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下御霊神社

下御霊神社
下御霊神社
基本データ
旧社格など府社
総本社 上御霊神社(京都府京都市上京区)
下御霊神社(京都府京都市上京区)
ご祭神 八所御霊:
−吉備聖霊(きびのせいれい)
※[別名]吉備真備(きびのまきび)
※[別称]吉備大臣
−崇道天皇(すどうてんのう)
※[別称]早良親王(さわらしんのう)
−伊予親王(いよしんのう)
−藤原大夫人(ふじわらだいぶじん)
※[別記]藤原吉子(ふじわらのよしこ)
−藤原大夫神(ふじわらだいふのかみ)
※[別称]藤原広嗣公(ふじわらのひろつぐ)
−橘大夫(たちばなのたいぶ)
※[別称]橘逸勢(たちばなのはやなり)
−文大夫(ふんたいぶ)
※[別称]文屋宮田麻呂(ふんやのみやたまろ)
−火雷天神(からいてんじん)※[同類]菅原道真公
[相殿]霊元天皇(れいげんてんのう)
ご祭神について 吉備真備:地方豪族吉備氏の一族
早良親王:奈良時代末期皇族、光仁天皇皇子、祟り神
伊予親王:平安時代初期の皇族、桓武天皇の第三皇子、謀反の罪を着せられ幽閉
藤原大夫人:伊予親王の母
藤原広嗣公:藤原広嗣の乱を主導者
橘逸勢:平安時代の書家・貴族、三筆のひとり、最澄や空海と共に遣唐使として唐に渡る、「橘秀才(きっしゅうさい)」と称された人物、承和の変で流罪
文屋宮田麿:平安時代初期の官人
火雷天神:上記6名の荒魂、菅原道真の荒魂
霊元天皇:江戸時代前期の第112代天皇
ご利益 疫病退散、家内安全、家業繁栄、学業成就 他
参拝形式 二拝二拍一拝
創建 承和6年(839年)
由緒 建立は平安初期。社名は上御霊神社に呼応するものである。また、延喜式神名帳に記載される出雲井於神社(式内大社)を当社に比定する向きもある。社伝によれば、当初は、出雲氏一族の居住地にあった下出雲寺の鎮守社に大和国宇智郡の霊安寺御霊社に祀られていた伊予親王(桓武天皇の第三皇子)とその母の藤原吉子の怨霊をなだめるため、承和6年(839年)に祀ったのが始まりといわれている。 伊予親王は、大同2年(807年)、式家藤原仲成の陰謀により、反逆の首謀者であるとされ母藤原吉子とともに川原寺(弘福寺)に幽閉されたが無実を訴えて絶食した後、毒を飲んで自害している。下御霊神社では、後に早良天皇(崇道天皇)、藤原広嗣、橘逸勢、文屋宮田麻呂、吉備真備、火雷天神を加えた八柱の御霊を祀ることから八所御霊ともいう。相殿に霊元天皇を享保17年(1732年)祀っている。
所在地 (〒602-0875)京都府京都市中京区寺町通丸太町下ル下御霊前町
最寄り駅 ●京阪電気鉄道鴨東線「神宮丸太町」駅より徒歩約6分[4]
その他アクセス −−−−−
電話番号 075-231-3530
ポイント
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ご朱印対応 あり
公式HP http://shimogoryo.main.jp/
MAP(地図)
イベントスケジュール
8月17-18日例祭
その他イメージ
正面鳥居前
境内社(神明・八幡・春日・猿田彦)