関しては、あくまで参考程度にお考え下さい。
歴史
通常、多くの神社は、いわゆる勧請型と呼ばれる、本社からご分霊をお招きして神社を建立しているのだが、その多くは当然のことながら関西を代表する西日本方面に発することが多い。このため、いわゆる関東に本社を置く神社は限られており、多くは「西→東」という順路をたどるのだが、鹿島神宮は氷川神社とともに関東に本社を置く少数派の神社となっている。ただし、興味深いのは、主祭神たる建御雷大神で言えば、一旦は「東→西」という順路をたどりながらも、春日大社を通じて、結果的にまた「西→東」の順路で関東に戻ってくるというのは非常に変則的で特徴的であると言える。また、その始まりをみれば、かつて、この地が、東方に対する軍事拠点(東北の蝦夷に対する軍事拠点)として、鹿島神宮が特別な地位にあったことを意味しており、鹿島神宮に限らず、軍神並びに刀剣の神を祀る神社の中には概してかつてそこが武器庫などの軍事拠点だった名残を伝えるものも少なくなく、香取神宮と同様、古代史の歴史を伝える重要な場所という言い方もできる。
(1)地方神から神話神との習合

元々、古代の農民は、雷の神を農耕神として祀っており、それが、建御雷神(タケミカヅチ)信仰として、国譲りの神話と習合することによって、武神的側面が認識されるようになった。
(2)東方基地の最前線

この東国三社が祀られるエリアは蝦夷に対する大和朝廷の前線基地とされる。実際、通常の神社は、参道が拝殿に向かっているのに対し、鹿島神宮は参道に平行して、社殿が北面している。これは、東北地方の蝦夷に対する拠点の表れであり、同じく、香取神宮の参道もうねうねと迂回する参道としては非常に珍しい構成を取っているのも、軍事的に攻め込まれた時を想定して、このような形状をとっていると言われる。それだけ、この地域が、蝦夷に対する重要な拠点であったことが伺える。実際、鹿島神宮の宝物殿には、悪路王(あくろおう)、別名、阿弖流為(アルテイ)という蝦夷の軍事指導者とされるその首像と首桶 が展示してあり、これは坂上田村麻呂将軍が奥州で征伐した悪路王の首を寛文年間に口伝により木製で復元奉納したものという。
(3)藤原氏の氏神化

中央豪族のひとつ中臣(なかとみ)氏と鹿島は非常に密接な関係があったと伝えられる。中でも、藤原家繁栄の祖とも言われる中臣鎌足はこの鹿島の出身とも言われており(鹿嶋市には藤原鎌足を祀る鎌足神社もある)、鎌足の子、藤原不比等がその御分霊を勧請して春日大社を創建し、これらの氏子となっている。また、一説には、神武天皇が建御雷大神の神恩に感謝を示し、天種子命(アメノタネノミコト)を遣わせて建御雷大神を祀ったことが、この鹿島神宮の創始という説がある。天種子命とは天児屋命(アメノコヤネノミコト)の孫とされ、中臣氏の先祖と伝えられる神で、中臣氏とこの鹿島には何かしらの接点があるというのは確かだと考えられる。結果、建御雷大神を祀る神社は、東の鹿島神宮、西の春日大社に大きく分類されることになる。
鹿島神社拡大年表
神代
鹿島
(茨城県)
建御雷大神が、国譲りのため、葦原中国に降臨し、その交渉に尽力。成功に終えると、東遷し、各地の平定と開拓に注力したという。そして、東路(あづまじ)の果てに至り、この鹿島の地に留まり、利根川をはさんで、西方の香取を臨みながら、鎮まられたとする。また、この時、天羽槌雄神を派遣し、東国を支配していた天津甕星(アマツミカボシ) を誅したとされる。

神武天皇御代
(紀元前660年)
鹿島神宮
(茨城県)
天種子命(アマノタネコ)を鹿島に遣わし、建御雷大神を祀る(鹿島神宮の創建)。この天種子命こそ、中臣氏の祖先とされ、後の鎌足公の鹿島出身論の根拠となる。

慶雲4年
(707年)
豊鹿嶋神社
(東京都)
武蔵国に、鬼神が来たとされ、その鬼神を常陸峯にて鎮めて、天智天皇第四の姫宮及び蘇我山田石川麿が、鹿島神宮よりご分霊を勧請したと伝えられる。

和銅3年
(710年)
春日大社
(奈良県)
藤原不比等が、藤原氏の氏神として、鹿島神のご分霊を、春日の御蓋山(みかさやま)に勧請し、奉祀したと伝えられるが、あくまで伝承上によるものとなる。

奈良時代未明
(ーーー年)
鹿骨鹿島神社
(東京都)
鹿島大神が、春日へのご分霊の際、多くの鹿が、神鹿として、一年もの歳月をかけて、遷座される。そして、その神使とされる神鹿が病に伏し、当地で亡くなられたとされる。そして、それを里人が丁重に弔い、結果、鹿骨(ししぼね)鹿島神社が創建されたとする。因に、同地域にある鹿見塚神社 も、同様の起源によるものとされる。

神護景雲2年
(768年)
春日大社
(奈良県)
社伝上では、春日大社が創建されたのが、この年となり、藤原永手(ふじわらのながて)が、鹿島大神と香取大神のご分霊を勧請し、枚岡神社より天児屋根命(アメノコヤネ)と比売神(ヒメノカミ)の御分霊を勧請し、春日大神として、御蓋山の麓に奉祀したとされる。

延暦14年
(795年)
鹿島神社
(宮城県)
坂上田村麿が東征の為、陸奥国下向の節常陸国の鹿島神宮のご分霊を勧請したという。

延暦21年
(802年)
鹿島神宮
(茨城県)
蝦夷の軍事的指導者、悪路王が、坂上田村麻呂(サカノウエタムラマロ)によって、討ち取られる。その後、凱旋の途中で、鹿島神宮に立ち寄り、悪路王の首を鹿島神宮に納めたとされる。

延暦23年
(804年)
志賀理和氣神社
(岩手県)
坂上田村麻呂が東夷征討拠点として志波城築城の折、東北開拓の守護神である鹿島、香取の二柱の神々を当地の鎮守として勧請して祀る。

代表的な鹿島神社
■ 鹿島神宮(かしまじんぐう)/総本社
・[住所]茨城県鹿嶋市宮中2306-1
・[御祭神]建御雷大神
・常陸国一宮にて式内社の名神大社・鹿島系列社の総本宮
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■ 豊鹿島神社(とよかしまじんじゃ)
・[住所]東京都東大和市芋窪1-2067
・[御祭神]建御雷大神
・本殿は東京都最古と言われる鬼神を鎮めた末に迎えられた鹿島神社
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■ 鹿島御児神社(かしまみこじんじゃ)
・[住所]宮城県石巻市日和が丘2-1-10
・[御祭神]建御雷大神・鹿島天足別命
・建御雷大神の御子神も祀る「石巻」の地名の由来にも関わる鹿島神社
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■ 鹿島神社(かしまじんじゃ)
・[住所]宮城県加美郡加美町四日市場屋敷7
・[御祭神]建御雷大神・天照大神・宇迦之御魂神・品陀和氣命
・「おものめ様で有名な良縁祈願の伝承を伝える鹿島神社
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