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基本データ |
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旧社格など | 村社 |
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総本社 |
宇佐八幡宮(大分県宇佐市) |
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ご祭神 |
品陀和氣命/誉田別命(ほんだわけ) ※[別名]応神天皇(おうじんてんのう) 宇遅能和紀郎命(うぢのわきいらつこ) 衝立船戸神(つきたつふなと) 道反大神(ちかえし) 高龗神/高淤加美神(たかおかみ) 闇龗神/闇淤加美神(くらおかみ) |
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ご祭神について |
品陀和氣命:第15代天皇、皇祖神や武神(弓矢神) ※[八幡神]農耕神、海の神 宇遅能和紀郎命:応神天皇の御子 衝立船戸神:杖が神格化した物、禍を防ぐ神 道反大神:伊弉諾尊が、黄泉の国から逃げ帰った際、迫り来る伊弉冉尊へ道を塞ぐために置いた石の神 高龗神:水の神、祈雨/止雨の神、灌漑の神 闇龗神:渓谷の龍神、雨を司る竜神、雨乞い・止雨の神、農業の神、高龗神の対の神とも言われる |
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ご利益 |
武運長久、出世開運、五穀豊穣、天候祈願 他 |
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参拝形式 |
二拝二拍一拝 |
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創建 |
万寿2年(1025年)8月15日 |
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由緒 |
かつて、当地は、海面であったが、一条天皇の御代(986年〜1011年)より次第に埋もれて干潟となり、後一条天皇が、万寿年間(1024年〜1027年)より開墾して新田となし、万寿の庄と称したという。それ以来、住民も集まり、西は馬手島より(天文の頃から松島と称した)東は撫川郷に続き、南は栗坂郷に隣接し、よって万寿上の庄、下の庄と改称した。そして、村民が集議して、万寿2年(1025年)8月15日に、柁東(鍜冶東と称す)の地に当社を勧請、創立したと伝えられる。そして、この地近傍鳥羽天皇以後後正親町天皇永禄天正年間まで青江鍜冶の祖安次より行次、恒次等代々剱工の居住地であった。後鳥羽天皇の時、諸国の良工22人を召され、更に勅して鍛えしめ給い、これを番鍜冶と云う。その中に当地万寿青江の剱工3人までその列に加わっており、隆盛であったことが知られている。この為、代々剱工鍜冶の祖に宇佐八幡の神恩があり、殊更に八幡神を崇敬するようになったと伝えられている。慶長年間(1596年〜1615年)には、山地村(現倉敷市山地、当八幡神社氏子区域隣接)が法華改宗をさせられたとき、山地から若宮を勧請合祀した。(維新前は上東の興性寺が別当。明治7年9月若宮を相殿とす)明治8年には、高龗神、闇龗神の2社を、明治11年2月には、衝戸船戸神、道反神を相殿に合祀し、村社に列し、大正7年、神饌幣帛料供進社に指定された。 |
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所在地 |
(〒701-0111)岡山県倉敷市上東341 |
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最寄り駅 |
●JR山陽本線「庭瀬」駅より徒歩約42分 |
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その他アクセス |
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電話番号 |
086-287-5632(宮司宅) |
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ポイント |
| ● | 境内は木野山神社(祭神大山祇神)の他、地神、等の末社が在る。また、氏子区域には荒神社、疫神社等15の末社がある。 |
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ご朱印対応 |
不明 |
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公式HP |
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MAP(地図) |
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イベントスケジュール |
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その他イメージ |
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| | 正面入り口 | | | 本殿 |
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