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旧社格など | 式内小社・村社 |
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総本社 |
石切劔箭神社(大阪府東大阪市) |
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ご祭神 |
宇摩志麻遅命(うましまじ) ※[別記]可美真手命(うましまで) ※[別記]味間見命(うましまみのみ) ※[通称]石切大明神(いしきりだいみょうじん) 饒速日命(にぎはやひ) |
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ご祭神について |
宇摩志麻遅命:饒速日命の御子神、物部氏の祖神、鎮魂祭の開祖 饒速日命:ニニギより先に十種の神宝を携えて降臨を果たしたとされる神、天火明命(ニニギの兄神)との同一説あり、鎮魂、健康の神、物部連、穂積臣、采女臣の祖神、宇摩志麻遅命の父神 |
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ご利益 |
鎮魂祈願、病気平癒(ガン平癒)、悪縁切り 他 |
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参拝形式 |
二拝二拍一拝 |
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創建 |
皇紀2年(紀元前659年) |
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由緒 |
創建年代は、火災により社殿及び宝庫がことごとく消失したため詳らかではないが、 代々の社家「木積」家では、皇紀2年(紀元前659年)に生駒山中の宮山に可美真手命が饒速日尊を奉祀されたことに始まるとし、崇神天皇の御世に可美真手命が奉祀されたという。 現在確認できる文献では、日本三代実録(巻十一)に「貞観7年9月22日に河内国正六位の石切劔箭神社従五位下を授く」との記述がみられ、延喜式神名帳にも「石切劔箭命神社二座」とみられる。 宮山の地にあった祭祀の場は、いつの頃か現上之社の場所に遷され、さらに明治38年には現在の本社本殿に合祀された。 その後も、上之社のあった土地は、奥の院として信仰を集め、昭和7年に解体保存されていた本社の旧本殿を上之社に移し、昭和47年に往古の姿を取り戻した。 |
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所在地 |
(〒579-8011)大阪府東大阪市東石切町1-1-1 |
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最寄り駅 |
●近鉄けいはんな線「新石切」駅より徒歩約8分 |
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その他アクセス |
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電話番号 |
072-982-3621 |
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ポイント |
| ● | 「石切さん」「でんぼ(腫れ物)の神様」として親しまれ、本殿前と神社入り口にある百度石の間を行き来するお百度参りが全国的に有名。 | ● | 当社の境内社の一つ、乾明神社 では、應壅乾幸護彦(おうよういぬいこうごのみこと)なる者が祀られており、江戸時代中頃の人物で、当地の信望高い庄屋で、飢饉と重税にあえぐ人々の代表となり、直訴したかどで極刑に処せられたという。 | ● | 当社の鳥居は非常にユニークな形をしている。 |
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ご朱印対応 |
あり |
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公式HP |
http://www.ishikiri.or.jp |
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