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総本社宗像大社
所在地(〒811-3505)福岡県宗像市田島2331
系列社宗像神社、宗像社、厳島神社、弁天社、弁天神社、市杵島神社 他
同系神社厳島神社
備考・宗像大社は、宗像三女神を祀る総本社とされ、厳島神社の総本宮の位置付けにあたる。
・宗像・厳島神社の系列社は、全国に7000社以上あるとされ、全国に5番目に多いとされる。
・田心姫神を祀る沖ノ島は、島自体がご神体で、今日でも女人禁制となる。
・沖ノ島は、別名不言島(おいわずのしま)とされ、口外も持ち出しも一切許されない。
宗像神社/厳島神社基本神
[古事記名]市寸島比売命(イチキシマヒメ)
[日本書紀名]市杵嶋姫命(イチキシマヒメ)
[別名]狭依毘売命(サヨリビメ)
[別名]弁才天/辨財天(ベンザイテン)

基本、宗像三女(ムナカタサンジョ)として、多紀理毘売命(タキリビメ)と多岐都比売命(タギツヒメ)と一緒になって祀られることが多いが、厳島神社などでは、単神で祀られることも多いため、宗像三女系列社を代表する神さまと言われれば、このイチキシマヒメということになる。特に、イチキシマヒメだけが、仏教の守護神となる弁財天と習合していることもあり、知名度、人気ともに高く、これも単神で祀られる所以となっている。

元々、イチキシマヒメは、天照大神(アマテラス)と素戔嗚尊(スサノオ)の誓約(うけい)の時に、素戔嗚尊の十拳剣(とつかのつるぎ)から生まれた神で、この時、生まれたのが、この宗像三女となる。また、古事記と日本書紀では、生まれでた順番が異なり、古事記では、2番目、日本書紀では、本文では3番目、第二と第三の一書では1番目に生まれるが、名前が、古事記だと、サヨリビメとして生まれ、それをイチキシマヒメのこととしている。

イチキシマヒメは、元々、斎き島(いつきしま)とされ、神の島を意味し、神に斎(いつ)く島の女性としている。その性質としては、水を司るとされており、後に習合することとなる仏教の守護神、弁財天も、インドのガンジス河の神であることから、何れも水に関わる意味を持つため、国内でも主に、水辺の近い場所に祀られることが多い。また、弁財天習合の影響のため、弁財天の性質も多く引き継いでおり、「才」を「財」とみなす財宝神の役割や河の流れが奏でる音から音楽を司る神とされ、この事から芸事にも優れた意味を持つようになったと考えられている。また、川が農作物を育てることから農業の神としての性質を持ち合わせている。更には、宗像三女の中でもとりわけ美女だったとされることから、美を司るなど非常に多岐に渡り、全体として福を司るとされ、七福神のひとつにも数えられている。
宗像神社/厳島神社あるある神 宗像神社/厳島神社でよくみる神々
一般には、宗像三女として、三柱で一組になるため、以下、2柱の神々は、よく一緒に祀られている。ある意味、男神バージョンとも言える住吉三神も同様に三柱を一組とし、共に海上安全を司ることもあり、非常によく似た構成をとっているのが、興味深いところではある。また、これら二柱の女神も、同じく、アマテラスとスサノオの誓約によって生まれたのだが、この時に、アマテラス側から誕生した5柱の神々と一緒になって、五男三女神として、八王子神社に祀られる組み合わせもある。また、八幡神社などでは、たまに、品陀和氣命(ホンダワケ)とともに、比売大神(ヒメノオオカミ)が祀られることがあるが、このヒメノオオカミを宗像三女とする説も存在する。

[関係神1]多紀理毘売命(タキリビメ)※古事記
田心姫・田霧姫(タゴリビメ)※日本書紀
※[別名]津奥津島比売命(オキツシマヒメ)
タキリビメも誓約で生まれでた順番が異なり、古事記では、1番目、日本書紀では、本文では3番目、第二の一書では2番目、第三の一書では3番目に生まれている。そして、古事記では、大国主命(オオクニヌシ)との間に、味耜高彦根命(アヂスキタカヒコネ)と下照姫神(シタテルヒメ)を生んだとされる。名前のタギリビメは、海上の霧や滾(たぎ)り(水が激しく流れる)をその語源としている。また、これは、スサノオが剣を差し出して、それを噛み砕いて、フッと息を吹き捨てた時の息吹きの霧を表しているとも言える。タギリビメの性質は、その語源にちなんで、霧を司るとも、また、宗像三女が、海上を司る点から、ほぼ同意として、水や海にまつわる女神ともされる。

[関係神2]多岐都比売命(タギツヒメ) ※古事記
湍津姫命(タギツヒメ)※日本書紀
タギツヒメも、誓約で生まれでた順番が異なり、古事記では、3番目、日本書紀では、本文では2番目、第二の一書では3番目、第三の一書では2番目に生まれている。そして、先代旧事本紀では、大己貴神(オオナムチ)との間に、事代主神(コトシロヌシ)を生んだとしている。名前のタギツヒメは、「滾(たぎ)つ」(水が激しく流れる)という言葉を語源にしているとされ、天の安河の早瀬(乱流になっているところ)を示すとされている。その性質は、同じく宗像三女として、海上を司る点からも、ほぼ同意として、水や海にまつわれる女神とされる。

以上、2柱の神々は、宗像三女神として、一括りで祀られることが非常に多い。「神の島、立ちこめる霧、乱れる海」とみると、正に、海上に浮かぶ神の島を示すようだが、航海民から篤い信仰を受けて来たことを考えると、ある種、彼らの神格化された世界観というのを垣間みているようで面白い。そして、その性質は、海上安全、航海安全を司るとされ、住吉三神とその人気を二分する。因に、これら2柱の神々が単神で祀られることは殆どない。仮に宗像三女神から独立する場合でも、夫神や御子神と一緒に祀られることが多く、その場合は、家族神としての色合いで祀られることが多い。
宗像神社/厳島神社のご利益
航海安全元々、航海民が祀り、また、水・海を司る点からも一般的には、航海安全/海上守護の神として有名となっている。

豊漁祈願これも航海民ならではのご利益となるが、航海安全と同じく、豊漁を祈願する場合にも用いられることが多い。

容姿端麗これはどちらかと言えば、イチキシマヒメのご神徳と言えるものかもしれないが、三女の中でもとりわけ美しかったとされることから美の神としての性質を持ち合わせている。ある意味、女神界の中では、浅間神社のコノハナサクヤビメと人気を二分する存在とも言えるかもしれないが、イチキシマヒメの水は、水商売にも通ずると言われることもあり、そうした業界の方たちからも人気があり、コノハナサクヤビメを可憐さと例えるなら、イチキシマヒメは妖婉さを兼ね備える美と解釈することもできなくはない。

水難守護水を司るという観点から水難守護に用いられることも多く、中には、洪水に見舞われた水害地域に、その抑止を目的として厳島神社や弁天社が勧請されるケースもよくある。

技能向上こちらイチキシマヒメというよりは、弁財天としての性質に関わることで、芸事に優れた技能を発揮すると言われている。

商売繁盛こちらもイチキシマヒメの弁財天の資質から、財産・富の神としての性質を持ち合わせていることから商売繁盛のご利益を求めることも多い。同じく、農業の神から発展した解釈としても同様のことが言えるため、豊かさの象徴として、この商売繁盛を祈念することは多い。

※ご利益に関しては、あくまで参考程度にお考え下さい。
宗像神社/厳島神社の歴史
元々は、筑前国(北九州)古族、宗像氏に祀られた地方神に始まるが、最大のターニングポイントは、やはり厳島神社の登場によって、より広域に信仰拠点が広まったことにあると考えられる。更には、三女神のひとつ、市寸島比売命が、弁財天と習合したことも大きな力となり、七福神信仰の流行も手伝って、一般庶民にもその存在感を広く伝えることになったのは、非常に大きかったと考えられる。
(1)宗像三女神の降臨
元々、宗像三女神は、アマテラスの勅命により、皇孫を守るために、この筑紫の地(福岡県の宗像地方東端の鞍手郡鞍手町の六ヶ岳という山)に降り立ったとしている。そして、そのままこの地を統治したとされ、これが、地元航海民の古豪、宗像家の守り神とされ、宗像三女として、信仰を集める基盤が出来上がったとする。また、宗像家は、オオクニヌシの神裔ともされ、同じくスサノオを祖とする点では、非常に近い存在だったとも言える。そして、航海民を中心に、北九州、瀬戸内海を中心に信仰が伝搬していった。
(2)宗像三女神の航海神としての信仰
神功皇后(ジングウコウゴウ)が三韓征伐の際に、当地で、航海の安全を祈ったところ、霊験があったとされる。これにより、宗像三女の航海安全の神という性質は更に高められたとされるが、この場合、住吉系にも同様のことが言えるので、厳密には、どちらに始まるかは定かではない。ただし、八幡系列の総本社である宇佐神宮では、比売大神に宗像三女神として捉えられていることからも、神功皇后と宗像三女に強い結びつきが生まれ、大きな後ろ盾を得たと考えられる。
(3)平清盛の崇敬
宗像三女神崇拝が、瀬戸内海にも及び、厳島神社が創建された後、この地を平清盛が深く崇敬したことは、厳島神社をベースにした宗像三女神信仰を更に高める点に大きく寄与したと言える。
(4)弁財天との習合
宗像三女神のうち、イチキシマヒメが弁財天と習合したことにより、その人気を不動のものとし、更に飛躍的にその信仰エリアを広げ、関東地方にも広く伝搬することが出来た。
このように、幾つかの変遷を経て、段階を踏みながら着実に信仰のエリアを拡大させている。特に、水際に関する信仰が高く、海岸、湾岸部のみならず、河川や沼地といった水際に、その分布をみることが多い。また、水際ではなくても、過去に、洪水などの水害が見られた際に、その抑止のために勧請されるケースも存在する。
神代
(ーーー)
筑紫国
(福岡県)
福岡県の宗像地方東端の鞍手郡鞍手町の六ヶ岳という山に宗像三女神が降臨する。その後、宗像大社のへと続くが、宗像大社の創建時期は不明となっている。

仲哀天皇9年
(200年)
筑紫国
(福岡県)
神功皇后(ジングウコウゴウ)が、朝鮮出兵をし、三韓征伐を果たす。また、この前に、宗像氏が宗像大神に神助を賜ったとされ、その航海安全の霊験があったことから、海神から航海安全の神として、航海民にも広くその存在が知れ渡るようになる。

推古天皇元年
(593年)
厳島神社
(広島県)
その土地の有力豪族であった佐伯鞍職(サエキノクラモト)が社殿造営の神託を受け、御笠浜に社殿を創建する。厳島神社の厳島(いつくしま)とは、市寸島比売命を語源にしているとされる。

孝徳天皇2年
(645年)
宗像大社
(福岡県)
大化の改新によって、国郡制が敷かれ、宗像氏が宗像神郡の大領と宗像大社の神主を兼任し、神郡の行政を司る。

弘仁2年
(811年)
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宗像大社が、延喜式神明帳に載り、官幣大社に列せられる。同じく、安芸の厳島神社が、延喜式神明帳に載り、名神大社に列せられる。

仁安3年
(1168年代)
厳島神社
(広島県)
平家からの崇敬を受けるようになり、平清盛が、現在の社殿を造営し、平家の守り神となる。

中世
(ーーー)
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民間信仰にて、イチキシマヒメが、七福神のひとつ弁財天との習合化が一般浸透化していく。

弘治元年
(1555年代)
厳島神社
(広島県)
毛利元就(モウリモトナリ)が厳島の戦いで、数で勝る陶家に劇的勝利を飾り、厳島を含む一帯をその支配下に置き、毛利元就によって大掛かりな社殿修復を行われた。

明治4年
(1871)
厳島神社
(広島県)
安芸の厳島神社が、国幣中社に列格する。

明治44年
(1911)
厳島神社
(広島県)
安芸の厳島神社が、官幣中社に昇格する。