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武雄神社

武雄神社
武雄神社
基本データ
旧社格など−−−−−
総本社 −−−−−
ご祭神 武内宿禰命 (たけうちのすくね)
※[別称]武内宿祢/御食津大神(みけつのおおかみ)
武雄心命(たけおこころ)
※[別名]屋主忍男武雄心命(やぬしおしおたけおごころ)
足仲彦尊(たらしなかつひこ)
※[別名]仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)
息長帯比売命/息長足姫命(おきながたらしひめ)
※[別名]神功皇后(じんぐうこうごう)
品陀和氣命/誉田別命(ほんだわけ)
※[別名]応神天皇(おうじんてんのう)
ご祭神について 武内宿彌命:大和朝廷初期国政補佐官・大臣/中央諸豪族の祖、長寿の神
武雄心命:第8代孝元天皇皇孫、武内宿禰の父
仲哀天皇:第14代天皇、武の神
神功皇后:仲哀天皇の皇后/応神天皇の母
品陀和氣命:第15代天皇、皇祖神や武神(弓矢神)
※[八幡神]農耕神、海の神
ご利益 健康長寿、武運長久、子孫繁栄、出世開運、子育大願 他
参拝形式 二拝二拍一拝
創建 天平3年(735年)
由緒 『武雄神社本紀』によれば、神功皇后が三韓征伐の帰途に、武雄に兵船を止め、それが御船山に化したという。これにより同行していた住吉神と武内宿禰は御船山の南嶽(船の艫)に鎮座し創祀された。そして、天平3年(735年)のこと。初代神主となる伴行頼のもとに神託が下り、大宰府を通じ朝廷に奏上して武内宿禰を主神にほか4神の神々を合祀して麓に遷座し武雄宮が創建されたとしている。その後、元永年間には武雄2代領主となる後藤資茂が、塚崎城を築城するために、朝廷に奏上して社殿を現在地に遷座。 文治元年(1185年)の壇ノ浦の戦いでは平氏追討祈願を行い、平家を滅ぼした源頼朝は後鳥羽上皇の勅使と名代の御家人を赴かせ、御教書を送り、深く感謝したと言われている。
所在地 (〒843-0022)佐賀県武雄市武雄町大字武雄5335
最寄り駅 ●JR佐世保線「武雄温泉」駅より徒歩約18分
その他アクセス −−−−−
電話番号 0954-22-2976
ポイント
神社の裏手には樹齢3000年を迎える「武雄の大楠」があり、武雄神社の神木となっている。。
ご朱印対応 あり
公式HP http://takeo-jinjya.jp/
MAP(地図)
イベントスケジュール
2月17日歩射祭
10月23日例祭
その他イメージ
入り口正面
参道鳥居
武雄の大楠