|
このカナヤマヒコを祀る南宮大社であるが、実は、その創建時期、神武天皇の御代とされるが、その詳細は今ひとつ分かっておらず、非常に謎が多い神社のひとつとなる。南宮大社という社名は、元々、美濃国の国府が北方に設けられていることに対する南側の宮という意味が込められているとしているが、延喜式神明帳には、仲山金山彦神社と記載されていることから、元々の名は、やはり金山彦神社で、全国の金山神社は、この社名からの影響と考えることができる。 |
|
(1) | 神武の東征の影響 社伝によると、神武天皇が即位した後に、この地に祀り、八咫烏を配祀して、東山道の要路を鎮めたとされる。これには、元々、神武天皇の東征において、神武天皇の弓の弭(ゆはず)にとまった黄金色のトビ(鵄)が光り輝き、長髄彦(ナガスネヒコ)の軍を眩ませたという逸話があり、この黄金のトビが最初祀られ、それが何らかの形で、カナヤマヒコに転じた可能性もある。
|
|
(2) | 南宮大社への改称 崇神天皇5年(紀元前93年)11月には、南宮山山上へ遷座し、その後さらに、遷座し、現在の地に至ったという。また、この時、その鎮座地が、国府の南、あるいは古宮の南であったため、南宮とされたという。この古宮の場所は、現在、南宮大社の御旅所である南宮御旅神社と考えられている。
|
|
(3) | 降伏祈願の御神徳 南宮大社のひとつの側面として、「朝敵調伏」の神として信仰を集めた経緯もあり、平将門の乱や元寇の役などの国難の際に、朝廷による降伏祈願が行われ、前九年の役の際には、正一位の神階が与えられたとしている。
|
|
(4) | 金属加工業者の崇拝 基本、金山神社が勧請される地域はある特色が強い傾向にある。それは、金属加工業が盛んな地域に集中しており、とりわけ、鍛冶職人や金属製品の販売業者などに人気を得ている。以下がその地域例。 [1]神田金山神社 ー東京都千代田区神田近辺 [2]金山神社 ー新潟県三条市八幡町
|
|
以上、南宮大社は、爆発的な広がりを見せた感じはあまりないが、鉱山、金、鉄鋼の神として信奉されており、それは、結果として、鍛冶屋を代表とする鉄鋼業関係者を中心に拡大していると考えられる。同時に、それは、鉄鋼をひとつの武器=力と考えれば、朝廷が武神的側面をもって祀ったという類推に及ぶことが出来るが、そのひとつの表れが、「朝敵調伏」の神に現れている。そして、現代では、トヨタ自動車が、創建時に、独自に豊興(ほうこう) 神社を創建し、金山彦神を祀っていることも同様、鉄鋼業信仰のの精神は今なお引き継がれている。因に、一部においては、鍛冶に使う金槌を生産の神として、男根信仰に発展している地域もある。 |
|
神武天皇御代 (BC660年〜) | | 美濃国 (岐阜県) | | 東征の際、神武天皇の弓の弭にとまった黄金色のトビ(鵄)が光り輝き、長髄彦の軍を眩ませる、いわゆる黄金伝説が始まる。 |
|
神武天皇御代 (BC660年〜) | | 南宮大社 (岐阜県) | | 南宮大社の元になるものが八咫烏とともに祀られたとされるが、具体的なことは不明となっている。 |
|
崇神天皇5年 (BC93年) | | 南宮大社 (岐阜県) | | 南宮山の山上に遷座し、更に、そこから現在地へと遷座したとされるが、これもまた詳細は不明となる。 |
|
平安中期 (905年〜) | | 南宮大社 (岐阜県) | | 南宮大社が、延喜式神明帳に、名神大社として、「仲山金山彦神社」の名で掲載される。 |
|
平安末期 (1160年〜) | | 南宮神社 (長野県) | | 木曽義仲公が幼い時、養父中原兼遠に連れられて京に上った時、密かに源氏信仰の本拠である美濃関が原の南宮大社(美濃国一宮)から特に乞い願い、長野県木曽郡の地にご分祀を勧請したとされる。 |
|
慶長5年 (1600年) | | 南宮大社 岐阜県 | | 関ヶ原の合戦で南宮大社の社殿が焼失する。 |
|
寛永19年 (1642年) | | 南宮大社 (岐阜県) | | 徳川家光によって社殿が再建される。 |
|
明治3年 (1871年) | | 南宮大社 岐阜県 | | 近代社格制度によって、南宮大社が国幣中社に列する。 |
|
大正14年 (1925年) | | 南宮大社 (岐阜県) | | 近代社格制度によって、南宮大社が国幣大社に列する。 |
|
大正14年 (1925年) | | 豊興神社 (愛知県) | | 愛知県豊田市に、トヨタ自動車が創業と同時に金山彦神を祀る豊興神社を建立する。 |
|
|
|
|