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旧社格など | 県社 |
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総本社 |
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ご祭神 |
天照大神(あまてらすおおかみ) 素戔嗚尊/須佐之男命(すさのお) 軻遇突智命(かぐづちのみこと) ※[別称]火之迦具土神 ※[別記]火産霊神(ほむすびのみこと) 宇迦之御魂神/倉稲魂命(うかのみたま) 久久能智命/句句廼馳(くくのち) おきた姫(おきたひめ) |
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ご祭神について |
天照大神:皇祖神のひとつ、太陽の神 素盞鳴尊:嵐/暴風雨の神、厄除けの神、縁結びの神、安産の守護神 火貝土命:火の神、火防の神(江戸の防火) 宇迦之御魂神:生産の神、五穀豊穣の神 久久能智命:木の精霊神、木の神、茎の神、木の神、原野の神・開拓の神、伊弉諾尊と伊弉冉尊の御子神 おきた姫:現地の伝承に残る人柱となった女性 |
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ご利益 |
所願成就、厄除、除災招福、火防守護、五穀豊穣、商売繁盛、森林守護 他 |
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参拝形式 |
二拝二拍一拝 |
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創建 |
元禄7年(1694年) |
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由緒 |
元々、当地は、岡山藩の藩政確立に大きな役割を果たした津田永忠が、岡山藩主池田綱政の命を受けて、当地の開拓を進めてきたという。そして、元禄7年(1694年)岡山市南部の沖新田干拓地の産土神として、同じく岡山藩主池田綱政の命により当社が建立されたという。元々、岡山市福島の方に鎮座していたが、遷座を繰り返し、岡山市沖元宮地に続き、現在地へと遷座されたという。 |
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所在地 |
(〒702-8001)岡山県岡山市中区沖元411 |
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最寄り駅 |
●JR赤穂線「大多羅」駅より徒歩約57分 |
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その他アクセス |
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電話番号 |
086-277-0196 |
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ポイント |
| ● | 本殿の建築様式:流造 | ● | 当地には、おきた姫に関する伝承があるという。それは、「沖新田の開拓も完成間近、いよいよ最後の潮止め工事となった時、何度やっても翌日になると崩れるという繰り返しだったという。そして、人々は、「これは海の神様の龍神さまのたたりじゃ。龍神さまのおいかりをおさめるには人柱をたてにゃおえんぞ」と信じ込むようになっていたという。当然、この話しを聞いた永忠は大変悩みました。家臣にも相談しましたが、誰にも名案が浮かびません。そんなある夜のこと、会議が全く進展せず一同静まりかえっていた時、永忠の屋敷で奉公している『キタ』という娘が、「私でよろしければ、人柱にたちましょう」と申し出たのです。『キタ』の強い決意に心を打たれた永忠は、「すまぬ、そなたが人柱にたってくれれば、きっと龍神さまも静まって下さるであろう。そして、この工事が完成すれば、何千何万の人々が喜ぶであろう。また、新田ができたあかつきには、そなたを氏神さまにおまつりして、いつまでも感謝する」と約束しましたという。そして、『キタ』は前日から身を清め、人々が見守る中で、潮止め工事の海辺から、白装束・はだし姿で静かに海中に身を投じました。すると不思議に潮流静まり、潮止め工事は完成した」というもので、その故あって、当社でもおきた姫として祀られているという。 | ● | 当社境内にある末社、道通宮(どうつうぐう)は、猿田彦神を祀り、天正10年(1582年)高松城水攻めの際、城主清水宗治の次男・長九朗がかねてより信奉していた道通宮の使いの白蛇に導かれて浅口郡西大島御滝山(現在の笠岡市西大島)に逃れたことに始まるとされる。 |
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ご朱印対応 |
あり |
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公式HP |
http://www.okita-shine.com/ |
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