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高木神社

高木神社
高木神社
基本データ
旧社格など−−−−−
総本社 −−−−−
ご祭神 高御産巣日神/高皇産霊神 (たかみむすび)
伊弉諾尊/伊邪那岐命(いざなぎ)
伊弉冉尊/伊邪那美命(いざなみ)
※[別名]黄泉津大神(よもつおおかみ)
ご祭神について 高皇産霊神:創造の神(造化の三神のひとつ)、結びの神
伊弉諾尊:最古の夫婦神の一つ、初めて禊ぎを行った神、縁結の神、多くの神々を産み落とした神で日本の国土を作り上げた神でもある
伊邪那美命:最古の夫婦神の一つ(夫婦婚姻の神)、数多くの神々を産み落とした子授の神、黄泉国の主宰神、万物を生み出す神、創造神、海の神、製鉄の神
=一組みの夫婦神・良縁祈願
ご利益 勝運上昇、良縁祈願、子孫繁栄、殖産振興、良縁祈願、心願成就、厄除開運、子授り、子育大願 他
参拝形式 二拝二拍一拝
創建 −−−−−
由緒 当社は江戸時代まで大行事社と言われ、彦山神領の鎮護を目的とした彦山麓七大行事社の一つとされる。元々、彦山の開山は6世紀にさかのぼるとされ、当初は天忍穂耳命を祀っていたことから、日の御子、つまり「日子山」から転じ、彦山となったと伝えられる。そして、10世紀までには彦山権現信仰が盛んになったと言われる。ただし、当社における具体的な創建時期は不明で、寄進された最古の史料では、天文23年(1554年)銘の墨書が確認できているのみとなっている。また、高千穂家(現在の英彦山宮司家)の記録によると、正慶2年(1333年)に後伏見天皇の第六皇子、長助法親王(後の助有法親王)が彦山座主として九州へ下向され、世襲制の初代座主に就任したとされたという。そして、その翌年には「黒川院」御所を造営し、第14代舜有座主が豊臣秀吉の九州征伐で降伏するまで、約250年にわたって、彦山と共に、九州における修験道の中心地として繁栄したという。その後、江戸時代に筑前国が黒田領となると、黒田家との関係が悪化し、黒川に残る歴代座主の墓所や旧跡は第二代藩主黒田忠之の破壊命令で消滅してしまったと言われる。
所在地 (〒838-0072)福岡県朝倉市黒川1805
最寄り駅 ●JR久大本線「筑後吉井」駅より徒歩約109分
その他アクセス −−−−−
電話番号 −−−−−
ポイント
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ご朱印対応 不明
公式HP −−−−−
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その他イメージ
正面鳥居前
境内社