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黒男神社

黒男神社
黒男神社
基本データ
旧社格など−−−−−
総本社 −−−−−
ご祭神 武内宿禰命 (たけうちのすくね)
※[別称]武内宿祢/御食津大神(みけつのおおかみ)
建沼河別命/武渟川別(たけぬなかわわけ)
ご祭神について 武内宿彌命:大和朝廷初期国政補佐官・大臣/中央諸豪族の祖、長寿の神
※国内初の政務官、大臣的職務を賜った国の功神
建沼河別命:四道将軍の一つ、大毘古命の御子、阿倍臣の祖神
ご利益 健康長寿 他
参拝形式 二拝二拍一拝
創建 仲哀9年(200年)
由緒 仲哀9年(200年)、仲哀天皇は、日向国の熊襲征討のため、神功皇后とともに九州へと下り、筑紫橿日宮(つくしのかしいのみや:現在の福岡市東区の香椎宮)を創建するも、神功皇后が新羅討伐の御神託を受け、これに従わなかったことから、神の怒りに触れ、この地で崩御されてしまう。この為、神功皇后は、夫である仲哀天皇を弔おうと斎宮(いつきのみや)を造営する(聖母屋敷:現在の山田小学校横)。そして、神功皇后は、斎宮に祈祷のために籠る関係、防御が手薄になることを恐れ、武内宿禰命をカタ山に配備したという。そして、この時、皇后に従っていた大彦命(おおびこ)の皇子である武渟川別命も、武内宿禰命と同じく、カタ山に陣を敷いたと言われている。そんな武渟川別命はやがて、同地に宿営する間に、山田在郷の娘と子を授けたといい、その子孫が山田の集落一帯に繁栄したと言われ、これが阿部家の祖先と言われている。そして、その末裔は、武内宿禰命の死後、その御霊を祀り、黒男神社と称えたと言われている。
所在地 (〒811-2502)福岡県糟屋郡久山町大字山田1283
最寄り駅 ●JR香椎線「土井」駅より徒歩約45分
その他アクセス −−−−−
電話番号 −−−−−
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ご朱印対応 不明
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