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天孫降臨のおはなし
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ニニギの天孫降臨(てんそんこうりん)
さて、武御雷神(タケミカヅチ)による国譲りが完了した葦原中国が、ここからいよいよ高天原の神々、いわゆる天津神(あまつがみ)による地上の実効支配を迎えます。
そして、その先方として、
瓊瓊杵尊(ニニギ)
が送り込まれます。ニニギは、皇祖神としては最高位となる天照大神(アマテラス)の孫にあたることから
天孫降臨(てんそんこうりん:天の孫が降臨する)
と呼ばれております。
しかし、
当初は、その父神である天忍穂耳命(アメノオシホミミ)に、その命が下る
のですが、この時、ニニギが生まれたことを理由に、その役目を譲り、ニニギにその役割が回ってしまいました。アメノオシホミミと言えば、国譲りの時に最初に命を受けながら、直ぐに引き返してきた神であり、ここでもその役割を回避したという点では、あまり乗り気ではなかったということなのでしょうか。
ともかく、ニニギは、複数の神々を伴い、葦原中国の統治者として、地上へ降り立つことになりました。そして、この時、アマテラスは、
三種の神器となる八尺の勾玉(やさかのまがたま)、八咫鏡(やたのかがみ)、草薙剣(くさなぎのつるぎ)を授け、鏡を自分自身だと思って、地上でも祀るように命じる
のでした。
こうして、天孫降臨にのぞむニニギですが、この時に、同伴する神々は、ある意味、今まで登場した天津神系の中でも、選りすぐりのオールキャストが連なります。簡単にまとめると以下の通りです。
<五部神>
・天児屋根命(アメノコヤネ):天岩戸伝承で祝詞を奏上した祝詞の神
・布刀玉命(フトダマ):天岩戸伝承で鏡を掲げた祭祀の神
・天宇受賣命(アメノウズメ):天岩戸伝承で踊りを披露した芸能の女神
・伊斯許理度売命(イシコリドメ):天岩戸伝承で八咫鏡を製作した神
・玉祖命(タマノオヤ):天岩戸伝承で八尺瓊勾玉を製作した神
<三種の神器の警備役的副神>
・天手力男神(アメノタヂカラオ):天岩戸伝承で岩戸を蹴散らし、アマテラスを救出した腕力の神
・思金神(オモイカネ):天岩戸伝承他、あらゆる軍議で助言を呈してきた智恵の神
・天石門別神(アマノイハトワケ):天岩戸の管理をしていた門番を司る神
こうして一行は、天高原より葦原中国へと向かうのですが、天と地上の分かれ道である「
天の八衢(やちまた)
」に差し掛かった時、一行は、前方から天高国と葦原中国の両国を照らすほどの大いなる光に包まれました。
サルタヒコの道案内
この怪しげな光は天高原にまで届きました。アマテラスと高皇産霊神(タカミムスビ)は、「手弱女だが顔を合わせても気後れしない(面勝つ:おもかつ)」との理由で、天宇受賣命(アメノウズメ)に、この光の主を探すよう命じます。そして、アメノウズメはその光の元に出向き、その名を尋ねると、その主はこう答えました。
「我が名は、
猿田彦神(サルタヒコ)
。天津神の御子が降臨されると聞き、その道案内をしようと馳せ参じました」と。その時のサルタヒコの姿は異様なものであり、猿とも天狗ともつかない人離れした姿をしていたと言われています。
具体的には、鼻の長さだけでも七咫(ななあた:約120センチ)、背丈が七尺(約210センチ)、口と尻からは明るく光り、目は八咫鏡の如く丸く赤く輝いていたとまさに異形の姿をしていたと言われます。
こうして無事準備も整い、一向は、「
筑紫の日向の高千穂のクシフルタケ
」という地に降り立つことができました。これよりストーリーは、天津神による地上を舞台にした話へと移行していきますが、この降臨の地に関しては、宮崎に高千穂の峰が二カ所あり、その特定は今もなおできていないことから謎となっております。
高千穂神社(たかちほじんじゃ)
:宮崎県西臼杵郡高千穂町大字三田井字神殿1037
高千穂神社は、天孫降臨の比定地のひとつにあり、その御祭神にもニニギを祀っております。
くし触神社(くしふるじんじゃ)
:宮崎県西臼杵郡高千穂町大字三田井713
くし触神社も、高千穂神社同様、ニニギが天孫降臨を果たした場所の比定地の一つで、当神社の兼務も高千穂神社が行っています。御祭神にもニニギを祀っております。
無事地上に降り立った一行ですが、案内を成し遂げたサルタヒコは、その後、故郷に戻ることになりました。そして、この時、神々は、アメノウズメに、サルタヒコを故郷まで送り届け、サルタヒコの名を受け継いで仕えるように言い渡します。そのため、一部では、アメノウズメを、サルタヒコの妻と考え、夫婦関係と捉えています。そして、その子孫は、「
猿女の君(さるめのきみ)
」と呼ばれ、
朝廷の祭祀に仕える巫女の一族
として後世にも中央と深く関わっていきました。
荒立神社(あらたてじんじゃ)
:宮崎県西臼杵郡高千穂町大字三田井667
もともと「荒建宮」と称され、社伝によると、天孫降臨を道案内した猿田彦命が天鈿女命と結婚を挙げ、移り住んだと場所だと言われている。
一方、当のサルタヒコは、故郷である伊勢国(三重県)の
阿邪訶(あざか:現在の三重県松阪市)
に舞い戻り、普段の生活へと戻っていきます。そして、ある日、海で漁をしていたところ、
比良夫貝(ひらふがい)
に手を挟まれ、そのまま溺れ死んでしまいました。
一般には、サルタヒコはこの天孫降臨における道案内の実績から交通安全や方位除けなどを司り、
道祖神(どうそじん:道の分岐点に祀られる道案内の神)
として広く信仰されるようになりましたが、元々は、伊勢国に代々伝わる太陽神のひとつであったという説もあり、その存在は今も謎に包まれています。
また、残されたアメノウズメですが、本来、妖艶な姿とふるまいから芸能の女神としての側面を強く印象付けておりますが、本章で語られるアメノウズメのイメージは、その見た目とは真逆のイメージで、意外と気の強い女神であることが分かります。そして、その例として、こんなエピソードが残っています。
サルタヒコを無事送り届けたアメノウズメは、伊勢湾に出ます。そして、海に棲むすべての生き物を呼び集め、神の御子に仕えるかどうか尋ねました。すると、皆「お仕えします」と答えるのですが、ナマコだけは沈黙しておりました。すると、アメノウズメは、「何も答えるこができない口はこうしてくれる」と言って、懐から短剣を取り出して、ナマコの口を切り裂いてしまいました。そして、これがナマコの口が横に裂けているゆえんとなっているようで、アメノウズメの気性の荒さを示すエピソードして残っております。
猿田彦神社(さるたひこじんじゃ)
:三重県伊勢市宇治浦田2-1-10
猿田彦神社は、この天孫降臨を先導したサルタヒコを祀る神社となります。一説には、サルタヒコは、伊勢の五十鈴川の川上に鎮まったとされていますが、具体的なことは今ひとつ分かっておりません。
椿大神社(つばきおおかみやしろ)
:三重県鈴鹿市山本町字御旅1871
椿大神社は、同じくサルタヒコを祀り、そのサルタヒコを祀る神社の総本社としておりますが、こちらは社伝で、伊勢神宮を建立した倭姫命に、ご神託が下り、サルタヒコの墳墓の近くに創建されたことをその創始としております。猿田彦神社とは異なる説となりますが、どちらもサルタヒコを祀る重要な神社であることに違いありません。
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