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基本データ |
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旧社格など | 郷社 |
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総本社 |
宇佐八幡宮(大分県宇佐市) |
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ご祭神 |
品陀和氣命/誉田別命(ほんだわけ) ※[別名]応神天皇(おうじんてんのう) |
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ご祭神について |
品陀和氣命:第15代天皇、皇祖神や武神(弓矢神) ※[八幡神]農耕神、海の神 |
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ご利益 |
出世開運、武運長久 他 |
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参拝形式 |
二拝二拍一拝 |
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創建 |
長徳元年(995年) |
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由緒 |
当地は神功皇后の行宮が所在した霊地とされ、そこに長徳元年(995年)、周防国の僧、基灯(きとう)が八幡三神を祀る宝殿を建てたことに始まるという。そして、元禄5年(1692年)成立の「寺社御改書上帳」(田中家文書)という史料によれば、長徳元年、基灯が円融寺という草庵を建てるとともに、里人の協力を得て八幡神を祀る宝殿を建てたとされている。基灯は『今昔物語集』巻第13に登場する半ば伝説的な人物で、140歳余の高齢にもかかわらず、30歳ぐらいにしかみえなかったという伝説の僧侶であるため、その真偽は定かでない。その後、保安4年(1123年)、当時山田庄の領主であった源為義が、京都の六条西洞院の自邸に祀られていた石清水八幡宮の分霊である左女牛八幡宮を勧請し合祀したという。六条八幡という呼称はこのことに由来する。歴史的に見れば、山田庄は平家没官領であったものを文治3年(1187年)、源頼朝が左女牛八幡宮に寄進」したものであり(吾妻鏡、若宮八幡宮文書)、六絛八幡宮の実質的な創建はこの頃ではないかと推定されている。以後神仏習合の霊山として足利家代々の篤い尊崇を受けた。 |
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所在地 |
(〒651-1253)兵庫県神戸市北区山田町中字宮ノ片57 |
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最寄り駅 |
●神戸電鉄有馬線「箕谷」駅より徒歩約41分 |
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その他アクセス |
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電話番号 |
078-581-2187 |
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ポイント |
| ● | 本殿の建築様式:三間社流造銅板葺 | ● | 当社の三重塔は、国の重要文化財に指定されている。 |
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ご朱印対応 |
不明 |
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公式HP |
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MAP(地図) |
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イベントスケジュール |
1月19日 | 厄除祭(引目神事) | | 9月第三日曜 | 神幸祭(御輿渡御) | | 10月第2日曜 | 例祭(流鏑馬神事) | |
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その他イメージ |
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 | | 三重塔 |
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