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旧社格など | −−−−− |
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総本社 |
宇佐八幡宮(大分県宇佐市) |
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ご祭神 |
品陀和氣命/誉田別命(ほんだわけ) ※[別名]応神天皇(おうじんてんのう) 建御名方命(たけみなかた) |
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ご祭神について |
品陀和氣命:第15代天皇、皇祖神や武神(弓矢神) ※[八幡神]農耕神、海の神 建御名方神:力持ちの神、武の神、風の神、農耕神、狩猟神 ※元寇で神風を起こした伝承もある。 |
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ご利益 |
出世開運、武運長久、武勇掲揚、勝利祈願、五穀豊穣 他 |
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参拝形式 |
二拝二拍一拝 |
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創建 |
平安時代中頃 |
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由緒 |
平安時代中頃に、白河院の蔵人の任にあった 村上顕清が信濃国に謫流されたとき、この地に武運長久のための弓矢神である八幡大武神のご分霊を勧請したことには始まるとされる。 |
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所在地 |
(〒381-2212)長野県長野市小島田町 |
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最寄り駅 |
●長野電鉄屋代「線金井山」駅より徒歩約27分 |
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その他アクセス |
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電話番号 |
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ポイント |
| ● | 当地は、川中島決戦において、武田信玄と上杉謙信が激突した地、第四次合戦(八幡原の戦い:永禄4年(1561年))の舞台として有名で、境内には、信玄・謙信両雄一騎討ちの像や三太刀七太刀之跡の碑、首塚などがある。 | ● | 当社境内には、「執念の岩」と呼ばれる石が残っている。これは、一騎駆けの上杉謙信に対し、窮地に追い込まれた信玄公のもとに、助太刀に入った原大隅が、今一歩のところで、謙信公を打ち損じたとされ、そのとき、無念さの余り、傍らにあった石を槍で穿ち穴を開けた石というのが、その「執念の岩」と呼ばれて残っている。 | ● | 当地には首塚が残っており、これは、信玄公が敵味方関係なしに、戦死者の亡骸を弔ったとされている。 | ● | 当地で開かれた決戦では、弟の武田信繁をはじめ、信玄公の幹部がかなり戦死しており、山本勘助の墓などもこの地に祀られている。 |
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ご朱印対応 |
あり |
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公式HP |
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