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基本データ |
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旧社格など | −−−−− |
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総本社 |
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ご祭神 |
武内宿禰命 (たけうちのすくね) ※[別称]武内宿祢/御食津大神(みけつのおおかみ) |
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ご祭神について |
武内宿彌命:大和朝廷初期国政補佐官・大臣/中央諸豪族の祖、長寿の神 ※国内初の政務官、大臣的職務を賜った国の功神 |
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ご利益 |
健康長寿、開運厄除 他 |
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参拝形式 |
二拝二拍一拝 |
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創建 |
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由緒 |
かつて、神宮皇后が三韓征伐の際に、当地に寄港したという。その時、お供として仕えていた武内宿禰命は、当地の鏡のように澄んだ小池の水に舌鼓を打ち、ここの銀杏の陰で小憩を取られたと伝えられている。そして、そこから約670年後、ここに年を取っても子宝に恵まれない、ある漁夫がいたという。そして、箱崎宮に参拝し、子授かりの祈願を込めたところ、無事、女児を授かり、まさに、神の申し子として、大切に育てられたという。そして、この女児は、この池を水鏡にして、黒髪を整えていたことから、いつしか、ここを鏡の井と称したという。そんな女児は美しく育ち、13歳を迎えた時、宇多天皇の耳に入り、官女=白梅姫として、内裏に宮仕えすることになったと言われる。その後、北面の武士であった高丘蔵人と夫婦となり、都の食を辞して、故郷に戻って来たという。そして、延喜元年(901年)に、太宰府に菅原道真が配流されると、この白梅宮と高丘蔵人はその警護に任じられたという。道真公が亡くなった後、この二人は、法皇に報告のため、老松若松二人の子どもを翁父母に預け、上京し、そのまま仏門に入り、須磨のあたりで一生を終えたという。そんな武内宿禰命の神話と、この地に縁の深かった松の翁を称え、祀ったと言われている。 |
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所在地 |
(〒812-0054)福岡県福岡市東区馬出2-6-1 |
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最寄り駅 |
●福岡市地下鉄箱崎線「箱崎宮前」駅から徒歩4分[1] |
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その他アクセス |
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電話番号 |
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ポイント |
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ご朱印対応 |
不明 |
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公式HP |
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MAP(地図) |
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イベントスケジュール |
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その他イメージ |
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| | 正面鳥居前 | | | 鏡の井跡 |
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