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旧社格など | 式内社(小社)・村社 |
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総本社 |
論社(本社可能性のある神社): 石楯尾神社(神奈川県相模原市緑区) 石楯尾神社(神奈川県相模原市緑区佐野川) |
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ご祭神 |
神日本磐余彦命(かんやまといわれひこ) ※[別記]神武天皇(じんむてんのう) 石村石楯(いわむらのいわたて) ※[別記]坂上石楯(さかのうえのいわたて) 多藤木姫(たふじきひめ) |
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ご祭神について |
神武天皇:初代天皇(建国記念の日:神武天皇即位の日) 坂上石楯:奈良時代の武人官僚、高座郡の県主、三河国碧海郡に定着した漢系渡来氏族ともされる(一説では後漢第7代皇帝少帝懿の後裔とも伝えられる)、藤原仲麻呂の乱(恵美押勝の乱)で藤原仲麻呂を捕らえその首級をあげた 多藤木姫:石村石楯の妻 |
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ご利益 |
国家安寧 他 |
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参拝形式 |
二拝二拍一拝 |
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創建 |
第12代景行天皇40年(110年) |
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由緒 |
第12代景行天皇40年(110年)、日本武尊が東征の折、持ち来った天磐楯(あまのいわたて)を東国鎮護の為、当地に鎮め、ここに神武天皇を祀ったことに始まるとされる。本来は巨石を祀っていたため、御石杜(おいしのもり)とも呼ばれている。。また、石村石楯は高座郡の県主で当地の住人であり、天平宝字8年(1222年)、藤原仲麻呂の乱(恵美押勝の乱)で近江国勝野浜(滋賀県高島町)にて藤原仲麻呂を捕らえ、その首級をあげた功により高座、大住、鮎川、多摩、都留の五郡を賜ったとされ、当社の保護役を務めたと言われる。ちなみに、延喜式に掲載されている相模の式内十三社のひとつ、石楯尾神社は当社ではないかと指摘されている。永禄12年(1569年)に武田信玄が小田原を攻めた時に焼かれたが、再建されている。 |
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所在地 |
(〒252-0181)神奈川県相模原市緑区佐野川3448 |
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最寄り駅 |
●JR中央本線「上野原」駅より徒歩約71分 |
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その他アクセス |
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電話番号 |
0426-84-2007(與瀬神社) |
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ポイント |
| ● | 当社は、相模原市緑区与瀬に鎮座する與瀬神社の兼務社の一つとなる。 |
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ご朱印対応 |
不明 |
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公式HP |
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