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ヤソガミたちの陰謀のおはなし
大己貴神(オホナムチ)が、八上比売(ヤガミヒメ)のハートを射止めたことがどうしても気に入らない八十神(ヤソガミ)たちは、オホナムチを殺す計画を立てます。そして、オホナムチを伯岐国(ほうきのくに:現在の鳥取県西部)の手間(てま)の山に誘い出し、「赤い猪がこの山にいる。我々が一斉に追い下ろすから、お前は待ち受けてそれを捕えよ」と命令しました。

そして、オホナムチは、麓で待ち構えていると、ヤソガミたちは、猪に似た大石を火で焼いて、山の上から転がり落としました。哀れオホナムチは、律儀に大岩を正面から受け止め、そのまま石に焼かれて死んでしまいした。ヤソガミたちの策略はうまくいき、ヤソガミたちは、オホナムチの遺体を持ち帰り、母神のもとへ帰って行きました。

オホナムチの母神である刺国若比売(サシクニワカヒメ)は、御子神、オホナムチの死を深く嘆き悲しみ、天高原の神産巣日神(カミムスヒ)に助けを求めます。すると、カミムスヒは、赤貝の精霊となる蚶貝比売(キサガヒヒメ)蛤(はまぐり)の精霊となる蛤貝比売(ウムギヒメ)という2柱の女神を遣わします。そして、先ず、ウムギヒメが、貝殻でオホナムチの体を岩から剥がし、続いて、キサガヒヒメが、貝殻を削った粉を清水で母乳のようにして練って塗ったところ、オホナムチは無事生き返ることが出来ました。
赤猪岩神社(あかいいわじんじゃ):鳥取県西伯郡会見町寺内字久清
赤猪岩神社は、オホナムチがヤソガミたちによって、巨石を落とされて亡くなった地とされています。そして、境内には、その巨石そのものが今もなお残っているとされます。
法吉神社(ほっきじんじゃ):島根県松江市法吉町583
法吉神社は、オホナムチを助けたウムギヒメを祀った神社で、「出雲国風土記」によれば、ウムギヒメが法吉鳥(ウグイス)に変身してこの郷に飛んできて鎮座したためにこの地を法吉と呼ぶようになったそうです。
オホナムチは無事再生をはかるものの、ヤソガミたちの殺害計画は執拗に続きます。今度は、大木を切り倒して楔(くさび)で割れ目を作り、その中に、オホナムチを入らせ、楔を引き抜いて打ち殺してしまいました。母神であるサシクニワカヒメは、泣きながらオホナムチを探したところ、その大木をみつけることができ、すぐさま、木を裂いて取り出して、再び、オホナムチを生き返らせました。さすがに、サシクニワカヒメも、このままでは、オホナムチの命が何度あってももたないと思い、木国の大屋毘古神(オホヤビコ)の所へ逃げるよう命じました。

ところが、ヤソガミたちは、木国まで追いかけて来て、オホナムチを出せと執拗に迫ります。オホヤビコは、オホナムチの身を案じ、木の虚(うろ)から、根の堅州国へと逃しました。これにより何とかオホナムチはヤソガミたちの手から無事に逃れることができました。因に、こちらオホヤビコは、五十猛神(イソタケル)の別名と言われており、林業の神として有名で、紀伊の語源は、この木国からきております。そして、オホナムチが逃げた根の堅州国では、スサノヲが、その国の王として、再び登場することになります。
伊太祁曽神社(いたきそじんじゃ):和歌山県和歌山市伊太祈曽558
伊太祁曽神社は、オホヤビコが、オホナムチを逃した木の俣の伝承が残る地で、この木の俣をくぐりヤソガミからの追撃を逃れて助かったと伝えられています。以来、このご神木の股の下をくぐると厄難を逃れることが出来るそうです。
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