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旧社格など | 村社 |
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総本社 |
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ご祭神 |
厳永姫命/石長比売命/磐長姫命(いわながひめ) 木花開耶姫命(このはなのさくやびめ) ※[別称]木花咲耶姫命 |
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ご祭神について |
磐長姫命:石・岩の神、永遠の神、不老長生の神 木花開耶姫命:水の神/安産・子育ての神/美の神、花の女神※富士山を抑える役目を果たしていたとされる |
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ご利益 |
健康長寿、安産祈願、子育大願、容姿端麗、火防守護 他 |
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参拝形式 |
二拝二拍一拝 |
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創建 |
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由緒 |
元禄8年(1695年)の「細石神社御縁起」によれば、古くは神田も多く大社であったという。しかし、たびたび兵乱に見舞われ社殿を焼失した。さらに天正15年(1587年)の豊臣秀吉の太閤検地により、神田没収に遭い衰退したとある。 |
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所在地 |
(〒819-1583)福岡県糸島市三雲432 |
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最寄り駅 |
●JR筑肥線「波多江」駅より徒歩約44分[1] |
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その他アクセス |
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電話番号 |
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ポイント |
| ● | 当社のご祭神は磐長姫と木花開耶姫の二座とされ、昔は「高祖神社から神輿の神幸があったとされ、「三代実録」によれば、「元慶元年(877年)、高磯ひめ神に従五位下を授ける」とあり、氏子の話によれば、この高磯ひめ神こそ当社のご祭神にあたると考えられるという。そんな当社は、三雲南小路遺跡のニニギと木之花咲耶姫の墓の拝殿であるとも考えられており、地元考古学者の原田大六によれば、三雲南小路遺跡発掘調査の時に「1号甕棺墓は武器類が多く、2号甕棺墓は玉類が多く、この二つの甕棺は寄り添うようにして埋葬されている事から、これは男と女の墓である。つまり、王と妃の墓である」とコメントしている。 |
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ご朱印対応 |
不明 |
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公式HP |
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