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旧社格など | −−−−− |
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総本社 |
上御霊神社(京都府京都市上京区) 下御霊神社(京都府京都市上京区) |
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ご祭神 |
八所御霊: −崇道天皇(すどうてんのう) ※[別称]早良親王(さわらしんのう) −井上皇后(いのえこうごう) ※[別称]井上内親王(いのえないしんのう) −他戸親王(おさべしんのう)※[別称]他部親王 −藤原大夫神(ふじわらだいふのかみ) ※[別称]藤原広嗣公(ふじわらのひろつぐ) −橘大夫(たちばなのたいぶ) ※[別称]橘逸勢(たちばなのはやなり) −文大夫(ふんたいぶ) ※[別称]文屋宮田麻呂(ふんやのみやたまろ) −火雷天神(からいてんじん)※[同類]菅原道真公 −吉備真備(きびのまきび)※[別称]吉備大臣 |
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ご祭神について |
早良親王:奈良時代末期皇族、光仁天皇皇子、祟り神 井上内親王:第45代聖武天皇の第一皇女、第49代光仁天皇の皇后、他戸親王の母親 他戸親王:第49代光仁天皇/井上皇后の子 藤原広嗣公:藤原広嗣の乱を主導者 橘逸勢:平安時代の書家・貴族、三筆のひとり、最澄や空海と共に遣唐使として唐に渡る、「橘秀才(きっしゅうさい)」と称された人物、承和の変で流罪 文屋宮田麿:平安時代初期の官人 火雷天神:上記6名の荒魂、菅原道真の荒魂 吉備真備:地方豪族吉備氏の一族 |
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ご利益 |
災難除け、厄除開運、こころしずめ、家内安全、家業繁栄、安産祈願、学業成就、書道上達 他 |
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参拝形式 |
二拝二拍一拝 |
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創建 |
延暦13年(794年) |
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由緒 |
延暦13年(794年)に、平安京遷都にあたり桓武天皇の勅願によって崇道天皇(早良親王)の御神霊を現在の社地に祀り、京都の守護神としたことに始まる。その後、仁明天皇、清和天皇両朝に至り、井上大皇后、他戸親王、藤原大夫人、橘大夫、文大夫の神霊が合祀され、貞観5年(863年)5月、神泉苑に六所の神座を設け悪疫退散の御霊会を勅修せられた。その後、更に火雷神と吉備大臣を併祭されるに至り、世に八所御霊、または八所御霊大明神と称され、国家守護、禁裏産土神、都民擁護の神社として長久に鎮座されたという。また、御所の南に鎮座する下御霊神社とともに、皇室の産土神(守り神)とされた。 |
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所在地 |
(〒602-0895)京都府京都市上京区上御霊前通烏丸東入上御霊竪町495 |
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最寄り駅 |
●地下鉄烏丸線「鞍馬口」駅より徒歩約4分 |
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その他アクセス |
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電話番号 |
075-441-2260 |
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ポイント |
| ● | 貞観御霊会は御霊祭の起源であり、以来その伝統は一千百余年連綿として継承され、現在祭礼当日渡御される神輿は後陽成天皇、後水尾天皇、牛車は後陽成上皇より寄進せられ、氏子町中より供奉される指鉾も歴朝の寄進多く、いずれも往時をしのぶ由緒深き貴重な文化財となっている。 |
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ご朱印対応 |
あり |
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公式HP |
http://www.kyoto-jinjacho.or.jp/shrine/02/004/index.html |
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