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旧社格など | 県社 |
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総本社 |
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ご祭神 |
菊池武時命(きくちたけとき) 大鷦鷯命(おほさざきのみこと) ※[別記]仁徳天皇(にんとくてんのう) 埴安大神(はにやすのおおかみ) −波邇夜須毘古神/埴安彦命(はにやすびこ) −波邇夜須毘売神/埴安姫命(はにやすびめ) |
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ご祭神について |
菊池武時命:鎌倉時代末期の武将、菊池家の第12代当主、後醍醐天皇による倒幕の魁として博多で玉砕した忠臣の武将、楠木正成よりも忠臣第一の人として評される 仁徳天皇:第16代天皇、仁政の天皇、日本最初の大規模土木事業を実施 埴安姫命/埴安姫命:土の神、田畑土壌の神、地鎮祭の神 |
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ご利益 |
国家鎮護、五穀豊穣、商売繁盛 他 |
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参拝形式 |
二拝二拍一拝 |
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創建 |
明治2年(1869年) |
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由緒 |
元弘3年(1333年)3月11日、鎮西探題に攻め寄せた菊池武時は少弐氏・大友氏の離反によって敗死し、その時、馬上の武時は六本松付近で首が落ち、七隈でその胴体が落ちたといわれる。この際に胴体を祭った胴塚が当社の始まりとされる。しかし、その後胴塚は戦乱の最中に荒廃し、いつしか忘れ去られていったが、天保2年(1831年)、菊池氏の末裔である福岡藩士・城武貞の建白により藩主・黒田斉清の認可を受け墓碑を建立。翌天保3年には武時没後五百年祭を斎行し藩主の幣帛を賜った。そして、明治2年(1869年)には、藩主・黒田長知によって墓碑地に社殿が建立(因に、この晒し首となった菊地武時の首塚は、菊地霊社として祀られている)。大正8年(1919年)、早良郡内の有志によって七隈の氏神である埴安神社が当地に移転合祀される。大正11年(1922年)3月16日、村社に列し、昭和8年(1933年)4月4日には県社に昇格。さらに4月7日に神饌幣帛料供進指定社となり、4月13日の武時没後六百年大祭が盛大に挙行された。 |
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所在地 |
(〒814-0133)福岡県福岡市城南区七隈7-10 |
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最寄り駅 |
●福岡市地下鉄七隈線「七隈」駅より徒歩約3分[1] |
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その他アクセス |
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電話番号 |
092-871-7075 |
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ポイント |
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ご朱印対応 |
不明 |
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公式HP |
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