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旧社格など | −−−−− |
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総本社 |
諏訪大社(長野県諏訪市周辺): 上社本宮・上社前宮・下社春宮・下社秋宮 |
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ご祭神 |
大国主命(おおくにぬし) 事代主神(ことしろぬし) 建御名方命(たけみなかた) |
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ご祭神について |
大国主命:国造りの神、農業神、商業神、医療神 事代主神:海の神、商業の神、釣りの神(=えびす天) ※大国主の子 建御名方神:力持ちの神、武の神、風の神、農耕神、狩猟神 ※元寇で神風を起こした伝承もある。 |
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ご利益 |
家内安全、病気平愈、商売繁盛、交通安全、厄難消除、学業成就、安産祈願、子育て、虫封じ、心願成就、武勇掲揚、勝利祈願、五穀豊穣 他 [対応業種]医療業 |
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参拝形式 |
二拝二拍一拝 |
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創建 |
弘仁年間(810〜824年) |
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由緒 |
平安初期の弘仁年間(810〜824年)に小野篁朝臣が大国主命と事代主命を祀ったことに始まる(小野篁は遣隋使として有名な小野妹子の子孫で、かつ小野小町や小野道風の先祖にあたり官人、歌人として有名な人となる)。当時は奥羽街道の一部松原街道に面していましたため、松原神社と呼ばれていた。そして、平安末期から鎌倉時代には源頼義、義家父子や頼朝等源氏武将から尊崇を受け、文治5年(1189年)の春、源頼朝公が藤原泰衡討伐のため陸奥発向のみぎり、当社に祈願し、凱陣、社殿を造営した際、頼朝公は頼義、義家父子を当社境内に白旗社として祀った。そして、応仁3年(1469年)には、大田道灌が社殿を改築するが、北条早雲によって焼かれてしまう。そして、江戸時代初期、尾張藩徳川家の祖徳川義直によって、信濃の諏訪神社を合祀し、再建され、現在の諏訪神社と呼ぶようになった。しかし、天保6年(1835年)には、ふたたび社務所より出火し、神庫、末社に至るまで焼失してしまう。そして、明治3年に氏子一同にて社殿を修復。同15年、諏訪森近衛射的場が設営され、11月に射的砲術の天覧があり、その折、明治天皇の行幸があり、天皇より神酒、鴨の御奉納があった。このことにより、社殿には菊の御紋が付けられるようになり、昭和18年行幸史跡に指定されるようになった。 |
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所在地 |
(〒169-0075)東京都新宿区高田馬場1-12-6 |
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最寄り駅 |
●JR山手線/西武新宿線「高田馬場」駅より徒歩10約分 ●地下鉄東西線「高田馬場」駅より徒歩10約分 |
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その他アクセス |
●地下鉄副都心線「西早稲田」駅より徒歩約5分[1] ●地下鉄東西線「高田馬場」駅より徒歩約9分[7] ●JR山手/西武新宿線「高田馬場」駅より徒歩約11分
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電話番号 |
03-3209-3835 |
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ポイント |
| ● | もともと当社には、天祖神社、八幡神社、阿多古神社、住吉神社、琴平神社、北野神社、須賀神社、白旗神社、白鳥神社、御霊神社などが境内に祀られていたが、安政3年の烈風大雨の節に破損したため、本殿に合祀された。 | ● | 現在では、境内社としては、 1.[御嶽神社] 2.稲荷大神(いなりおおかみ)[稲荷神社] が祀られている。 |
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ご朱印対応 |
不明 |
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公式HP |
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