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旧社格など | 式内社(小社:伊居太神社)論社・村社 |
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総本社 |
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ご祭神 |
穴織大明神(あやはとりだいみょうじん) ※[別称]穴織媛(あやはとりのひめ) 品陀和氣命/誉田別命(ほんだわけ) ※[別名]応神天皇(おうじんてんのう) 仁徳天皇(にんとくてんのう) ※[別記]大鷦鷯命(おほさざきのみこと) |
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ご祭神について |
穴織媛:呉の国から渡来し、日本に機織技術を伝えたとされる織姫、4姉妹の次女で呉服媛の妹 品陀和氣命:第15代天皇、皇祖神や武神(弓矢神) ※[八幡神]農耕神、海の神 仁徳天皇:第16代天皇、仁政の天皇、日本最初の大規模土木事業を実施 |
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ご利益 |
商売繁盛、技芸上達、出世開運、武運長久、国家安寧 他 [対応業種]着物業 |
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参拝形式 |
二拝二拍一拝 |
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創建 |
仁徳天皇77年(389年) |
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由緒 |
当社は、池田市最古の神社と言われ、「織姫伝説」にまつわる神社として有名である。応神天皇の時代(270年〜310年)、機織・縫製技術を得るために呉の国に派遣された猪名津彦命(いなつひこ)が、呉王に乞い呉服媛(くれはとりのひめ)・穴織媛(あやはとりのひめ)・兄媛(えひめ)・弟媛(おとひめ)の4姉妹を連れ帰ったという。そのうち、池田の地に迎えられた呉服・穴織姉妹の妹、穴織媛が祀られている。また、この穴織媛は、別名、綾織媛(あやはひめ)とも表記され、当地名と同一のものとなる。そして、仁徳天皇76年(388年)に穴織媛が死去し、その翌年に仁徳天皇がこの地に当社を建てたと伝えられる。そして、延暦4年、桓武天皇の勅命により社殿を新たに、応神天皇、仁徳天皇を祀るようになったと言われる。現在の社殿は、織田信長の摂津国への入国により焼失後、慶長9年(1604年)に豊臣秀頼によって再建されたという。 |
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所在地 |
(〒563-0051)大阪府池田市綾羽2-4-5 |
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最寄り駅 |
●能勢電鉄妙見線「絹延橋」駅より徒歩約9分 |
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その他アクセス |
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電話番号 |
072-751-4652 |
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ポイント |
| ● | 『延喜式神名帳』に掲載されている摂津国河辺郡の伊居太神社の論社の一つとされており、もう一つの論社は兵庫県尼崎市の伊居太神社(いこたじんじゃ)となっている。 | ● | 当社は、池田市室町に鎮座する呉服神社を「下の宮」とされるのに対し、「上の宮」と称される。 |
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ご朱印対応 |
不明 |
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公式HP |
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