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2月は節分の季節がやって参りました。「鬼は〜外、福は〜内」とはよく耳にしますが、そもそも、「節分」とは何かと聞かれても意外に答えられないものです。ということで、今回は、節分特集ということで、「節分」について、一回振り返ってみましょう。
節分とはいつのことを言うの?
実は、この「節分」という言葉は、別に、2月の特定の日を指す言葉でも何でもありません。というのは、「節分」は、本来その元の意味をもってすると、年に4回もあるからです。というのも、この言葉の意味は、そのものずばり、「季節の分かれ目、節目」を意味するのです。ですので、本来の意味で申し上げれば、『「立春、立夏、立秋、立冬」の前日』という意味で、「節分」は年に4回もあると言えるのです。

立春:正月節=旧暦の12月後半〜1月前半=新暦の12月下旬〜4月上旬
立夏:四月節=旧暦の3月後半〜4月前半=新暦の3月下旬〜6月上旬
立秋:七月節=旧暦の6月後半〜7月前半=新暦の6月下旬〜9月上旬
立冬:十月節=旧暦の9月後半〜10月前半=新暦の月下旬〜12月上旬
そんな「立春、立夏、立秋、立冬」は、いわゆる「二十四節気」に数えられる節目の一つで、これは、1太陽年を24等分した季節の区切りとなります。昔は、月の満ち欠けを元にした太陰暦を仕様しておりましたが、それでは、農作業をするのに、季節とのズレが生じてしまいますので、この「二十四節気」が併用されていたんですね。

そもそも季節感というものは、太陽の位置、運行に大きく影響されることを考えれば、この二十四節気が尊ばれたのも何となく分かりますね。ということで、中でも春夏秋冬の節目を導く、この4つの節気は、非常に大きな役割を担っていたというわけです。それがいつの間にか、この「立春」の節分だけが習慣として残り、まるで、この立春の節目のみを指すかのように感じられるようになってしまったということですね。

ただし、そうは言っても、別にこの2月3日が必ずしも、この節分を迎える上での決まった日というわけでもありません。「立春」はあくまで、太陽黄経が315度の時節を意味し、太陽の運行に大きく左右されます。ちょと、分かりにくいかもしれませんが、一年の周期には4年に一度の閏年を迎えるように、太陽の運行を元にした太陽暦を使用していたとしても、やはりそこには相応の調整が必要となってしまうわけです。「立春」もその日付は数十年にわたる周期でズレが生じるようで、そのため、必ずしも2月3日という日付が節分になるというわけでないようです。ただ、1985年から2024年頃までは、この2月3日が続くとされていますので、まぁ、当面は、2月3日に節分を迎える感覚でいても決して間違いではないのかもしれません。

ちなみに、この日付は、昔の人たちは、旧正月を迎えるにあたって、晦日に近い感覚を持っていたと言われています。まぁ、旧暦の暦は日付がかなり前後しますので、これも大晦日とまったくの同じとは言えませんが、昔の人の感覚から言えば、この「立春」を迎える節目は、旧暦の正月にかなり近いこともあって、感覚としてまさに、一年の始まりを意味していたと言えるでしょう。当時は、年越し蕎麦と同様、節分にも蕎麦を食べていたとも言いますが、そう考えると、節分の迎え方も心象として大きく変わってくるのかもしれませんね。

何で豆まきをするの?
実は、これは古代の人たちの時間に対する考え方が大きく影響します。むかしは、こうした季節の変り目、つまり節目は、『万物の魂が不安定になり、様々な邪気が入り込む不安定な時期』と考えておりました。だから、この邪気を祓う必要があったんですね。それが、この「豆まき」に対する元の考え方です。

確かに、季節の変わり目って、寒暖の変化によって、体調を崩し易くなりますし、中には、古傷がうずいたり、些細な季節感の変動は体調や気持ちに無意識の変化を与えますよね。今では、これも科学的にも証明されることも大きいですが、多分、昔の人たちはこれを感覚的に覚えていて、これを邪気がもたらすものと考えていたのではないでしょうか。まさに、生きた知恵がここにもあるというわけです。
そんな「豆まき」は、「邪気を祓う」行為になるわけですが、その原点は、古代中国で大晦日に行われていた「追儺(ついな)」という行事にあると言われます。これは、「邪気や疫病を祓うために鬼の面を被った人を桃の木で作った弓矢で討って追い払う」というもので、何やら、「鬼と桃」という組み合わせは、「桃太郎伝承」でもそうですし、「イザナギがヨモツシコメから逃れる時に投げた桃」といい、何だか深い意味がありそうで気になるところもありますが、これが奈良時代に伝わり、「続日本紀」によれば、第42代文武天皇の慶雲3年(706年)に宮中で行われたといい、それが宮中行事として定着したものが、貴族、庶民へと伝播したと言われています。

ただし、鎌倉時代までは、これも大晦日の夜に行われていたようで、まぁ、時期も手法も多少変わってはおりますが、鬼を邪気に見立てて追い払うという儀式が、こういう流れを伴って入って来たということは分かります。しかし、それが、いつどのタイミングで、「豆まき」に移行したのかは不明ですが、古い故事に、『第59代宇多天皇の時代(887年〜897年)、鞍馬山の鬼が都を荒らしていたのを、毘沙門天のお告げにならい、鬼の穴を封じて、三石三升(455キロ?)の炒り豆(大豆)で鬼の目を打ちつぶし、災厄を逃れた』とあるそうで、これが実質、豆まきの元になっているとも言われているようです。

そんな豆は、「穀物の生命力と魔除けの呪力が備わっている」と言われている他、「鬼=魔」とされ、」「魔目(まめ)」を鬼の目に投げつけて、「魔滅(まめ)」になるという語呂合わせ的な意味合いも福んでいるようですが、室町時代の応永32年(1425年)の「看聞(かんもん)日記」には、既に、節分で豆まきが用いられた記述があるようで、この時に用いられる「鬼は外、福は内」というかけ声も、文安4年(1447年)の「臥雲日件録」に記されているとあるようなので、室町時代には今の原型がおおよそ出来上がっていたとは言えるでしょう。
豆まきの注意点
それでは、実際に豆まきをするにあたって、どんな点に注意をすれば良いのでしょうか。まぁ、厳密には、ここにルールなどというものはありませんし、地域性によって多少の違いもありますので、必ずしも正しい作法というものがあるわけではありません。ですので、ちまたでささやかれている作法も含め、あくまでご参考程度にご参照ください。
[1].部屋の換気を十分に行う!
やはり、禍々しい鬼(魔)を祓う儀式と考えれば、それを外に追いやるのが、豆まきの本懐ですからね。やはり十分な換気のもと行うのが道理と言えるでしょう。ですので、豆まきを行う際は、多少、寒くても家の窓を全開にして、気の流れを充実させましょう。
[2].使用するお豆は炒った大豆を使う!
「何故、炒った大豆を使うのか」というきちんとした答えは実はありませんが、一部には、「炒る」は「射る」に通ずるという指摘もあるようです。確かに、元は、追儺は、豆をまくのではなく、弓を射ってましたからね。あながち分からない指摘ではありません。ただ、生の豆は、そこから芽(魔)が出てくるので縁起が悪いと言われており、本来は、お祓いを行った豆を使用されるようで、そういう意味では、この豆は神社やお寺から受けたものを使用するのが一番良いのかもしれませんね。もちろん、「そんな時間がない!」という場合でも地域によっては、豆を神棚に供えてから撒くというところもあるようで、市販のものを供えた上で撒くというのもありなのかもしれまれません。また、中には、落花生を代用する地域もあるようですが、何だか落花生だと痛いというより、鬼も喜びそうなフワフワ感がしますね(笑)。
[3].豆まきは本来家長か年男がまく!
まぁ、これは必ずと言ってしまうと時代的にも厳しい部分もあるのかもしれませんが、元々は、家長たる父親が行うか、その年と同じ干支に生まれた男性が撒き手となるもののようです。でも、子供に鬼役をやらせるというのは何となく出来ないですよね(笑)。ちなみに、今年の年男は、午年(うま)になります。
[4].年の数だけ豆を食べる!
よく、豆まきの後は、まかれた豆を自分の年齢(数え年)の数だけ食べると言います。また、これも地域によっては、年の数に一つ加えた数など多少、その数に誤差が見られるところもありますが、これによって、体が丈夫になり、風邪を引かないと言われています。
[5].その他
この他にも風水的見地に則って、撒く時間帯や恵方を気にされる方もおりますが、ここに関しては正直よく分かりません。また、まく豆の数を予め、自分の年齢に合わせるとか、中には、8粒の豆を8回撒いて、合計64粒撒くといい、という指摘もありますが、これは縁起を担ぐということでしょうから、興味があるようでしたらトライしてみてください。余談ですが、「鬼は外、福は内」という呼びかけがありますが、中には、鬼を神の化身として扱い、「福は内」のみだったり、「鬼は内、悪魔は外」など一風変わったかけ声をかける地域もあるようです。
以上、節分特集でしたが、中国に由来し、独自の進化を遂げた日本の「豆まき」は、まさに、その節分の名残とともに、一年の始まりを示す第二の正月と言えるのかもしれません。節分を祝い、気持ちのいい新年を迎えられればいいですね。
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