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旧社格など | 県社 |
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総本社 |
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ご祭神 |
素戔嗚尊/須佐之男命(すさのお) 奇稲田姫命/櫛稲田姫命(くしなだひめ) 菅原道真(すがわらのみちざね)公 品陀和氣命/誉田別命(ほんだわけ) ※[別名]応神天皇(おうじんてんのう) |
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ご祭神について |
素盞鳴尊:厄除けの神、縁結びの神、安産の守護神 奇稲田姫命:稲田の女神 ※スサノオ神の妻/オオクニヌシの母 =一組みの夫婦神:縁結び 菅原道真公:学問の神、雷神 品陀和氣命:第15代天皇、皇祖神や武神(弓矢神) ※[八幡神]農耕神、海の神 |
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ご利益 |
家内安全、商売繁盛、厄除、身体健全、学業成就、合格祈願、出世開運、武運長久 他 |
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参拝形式 |
二拝二拍一拝 |
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創建 |
大同2年(807年) |
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由緒 |
大宮の氷川神社を勧請したとも、京都の北野神社を勧請したともいわれているが定かではない。この三芳野という社名は在原業平の『伊勢物語』に出てくる「入間の郡三芳野の里」という地名が川越の旧地名であるからつけられたという。現存する社殿は、寛永元年(1624年)、川越城主酒井忠勝が3代将軍徳川家光の命を受けて造営したもので、鈴木近江守長次によって再興された。翌寛永2年には、天海大僧正を導師として遷宮式が行われた。これ以後、喜多院、仙波東照宮とともに江戸幕府の直営社となる。その後、明暦2年(1656年)には、4代将軍徳川家綱の命を受けた川越城主松平信綱により大改造が行われ、施工には木原義久が請け負った。この大改造の時に江戸城二の丸の東照宮本殿を移築し当本殿とし、寛永に建てられた拝殿との間に幣殿を新しく設け、権現造りの形態とした。 |
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所在地 |
(〒350-0053)埼玉県川越市郭町2-25-11 |
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最寄り駅 |
●東武東上線「川越市」駅より徒歩約29分 ●西武新宿線「本川越」駅より徒歩約25分 |
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その他アクセス |
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電話番号 |
049-224-0551(氷川神社) |
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ポイント |
| ● | 童歌「通りゃんせ」は当社の参道が舞台と言われている。もともと、当社は川越城築城により天神曲輪に位置することになり「お城の天神さま」と呼ばれていた。しかし、城内にあることから一般の参詣ができなくなってしまい、更には、その信仰が篤いことから時間を区切って参詣することが認められることになる。しかし、参拝するには川越城の南大手門より入り、城内を歩き回らなければならず、一般の参詣客においても紛れて密偵が城内に入り込む可能性がったことから、帰りの参詣客は警護の者によって厳しく調べられることになる。そのことから「行きはよいよい、帰りは怖い……」と唄われるようになり、それが伝わっていったものと思われる。 | ● | 本殿の脇には「川越城の七不思議」にでてくる「初雁の杉」伝説の3代目にあたる杉の木が立っている。 | ● | 当社は、川越氷川神社の兼務社となり、川越氷川神社にて御朱印を受けることができる。 |
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ご朱印対応 |
あり |
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公式HP |
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