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饒津神社

饒津神社
饒津神社
基本データ
旧社格など県社
総本社 −−−−−
ご祭神 浅野長政(あさのながまさ)
※[別名]浅野長吉(あさのながよし)
浅野幸長(あさのよしなが)
浅野長晟(あさのながあきら)
浅野長勲(あさのながこと)
[相殿]末津姫(まつひめ)
※[別記]長生院(ちょうせいいん)
※[本名]やや
ご祭神について 浅野長政:安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将・大名、豊臣政権の五奉行筆頭、常陸国真壁藩主、豊臣秀吉の正室・ねね(高台院)の義弟
浅野幸長:浅野長政の長男、紀伊国和歌山藩(紀州藩)の初代藩主、浅野氏宗家初代
浅野長晟:浅野長政の次男、紀伊国和歌山藩(紀州藩)藩主、安芸国広島藩初代藩主、浅野氏宗家2代
浅野長勲:安芸広島新田藩第6代藩主、広島藩第12代(最後の)藩主、浅野宗家13代当主、、日本最初の洋紙製造工場「有恒社」の創始者、、幼少期の昭和天皇の養育係を務める
[相殿]長生院:浅野長政の正室
ご利益 地域守護 他
参拝形式 二拝二拍一拝
創建 宝永3年(1706年)
由緒 当社は、宝永3年(1706年)に、広島藩主浅野綱長により、広島城鬼門の方角に浅野長政の位牌堂を建立したのが始まりとされる。その後、文化7年(1810年)に、浅野重晟・斉賢父子が、新たな位牌堂を建立し、天保6年(1835年)に、浅野斉粛が祖先追悼の為;現在地に社殿を建立し、二葉御社と称したという。明治6年(1873年)、現在の社名へと改称した。
所在地 (〒732-0057)広島県広島市東区二葉の里2-6-34
最寄り駅 ●広島電鉄白島線「白島」駅より徒歩約10分
その他アクセス −−−−−
電話番号 082-261-4616
ポイント
昭和20年(1945年)の原爆の被害は当社にも及び、多数の被爆者の避難所となり、多くの命がこの境内で失われたという。また、この時に10数本の松の木が残ったとされ、現在ではそのひとつが境内に展示されている。
ご朱印対応 あり
公式HP −−−−−
MAP(地図)
イベントスケジュール
その他イメージ
正面鳥居前
境内
境内社(稲荷神社)
被爆松