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総本社南宮大社
所在地(〒503-2124)岐阜県不破郡垂井町宮代峯1734-1
系列社金山神社、金山彦神社、南宮神社、金峯神社 他
同系神社なし
備考・南宮大社は、金山彦神を祀る神社の総本社となる。
金山神社基本神
[古事記名]金山毘古神(カナヤマヒコ)
[日本書紀名] 金山彦神(カナヤマヒコ)

カナヤマヒコは、金山毘売神(カナヤマビメ)とともに、鉱山の神として祀られている。元々は、伊弉冉尊(イザナギ)が、火の神となる火之迦具土神(ヒノカグツチ)を産み落とした後、陰部を炎症し、衰弱していく中で、その嘔吐物の中から生まれ出た神となる。そして、鉱山の神という性質から、鍛冶屋の神、金工職人の神、金物商の神として、崇められており、いわゆる金属加工の神として、代表的な存在となっている。そのため、こういった業種の方々に、篤い信仰を受けており、日本屈指の企業であるトヨタ自動車でも豊興(ほうこう) 神社として、創業当初から、このカナヤマヒコを祀っている。
金山神社あるある神 金山神社でよくみる神々
基本、金山神社で祀られる神さまは、やはりカナヤマヒコが単神として祀られることが多い。そのため、特に、イザナミやヒノカグツチ、また、その兄弟神となる大雷神(オオイカヅチ)、大山祇神(オオヤマツミ)、罔象女命(ミズハノメ)などが共に合祀されることはあまりないのだが、一緒に誕生することとなった金山毘売神(カナヤマビメ)は稀に、一緒に祀られることはある。

[関係神1]金山毘売神(カナヤマビメ)※古事記
金山姫神(カナヤマビメ)※日本書紀
カナヤマビメは、カナヤマヒコと同じ経緯で生まれた神となる。そのため、カナヤマビメは、カナヤマヒコの妹神となり、性質も全く同じ者と言える。
金山神社のご利益
金運上昇これはやはり鉱山の神という性質上、あらゆる鉱物資源の恵みという点で、金目のものという意味も込めて、金運に強いという言い方が出来る。ある意味、商売繁盛と同じと言えるわけだが、その性質を元に考えれば、その中でも金属加工業や金属製品に関連する業種、貴金属業に強いということが出来る。

必勝祈願これも鉱山の性質から派生するものだが、元々、鉱山は、鉄器の象徴であり、武具の要として非常に重宝されてきた。それはある意味、武の象徴と言えるわけで、その性質から派生した考えとすれば、必勝祈願に強いという言い方もできる。

※ご利益に関しては、あくまで参考程度にお考え下さい。
金山神社の歴史
このカナヤマヒコを祀る南宮大社であるが、実は、その創建時期、神武天皇の御代とされるが、その詳細は今ひとつ分かっておらず、非常に謎が多い神社のひとつとなる。南宮大社という社名は、元々、美濃国の国府が北方に設けられていることに対する南側の宮という意味が込められているとしているが、延喜式神明帳には、仲山金山彦神社と記載されていることから、元々の名は、やはり金山彦神社で、全国の金山神社は、この社名からの影響と考えることができる。
(1)神武の東征の影響
社伝によると、神武天皇が即位した後に、この地に祀り、八咫烏を配祀して、東山道の要路を鎮めたとされる。これには、元々、神武天皇の東征において、神武天皇の弓の弭(ゆはず)にとまった黄金色のトビ(鵄)が光り輝き、長髄彦(ナガスネヒコ)の軍を眩ませたという逸話があり、この黄金のトビが最初祀られ、それが何らかの形で、カナヤマヒコに転じた可能性もある。
(2)南宮大社への改称
崇神天皇5年(紀元前93年)11月には、南宮山山上へ遷座し、その後さらに、遷座し、現在の地に至ったという。また、この時、その鎮座地が、国府の南、あるいは古宮の南であったため、南宮とされたという。この古宮の場所は、現在、南宮大社の御旅所である南宮御旅神社と考えられている。
(3)降伏祈願の御神徳
南宮大社のひとつの側面として、「朝敵調伏」の神として信仰を集めた経緯もあり、平将門の乱や元寇の役などの国難の際に、朝廷による降伏祈願が行われ、前九年の役の際には、正一位の神階が与えられたとしている。
(4)金属加工業者の崇拝
基本、金山神社が勧請される地域はある特色が強い傾向にある。それは、金属加工業が盛んな地域に集中しており、とりわけ、鍛冶職人や金属製品の販売業者などに人気を得ている。以下がその地域例。
[1]神田金山神社 ー東京都千代田区神田近辺
[2]金山神社 ー新潟県三条市八幡町
以上、南宮大社は、爆発的な広がりを見せた感じはあまりないが、鉱山、金、鉄鋼の神として信奉されており、それは、結果として、鍛冶屋を代表とする鉄鋼業関係者を中心に拡大していると考えられる。同時に、それは、鉄鋼をひとつの武器=力と考えれば、朝廷が武神的側面をもって祀ったという類推に及ぶことが出来るが、そのひとつの表れが、「朝敵調伏」の神に現れている。そして、現代では、トヨタ自動車が、創建時に、独自に豊興(ほうこう) 神社を創建し、金山彦神を祀っていることも同様、鉄鋼業信仰のの精神は今なお引き継がれている。因に、一部においては、鍛冶に使う金槌を生産の神として、男根信仰に発展している地域もある。
神武天皇御代
(BC660年〜)
美濃国
(岐阜県)
東征の際、神武天皇の弓の弭にとまった黄金色のトビ(鵄)が光り輝き、長髄彦の軍を眩ませる、いわゆる黄金伝説が始まる。

神武天皇御代
(BC660年〜)
南宮大社
(岐阜県)
南宮大社の元になるものが八咫烏とともに祀られたとされるが、具体的なことは不明となっている。

崇神天皇5年
(BC93年)
南宮大社
(岐阜県)
南宮山の山上に遷座し、更に、そこから現在地へと遷座したとされるが、これもまた詳細は不明となる。

平安中期
(905年〜)
南宮大社
(岐阜県)
南宮大社が、延喜式神明帳に、名神大社として、「仲山金山彦神社」の名で掲載される。

平安末期
(1160年〜)
南宮神社
(長野県)
木曽義仲公が幼い時、養父中原兼遠に連れられて京に上った時、密かに源氏信仰の本拠である美濃関が原の南宮大社(美濃国一宮)から特に乞い願い、長野県木曽郡の地にご分祀を勧請したとされる。

慶長5年
(1600年)
南宮大社
岐阜県
関ヶ原の合戦で南宮大社の社殿が焼失する。

寛永19年
(1642年)
南宮大社
(岐阜県)
徳川家光によって社殿が再建される。

明治3年
(1871年)
南宮大社
岐阜県
近代社格制度によって、南宮大社が国幣中社に列する。

大正14年
(1925年)
南宮大社
(岐阜県)
近代社格制度によって、南宮大社が国幣大社に列する。

大正14年
(1925年)
豊興神社
(愛知県)
愛知県豊田市に、トヨタ自動車が創業と同時に金山彦神を祀る豊興神社を建立する。