「三種の神器」という言葉はご存知でしょうか。読み方としては、「さんしゅのじんぎ」「さんしゅのしんき」などという読み方が広く一般的ですが、「みくさのかむだから」という呼び方あります。元々、「三種の神器」は、古事記を代表とした神話の中に登場した3つの宝物で、瓊瓊杵尊(ニニギ)が天孫降臨する際、天照大神(アマテラス)より授けられたことで、この地上にもたらされました。そして、歴代天皇はこの「三種の神器」を継承し、これをもって、天皇は天皇であることの証とされてきたのです。 |
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[神器1]天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)/草薙剣(くさなぎのつるぎ) |
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こちらは、いわゆる「太刀/剣」ですが、呼び名は大きくふたつありますが、どちらも同じものを指します。元々は、須佐之男命(スサノオ)が八岐大蛇(ヤマタノオロチ)討伐した際、オロチの尾から出てきたと言われており、これが、アマテラスに献上されました。そして、「ヤマタノオロチの頭上には雲がかかっていた」という言われから、当初は、天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)と呼ばれておりました。
その後、剣はニニギの手に渡り、天孫降臨で地上界に降りて以降、神宮創建に伴って倭姫命(ヤマトヒメ)の手に渡ります。その後、甥っ子にあたる日本武尊(ヤマトタケル)の東征のために、ヤマトヒメはこの天叢雲剣を授けるのです。そして、ヤマトタケルは相模国(現在の神奈川県)あたりで、だまし打ちに会い、野中で火攻めに遭ってしまいます。その時、この天叢雲剣を使って、周辺の草をなぎはらい、叔母神、ヤマトヒメから授かった火打石で、内側より迎え火をつけて、難を逃れます。
こうして、生まれた名前が、「草をなぎはらう剣」として、草薙剣(くさなぎのつるぎ)と呼ばれるようになりました。ちなみに、その迎え火で敵を撃退した地が、焼遣(やきづ=焼津)という地名として現在も静岡県焼津市として残っています。その後、ヤマトタケルは、尾張国(現在の愛知県)で、宮簀媛(ミヤズヒメ)と結婚をし、草薙剣はミヤズヒメに託されます。そして、このミヤズヒメを娶って宿泊した時に、剣が神々しく光り輝いたため、ミヤズヒメにその剣を奉斎することを命じて、建てられたのが現在の熱田神宮としています。このため、草薙剣は、今も尚、熱田神宮に祀られていると言います。因に、映画トリックのラストシーンでは、この草をなぎはらって難を逃れるという救出法を演出で採用しています。 |
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[神器2]八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま) |
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こちらは、いわゆる「勾玉(まがたま)」と呼ばれる古代における装身具のひとつとされておりますが、こちらはアマテラスの分身とされる鏡を「太陽」とすることに対する「月」を意味するのではないかという説もあります。元々、記紀の天岩戸伝承で、玉祖命(タマノオヤ)に命じて製作されたものが、この八尺瓊勾玉とされ、それを賢木(さかき)に装飾して、祭祀の神、布刀玉命(フトダマ)が御幣として捧げております。
勾玉は、材質としてメノウや翡翠が使用されることが多く、この八尺瓊勾玉の制作者であるタマノオヤは、この石を求めて、全国を転々としたともされ、古代における石工集団の先駆けとしてみられることもあります。そんな勾玉は、現在では、皇居御所に祀られていると言われております。
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[神器3]八咫鏡(やたのかがみ)/真経津鏡(まふつのかがみ) |
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こちらは、いわゆる「鏡」のひとつで、、勾玉と同じく、記紀における天岩戸伝承に登場します。記紀では、鍛冶の神となる天津麻羅(アマツマラ)を探し、鋼(はがね)を鋳造させ、その鋼を元に、伊斯許理度売命(イシコリドメ)に創らせたと言います。そして、鏡は岩戸から顔をのぞかせたアマテラスの光を反射させ、岩戸の外にも別の太陽神が現れたという演出に使用されました。
その後、鏡は、ニニギの天孫降臨に伴い、「これを私と思って祀りなさい」と神勅を下し、現在の世界に持ち込まれました。そして、当初、宮中に祀られていたものを、あまりに霊位が高いということで、宮中外で祀る場所を模索することとなり、結果、ヤマトヒメが、伊勢国(現在の三重県)にて、新たな神勅を受ける形で、伊勢に留まったとされます。それが、現在の伊勢神宮となります。このため、八咫鏡は、現在も伊勢神宮、つまり皇大神宮(内宮)に祀られていると言います。
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