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旧社格など | −−−−− |
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総本社 |
伏見稲荷大社(京都府京都市伏見区) |
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ご祭神 |
高龗神/高淤加美神(たかおかみ) 宇迦之御魂神/倉稲魂命(うかのみたま) 瓊々杵尊(ににぎ)※[別称]彦火瓊瓊杵命 |
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ご祭神について |
高龗神:水の神、祈雨/止雨の神、灌漑の神 宇迦之御魂神:生産の神、五穀豊穣の神 瓊々杵尊:農業の神/平和と繁栄をもたらす神、日向三代のひとつ |
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ご利益 |
降雨祈願、五穀豊穣、商売繁盛 他 |
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参拝形式 |
二拝二拍一拝 |
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創建 |
宝永6年(1709年)9月11日 |
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由緒 |
氏神勧請の縁起によれば、新田に移り住む人々が増加するにつれ、氏神がない住民の間には、他地へ参る難儀を憂える声が高くなり、宝永6年(1709年)7月23日、名主(村役人)6名が連名のうえ、大庄屋土師治兵衛と共に、当時の郡奉行渡辺助左衛門に氏神勧請願いを差し出した。同年9月3日に藩主池田綱政から許可され、ご神体は邑久郡土師村(長船町)木鍋山鎮座の稲荷神社より御分霊を遷し、宮地は東幸島山の林の内と決定したという。喜びに沸く住民は早速準備万端整えて、幸島新田開拓から25年後の宝永6年(1709年)9月11日めでたくご遷宮を終え、翌12日には奉祝祭を行った。この時、神崎から築渡までの千町川東堤(長さ16町)はご遷宮を祝う幟で埋まり、村民こぞってご神幸の行列をお迎えしたと伝えられている。幟土手の呼称は、登堤とも書き示されているのは、これに由来する。本殿の造立は正徳2年(1712年)12月5日、石鳥居は正徳3年(1714年)、随神門は正徳4年(1715年)、今日の社地の石垣・石段は天保2年(1831年)10月造成である。明治13年3月社殿改築。昭和52年10月には、本殿、幣殿、拝殿は檜皮葺の屋根から、氏子崇敬者の浄財により銅板葺の屋根に大改修され避雷塔も建ち、面目を一新した。なお境内の御厩(神馬舎)は文久2年(1862年)3月、南幸田村の片岡大右衛門源泰の寄進によるものである。 |
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所在地 |
(〒704-8148)岡山県岡山市東区水門町715 |
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最寄り駅 |
●JR赤穂線「西大寺」駅より徒歩約80分 |
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その他アクセス |
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電話番号 |
086-946-1453(宮司宅) |
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ポイント |
| ● | 当社では、境内社として、 1.[忠魂社] 2.[金刀比羅宮] 3.[天神社] 4.[春日神社] 5.[稲荷神社] 6.[素盞嗚神社] 7.[伊勢神宮遥拝所他] などを祀っている。 |
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ご朱印対応 |
不明 |
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公式HP |
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