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旧社格など | −−−−− |
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総本社 |
宇佐八幡宮(大分県宇佐市) |
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ご祭神 |
八幡三神(はちまんさんしん) −品陀和氣命/誉田別命(ほんだわけ) ※[別名]応神天皇(おうじんてんのう) −足仲彦尊(たらしなかつひこ) ※[別名]仲哀天皇(ちゅうあいてんのう) −息長帯比売命/息長足姫命(おきながたらしひめ) ※[別名]神功皇后(じんぐうこうごう) |
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ご祭神について |
品陀和氣命:第15代天皇、皇祖神や武神(弓矢神) ※[八幡神]農耕神、海の神 仲哀天皇:第14代天皇、武の神 神功皇后:仲哀天皇の皇后/応神天皇の母 |
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ご利益 |
出世開運、武運長久、安産祈願、子育大願、恋愛成就、夫婦和合、航海安全 他 |
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参拝形式 |
二拝二拍一拝 |
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創建 |
永正8年(1511年) |
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由緒 |
古文書によると、「文亀2年(1503年)に小高い丘を起こし、永正8年(1511年)にご神霊を祀った」とあるという。このため、高い土地を意味する「垚(ぎょう)」という言葉を用いて、「垚八幡宮」、「垚の宮」と呼ばれることもある。
また、代々土地を知る古老によると、武田山の山上に安芸の国の守護職を担った武田氏がその居城として銀山城を築城し、その居城から眺めると、牛田(当社の鎮座地)方面はその鬼門にあたることから、その鬼門除けの意味も込めて、源氏の氏神となる八幡神を勧請し、見立山には「神田神社」を早稲田山には当社を建立したと伝えられる(ただし、神田神社は現在遷座している)。
このため、当社は武道の神として代々崇敬され、武田氏以降も、毛利氏、浅野氏と篤く崇敬され、明治維新に到るまで、家老が代参し、供貢を奉献せられたという。そして、明治42年には、神饌幣帛料の供進の指定社に列せられた。
旧社殿は古くは浅野藩三代綱長公により本殿が改築され、大正4年にも御即位、御大典記念事業として改築されたものの、昭和20年8月6日に原子爆弾により半壊してしまう。
その後、戦後の混乱期にもかかわらず直ちに復旧されるも、昭和30年12月8日に、浮浪者の失火により不幸にも社殿は消失してしまう。そこで直ちに再建奉讃会が結成され、昭和35年に現在の社殿が竣工された。 |
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所在地 |
(〒732-0062)広島県広島市東区牛田早稲田1丁目2-22 |
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最寄り駅 |
●JR西日本山陽本/芸備/呉/可部線「広島」駅より徒歩約30分 |
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その他アクセス |
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電話番号 |
082-221-1885 |
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ポイント |
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ご朱印対応 |
あり |
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公式HP |
https://wasedajinja.jp/ |
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