神社人メインタイトル
 
10976社
サイト内検索

矢喰天神社

矢喰天神社
矢喰天神社
基本データ
旧社格など村社
総本社 −−−−−
ご祭神 吉備武彦命(きびのたけひこ)
ご祭神について 吉備武彦命:第7代孝霊天皇の子となる吉備津彦命の弟・稚武彦命(わけたけひこ)の子(孝霊天皇の孫)、吉備下道臣の祖、日本武尊の東征に従軍
ご利益 武運長久 他
参拝形式 二拝二拍一拝
創建 −−−−−
由緒 創立年代は不詳。吉備津宮縁起によれば、第十代崇神天皇の時、百済の王子温羅(うら)という者がいた。両眼が大きく、毛髪赤く、頬骨(ほほぼね)強大、身の丈抜群、その性勇悍、腕力絶大、常に仁義を守らず、日本を伺わんとする志があった。本朝に来り、諸州を観覧する内、遂に吉備の国新山に登る。この地方の勝れたるを見てこの所に大門を起こし、城壁を築き、矢倉を立てて城郭となして居を構え、時には西国より、帝京に送る貢物を奪取した。近里往来して人民を悩乱せしめた。時の人この城郭を鬼ノ城(きのじょう)と称し恐れた。天皇勅して大吉備津彦命を派遣して之を征伐せしめられた。すなわち、彦命は兵数1000を率いて東の方吉備の中山に陣し、西の方は日畑西山(倉敷市・楯築山)に出て石楯を築き甲兵を引きい、鬼ノ城に向かい温羅と戦った。彦命、矢を放てば温羅の矢と空中にかみあい海中に飛び入り、其の所に宮を建てて矢喰宮といった。これが今日の矢喰神社となる。彦命再び千鉤の大矢二筋をつがえ発したところ、その一矢は喰合って前の如く海中に飛び入ったが、他の一矢は温羅の左眼に命中した。その流血で流れは川の如くであった。其のところを名づけて血吸川という。是に於て温羅は雉となって山中にかくれたが、命は鷹と化して是を追いました、次には鯉と化して血吸川に入ったので、命は鵜と化して噛んでこれを揚げ、その所を名付けて鯉喰宮といった。温羅、遂にすい旗を垂れ鋒刀をすてて降ったとある。 これが、桃太郎の鬼退治で知られる「桃太郎伝説」の元となる「温羅(うら)伝説」と言われるものとなる。
所在地 (〒701-1354)岡山県岡山市北区高塚108
最寄り駅 ●JR吉備線「足守」駅から約16分
その他アクセス −−−−−
電話番号 0866-99-9931(宮司宅)
ポイント
備中国一宮・吉備津神社と鬼ノ城との直線距離は約10kmある。矢喰宮はほぼその中間地点に位置することから、吉備津彦命の放った矢と温羅が投げた岩とが落ちた場所といわれており、境内には大小4つの岩があり、矢喰の岩と呼ばれている。
ご朱印対応 不明
公式HP −−−−−
MAP(地図)
イベントスケジュール
9月24日例祭
その他イメージ
矢喰いの岩
神門