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旧社格など | 郷社 |
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総本社 |
宇佐八幡宮(大分県宇佐市) |
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ご祭神 |
品陀和氣命/誉田別命(ほんだわけ) ※[別名]応神天皇(おうじんてんのう) 仁徳天皇(にんとくてんのう) ※[別記]大鷦鷯命(おほさざきのみこと) 佐塚大神(さずかおおかみ) ※[同義]伊予・大三島神(いよ・みしまのかみ) ※[同義]大山祇神/大山積神(おおやまつみ) |
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ご祭神について |
品陀和氣命:第15代天皇、皇祖神や武神(弓矢神) ※[八幡神]農耕神、海の神 仁徳天皇:第16代天皇、仁政の天皇、日本最初の大規模土木事業を実施 大山祇神:大山を司る神、山の神の総元締の山神、金運の神 |
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ご利益 |
出世開運、武運長久、国家安寧、金運招福、商売繁盛 他 |
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参拝形式 |
二拝二拍一拝 |
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創建 |
康平年間(1058年〜1065年) |
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由緒 |
往古より相模国茅ヶ崎の総社、八幡信仰の本地として名高く、康平年間(1058年〜1065年)、源頼義が東征の際、石清水八幡にならい、本郡懐島郷矢畑村本社に一社を創立し、後に源家が現地に奉還したと云う。そして、治承年間(1177年〜1181年)に源頼朝が鎌倉由比郷に遷したが、その旧社は存続し本社八幡と称したものと伝えられている。源氏代々が篤く尊敬し、源頼朝は治承年間に懐島の地若干を寄進し、また建久年間(1190年〜1199年)に肥後国有為の庄七百貫を寄せ、懐島権守平景能をして社殿の修復を命じた。弘安4年(1281年)には蒙古軍退散を祈り、その後、永禄元亀年間(1558年〜1573年)に兵火に罹り堂宇・古記録等を焼失した。古くは、本社の別当に十二坊があったが離散し廃坊となった。正保年間(1644年〜1648年)別当常光院の住僧朝恵は山岡氏と相計り社殿を再建した。また参道を整備し松を植えた。慶安2年(1649年)8月には徳川家光が本村の地七石の朱印地を寄進した。明治維新の神仏分離に際し、別当常光院が複飾して祠掌となる。明治6年村社に、昭和9年9月6日郷社に列格している。 |
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所在地 |
(〒253-0086)神奈川県茅ヶ崎市浜之郷462 |
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最寄り駅 |
●JR東海道本線・相模線「茅ヶ崎」駅より徒歩約23分[北口] |
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その他アクセス |
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電話番号 |
0467-82-6725 |
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ポイント |
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ご朱印対応 |
不明 |
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公式HP |
鶴嶺八幡社公式サイト |
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