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旧社格など | 東京府下郷社 |
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総本社 |
天太玉命(忌部)系列: 洲崎神社(千葉県館山市) |
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ご祭神 |
天比理刀賣命(あめのひりのめ) ※[別記]天比理乃咩命(あまのひりのめ) 素戔嗚尊/須佐之男命(すさのお) 豊受大神(とようけのおおかみ) ※[別記]豊受媛神/豊宇気毘売神(とようけびめ) ※[同義]宇迦之御魂神/倉稲魂命(うかのみたま) |
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ご祭神について |
天比理刀賣命:祈願成就の神、天太玉(ふとだま)命の后神、元の名を「洲ノ神(すさきのかみ)」ともいう、忌部氏(後に斎部氏)の祖神の一柱 素盞鳴尊:嵐/暴風雨の神、厄除けの神、縁結びの神、安産の守護神 豊受媛神:食物・穀物を司る女神 |
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ご利益 |
交通安全、航海安全、祈願成就 、厄除、除災招福、五穀豊穣、商売繁盛 他 |
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参拝形式 |
二拝二拍一拝 |
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創建 |
文治3年(1187年) |
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由緒 |
品川神社の由来は、後鳥羽天皇の御世、文治三年(1187年)に、源頼朝が海上交通安全と、祈願成就の守護神として、安房国の洲崎明神である、天比理刀賣命を勧請して、品川大明神と称した。後醍醐天皇の御世(1319年)に、当国の守護職二階堂出羽入道道蘊、(貞藤と云い北條高時の臣、鎌倉に二階堂と云う地名があるそこに住していた)宇賀之売命を勧請し社殿等を再建し社地を吉端岡と名付けた。永享四年正清入道幸純社殿等を再建す。(幸純は道蘊の子孫なること南品川海晏寺に詳かなり)、文明10年6月太田道灌、素蓋鳴尊を勧請した。慶長5年徳川家康関ケ原の戦に出陣の折神前にて祈願し太々神楽を奏し、後神輿、假面等奉納す。寛永14年將軍家光の命により東海寺鎭守と定められてから幕府の御修復所となり、元縁7年將軍綱吉社殿等再建、嘉永四年將軍家慶社殿再建した。明治元年准勅祭神社に定められた。大正13年京浜国道開通にともない境内地の一部用地となる。昭和七年九月新束京八名勝選定の折第三位となる。現社殿は昭和39年10月杜務所と共に島本正一氏他氏子の協力により再建され、北品川、東五反田の一部、南品川の一部の鎭守として敬われ親しまれている。 |
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所在地 |
(〒140-0001)東京都品川区北品川3-7-15 |
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最寄り駅 |
●京浜急行本線「新馬場」駅より徒歩約4分[北口] ●京浜急行本線「北品川」駅より徒歩約6分 ●京浜急行本線「青物横丁」駅より徒歩約15分 |
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その他アクセス |
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電話番号 |
03-3474-5575 |
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ポイント |
| ● | 当社は東京十社のひとつに数えられている。 | ● | 灯篭、水盤など貴重な石造物が多い。南の鎮守・荏原神社に対して、北の鎮守として親しまれる。6月の北の天王祭や大神輿は有名。徳川家より寄進された天下ひと嘗めの御神面や葵神輿等、徳川家とゆかりが深い。品川富士・板垣退助の墓も有り、見所は多い。 | ● | 末社阿那稲荷社上社は天の恵の霊、下社は地の忠の霊と霊水あり、商売をなす人銭、印鑑に霊水をそゝぐがよし、又持帰りて店の四角入口にそゝぎ、清明なる心にて商売すぺし、そゝぎし銭の一部は門前商店街で使用するとよし。御縁日、毎月初の一粒万倍日、初の午の日。 | ● | 品川神社は鎌倉時代から品川の鎮守であったといわれる古社。石段右側の富士塚は明治2年に富士信仰集団"富士講"が築山したもので富士山の遥拝場所もしくは富士山代わりに登山した場所である。春分の日に7つの鳥居をくぐると長寿祈願ができるという7つの鳥居がある。社殿裏には板垣退助の墓もある。例大祭は凄いものなので是非見たいものの一つです(6/7に近い日曜を含む金土日曜) | ● | 当社では、境内社として、 1.[浅間神社] 2.[阿那稲荷神社] 3.[御嶽神社] などを祀っている。 |
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ご朱印対応 |
あり |
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公式HP |
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