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およそ2000年以上の歴史を誇る神社の歴史は実にさまざまで、各時代には、社格制度というものを設け、神社の格式の体系化を図る作業が何度か行われて来ました。よく、「○○國一宮(いちのみや)」と呼ばれるものを耳にしたことのある方もいらっしゃると思いますが、これもそうした社格制度の名残となります。

しかし、日本の神社における社格制度は、決して永久体系に則ったものではないため、幾つかの種類が存在します。しかも、当時を示す文献が不十分なため、一体その神社が現在のどの神社が指すのかといった論争も各所で行われ、地域によっては、複数の神社がその社格を自認するといったケースまで存在します。

そのため、非常に複雑かつ分かりにくいのも事実ですが、こうした社格は由緒・歴史を伝える名残でもありますので、各地での神社参拝における一つの参考にされるのはいいかもしれません。
最古の社格:式内社(しきないしゃ)
日本最古の社格と呼ばれるものに、「式内社」というものがあります。これは、延長5年(927年)に編纂された『延喜式(えんぎしき)』と呼ばれる当時の法令集の巻9・10の中に収められた『延喜式神明(えんぎしきしんみょうちょう)』に掲載された神社のことで、ここには当時のいわゆる「官社」に指定された全国の神社一覧が掲載されております。

当時は、神祇官(じんぎかん)と呼ばれる祭祀を司る国家機関があり、その神祇官が一覧を作成しており、『延喜式』に掲載されているということから「式内社」と呼ばれております。そしてこれら一覧はいくつかの社格に選別されており、「霊験あらたか」という観点からも一つの目安となっております(官社制度)。ただし、書面上には祭神名や由緒などの記載がないことからどの神社を意味するのか判然としない部分もあります。具体的には以下の通りに選別されます。
社格1社格2掲載数備考
官幣(かんぺい)社:朝廷管理大社198社304座京の都を中心に分布
小社375社433座
国幣(くにべつ)社:国司管理大社155社188座地方各地に分布
小社2133社2207座
名神大社(みょうじん):霊験著しい神社大社203社285座上記大社より選抜
「大社」と「小社」の違いは、厳密な定義があるわけではなく、当時の社勢の違いによるものとされてます。また、官幣社が、中央直轄系の神社となるため、京都を中心とした畿内に集中し、国幣社は、全て畿外(地方)に指定されているという違いはあります。更には、その中でも霊験が著しく高いと認められた場合、「名神」というタイトルが授けられ、その全てが大社であったことから、「名神大社」と呼ばれておりました。

ただ、そんな官社制度も律令制が崩壊後、中央の基準から外れることとなり、明治時代に改めて、官幣社/国幣社を用いた社格制度が復活するようになります。しかし、そのタイトルは同じでも、意味合いとしては大きく異なるため、こちらの場合には、やはり「式内社」と表記された上で、実際の社格が表示されることが多く、その点は注意が必要です。

(例)
・広瀬大社(ひろせたいしゃ):「式内社・官幣大社」→古い社格制度の官幣大社
・明治神宮(めいじじんぐう):「官幣大社」→近代社格制度の官幣大社

神社人データベース内の式内社を見る
神社人データベース内の名神大社を見る
朝廷主導の社格:二十二社(にじゅうにしゃ)
律令制が崩壊後は、武家社会が台頭するにつれて、新たな社格制度が誕生します。それが、「二十二社制度」です。これらは、朝廷から国家の重大事時に(天変地異も含む)、朝廷から特別に幣帛(ヘイハク)と呼ばれる神への貢ぎ物を賜ることが許された(この行為を奉幣(ホウベイ)という)非常に格式の高い神社を意味します。そして、その数が22社あったことから二十二社と呼ばれております。

基本、この二十二社は、上七社中七社下八社の三等に区分され、小さいながらもこれをひとつの社格として長年用いられることになりました。しかし、これら22社の選考基準は、天皇家と藤原家にゆかりの深い神社に限定されてしまったため、地域としても、西日本を中心とする非常に偏りの大きいものとなっております。言い換えれば、これは、天皇と都を守護する目的のため選定された神社となりますので、全国区の式内社とは方向性が大きく異なっています。

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全国を代表する社格:一宮(いちのみや)
実は「二十二社」が設けられた時代、もう一つ、代表的な社格として設けられました。それが、「一宮制度」と呼ばれるものです。こちらは方向性として、「二十二社」とは異なり、全国一律となり、どちらかと言えば、官社制度に近いものとなります。しかし、実際には、その成立年代から選定根拠まで非常に謎が多い為、解釈が非常に難しい社格となります。

具体的には、当時の令制国、66カ国の中より、地域ごとに最も格式の高い神社を示したものになるのですが、地域によっては、「二宮」、「三宮」へと社格が続く地域も存在します。傾向としては、ご祭神に国津神系の神を祀る神社が多く、これは、いわゆる地主神との連携によって地域住民との結びつきを高めることを目的にしたのではないかとの指摘もありますが、基本、これらは式内社から選定されています。

ただし、現在では、当時の一宮を厳密に指定する文献などに恵まれていないことから、地域によってはその一宮を示す神社に対して、複数の神社が名乗りを上げている場所もあります(これら推論に仮定される神社のことを論社と言います)。この場合、論社が定まらないがために、複数の自称一宮が乱立している状況になっております。さらには、明治以降、新一宮として、北海道や沖縄などの神社後進地域にも新たに一宮が6社追加されることになり、これにより現在、ほぼ全国均等に社格の高い神社を網羅できるようになっております。その数は、新一宮も含めおよそ112社の一宮神社が存在しています。

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明治時代近代最後の社格:近代官社制度
明治時代に入ると仏教との習合により、より複雑化した神社も神仏分離令のもと再編成が行われ、社格制度も新たに設けられるようになります。それは、大きく分けて、三種類の社格に分類されます。
社格1特徴例祭時幣帛の供進元備考
官社(官国幣社)
①官幣社(大社)二十二社や天皇・皇族を祀る神社皇室(宮内省)神祇官の祭祀
②官幣社(中社)
③官幣社(小社)
④国幣社(大社)地方一宮並びに有力神社国庫地方官(国司)の祭祀
⑤国幣社(中社)
⑥国幣社(小社)
⑦別格官幣社国家の功労者を祀る神社官幣小社と同待遇
諸社(民社)
①府社・県社都道府県庁
②郷社府県または市行政機能も付与
③村社
無格社上記に属さない神社60,496社(約50%)
官社には、①〜⑦の序列によって階級されており、唯一「別格官幣社」だけが序列としての明確な位置は記されていなくても、「官幣小社」と同じ待遇がはかられていたといいます。そして、車格としては非常に細かく対応しており、中央集権的に管理することによって、江戸時代に檀家制度が戸籍の役割を果たしたのと同様、こちらも同様の機能を果たしたと言われます。しかし、第二次世界大戦後には、GHQによる神道指令によって廃止されることになりました。
失われた社格制度:現在の神社の格式
現在では、過去に見られたような社格制度というものは存在しません。それは、近代社格制度が、敗戦後、GHQの神道指令によって廃止されたことにあります。そのため、多くの神社では、時代を遡って、当時の社格をその格式として利用している程度となっております。

また、現代では、多くの神社の主導的役割を果たしている神社本庁が、伊勢神宮は別格と仰ぎながらも、その他神社に関しては原則すべて平等という立場も少なからず影響している部分もあります。
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