熊野神社と王子神社
そう言えば、王子神社の起源は、熊野権現の勧請とありましたが、なぜ、熊野神社ではなく、王子神社なのでしょうか?
通常、氷川神社を勧請すれば氷川神社、八幡神社を勧請すれば八幡神社になり、本来、王子神社も、熊野神社を勧請したなら熊野神社となるのですが、実は東京で王子神社を名乗っているのは、当社だけなんです。勿論、この王子の地名は、当社にちなんで付けられたものですから、「王子」という地名は後から付いているのです。まぁ、京王線の「明大前駅」や、東武線の「東武動物公園駅」のようなものです。
そして、当社の社名は、若宮信仰が関係します。若宮信仰とは、神様の子供(の神様)をお祭りする信仰のことですが、世界遺産にもなった熊野古道には、九十九王子と呼ばれる無数の王子の神様が道々祀られ、かつては、熊野権現の子供の神様をお祀りする風習があったようです。これは、一種の若宮信仰と言ってよいと思います。若宮信仰は、新しい神の力の発現によって、子子孫孫、永続的な繁栄を期するものです。そして、王子神社は、熊野権現を勧請した際、熊野権現の子供の神様、若一王子宮として奏斎したため、熊野神社ではなく、王子神社の名称が起こったのです。 |
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田楽について
当社の目玉行事と言えば、毎年8月に行われる田楽舞奉納ですね。戦前の王子神社は、今の参道の真ん中あたりに、四方から見物できる舞殿があったそうですが、当時の舞殿は、本殿や拝殿よりも大きく、舞殿でが有名な神社だったそうです。そもそも、田楽とは、伝統芸能としては、猿楽に負けて、
どちらかというとマイナーな芸能なのですが、能の前身である猿楽が、歌と踊りのミュージカルだとすると、田楽は、舞が中心の芸能でして、当社では、その田楽舞を奉納するのが伝統です。
当社には舞殿があり、田楽舞を奉納するのに適した神社だったので、王子神社のお祭は、江戸の祭には珍しいお神輿のない田楽舞を楽しむ(奉納する)お祭でした。でも、お神輿の代わりに「舞」なんて、上品だな〜なんて思っていたら、とんでもない!田楽舞では、最後に舞妓がかぶっていた花笠を投げるのですが、縁起ものである、この花笠を奪い合う「喧嘩祭り」として有名だったとそうですよ(笑)。もちろん、現在はそんなことはありませんから、ご安心ください(笑)。ある意味、神輿が舞に代わっても、どうやら、江戸庶民の気性の激しさに、変わりはなかったということのようですね。 |
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最後に・・・、
当社では、開運のご神徳を授けるとして、「御槍」が授与されます。なぜ、「御槍」なのか、ここのところのいわれについては、今回、時間の都合でお聞きできませんでしたが、昔から、王子神社のお守りといえば、「御槍」だったということです。春日局が百本の槍を奉納したのは、そういう理由です。
そして、王子神社の紋は、三つ巴。巴は、矢を射る時の「ゆがけ」を表しているといわれています。三つ巴の紋は、武士が信仰した神社には、多い紋です。お稲荷様には、稲穂の紋があったり、天神様には、梅だったり、保護した大名の家紋が、神社の紋になっていたり、紋ひとつとっても、そこにはその土地の歴史や文化と、密接な関わり合いがあり紋から神社を見てみるのも、面白いものです。
そんな王子神社は、子育大願や安産祈願、開運厄除などのご神徳のある由緒ある神社です。王子駅より徒歩3分。一度、足を運んでみては如何でしょうか。また、いろいろなお話を頂いた八木宮司、誠にありがとうございました。 |