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TOP>>神社のススメ>>神道について
「神道」は、日本を代表する「宗教」の一つに数えられますが、実際、「神道」は「宗教」というには、その「教え」に代わるものがなく、一般的な宗教概念からみると明らかに異彩を放っております。その本質的理解に及べば、「神道」は「宗教」というよりはむしろ、古代人の「考え方」や「姿勢」を習慣化したものに近く、どちらかと言えば、「イデオロギー」や「ライフ・スタイル」に近い性質を持っていると言えます。
一般宗教との違い
項目神道一般宗教
1.信仰対象神教(八百万の神々)神教(唯一神)
2.教義・教典なしあり(仏典・聖書など)
3.主体性崇敬者側(氏子)教団
4.布教活動なしあり
5.信仰物依り代崇拝偶像崇拝
このように、「神道」は「宗教」というには、あまりにもその性質が異なっており、「宗教」という言葉の定義からみると、かなり逸脱した存在であることが分かります。
「鏡」が示す自問自答の精神
そんな「神道」のユニークさは、一つに、その発祥が「アニミズム」と呼ばれる土着型の精霊信仰(自然信仰)に由来していることから、その時代的背景が文字の開発される以前の太古性に負うことが挙げられます。つまり、一般の「宗教」が『文字を持った人の生き方を導くための科学的な訓戒』とするならば、「神道」は『自然との共生から編み出され原始的な感性』と例えることができるのです。

これは、「神道」という言葉が、「」であって「」ではないことからも指摘できます。これが「神教」であれば、相応の「教え」が付与されると考えられますが、「道」である以上、そこには明快な答えは存在しません。この「道」という言葉は日本のあらゆる伝統文化にも見られ、その解釈も難しいところがありますが、その真意の一端は、神社の「鏡」におけるたとえ話の中に聞くことができます。

まず、「鏡」を「かがみ」と平仮名に変換してます。続いて、真ん中にある「が(我)」を抜きます。すると、残る文字は何ですか?「かみ(神)」です』というものです。非常に哲学的な例えですが、ここには安易な答えを他者に求めるのではなく、自分の心の声を聞き、自問自答し続ける姿が感じられます。

つまり、この「自問自答するプロセス」こそがすべてであり、そこを大切にできる姿勢が何よりも尊ばれているのです。こうした終わりなき問いかけにも似た自律的な(自らを律する)姿勢は、まさに「道」と呼ぶに相応しい考え方と言えるのではないでしょうか。

実際、剣道や柔道、華道、茶道といった武芸も、克己の精神をその根底に仰ぎ、明快な答えは用意されておりません。そう考えると、「神道」はその根源的な考え方を持っていると言えるのかもしれません。また、こうした考えは、欧米の方たちからしてみれば非常に曖昧かつ非効率に聞こえるかもしれませんが、それだけに「日本的」と言えるのであって、日本人にとって、「神道」の影響は決して軽微ではないということが分かるでしょう。
古代アニミズムの継承
そんな「神道」は、前述した通り、太古の世界に見られた古代「アニミズム(精霊信仰)」に始まると言われます。中には、「アニミズム」と「神道」は異なると指摘される識者もおりますが、その詳細を見ていけば、そのエッセンスを確実に継承していることが分かります。

例えば、自然信仰の一つに位置づけられる山岳に対する捉え方。もともと、太古における山岳信仰は現在のものとは少し異なるものでした。現在の山岳信仰はどちらかと言えば、「修験道(山岳信仰に仏教が加わった日本独自の宗教)」と呼ばれる近世に始まったものになりますが、これは太古の山岳に対する姿勢と大きく異なります。
・太古の山岳信仰神域たる場所には決して足を踏み入れない(絶対不可侵領域
・修験道神域に入り、過酷な鍛錬を通じて神仏に触れる(修験場
このように太古の世界では、そこに神様がいると思えば足を踏み入れず、遠くから遥拝する形を取ってきました。ある意味、そこに神さまがいると分かっていながらも、そこへ行く欲求を抑えられるということは、太古の人たちは一つに欲求に対する枷として、「畏れ多い」という考えを持ちあわせていたことが分かります。

この「畏れ多い」という考えは現在の「神社」にも継承されており、「神社」の中核を成す「ご神体」に対しても、そこに神さまがいると仰ぎながらも、これを易易と手に触れたり、直接拝もうとしないのは、こうした太古の山岳信仰における姿勢と共通する部分も少なくありません。ある意味、これも「神道」と「アニミズム」を繋ぐ一つの接点と言えるでしょう。

ちなみに、この太古の山岳信仰の捉え方は、奈良に鎮座する国内最古の神社の一つ、大神神社でも受け継がれてきました。今ではそのご神山となる三輪山への登拝は、入山料を払えば可能できますが、元々はこちらも不可侵とされてきました。

また、この「神社」という読み方からもアニミズムとの接点を感じ取ることができます。今では普通に「じんじゃ」と呼びますが、かつては、「」を「もり」と読みました。これは、「」と同じく、いわゆる「鎮守の森」を示し、平安時代以降になって、両者は使い分けられるようになったと言います。つまり、「神社」と「森」の関係は非常に深く、この自然と信仰が一体となる空間構造は「アニミズム」より受け継がれたものと言ってもいいのではないでしょうか。
神道への発展
それではこうした「アニミズム」が一体どのように「神道」へと発展したのでしょうか。さすがにこれは憶測に過ぎませんが、『この「畏れ多い」という姿勢が今日の祭祀を招いた』と考えられる節があります。つまり、『神様がいる神域は「恐れ多くて」足を踏み入れることができない。ならば、お越し願えばいいだろう』という発想の転換です。これは「依り代」の性質を見ていけば分かります。
依り代」とは「神霊」が依り憑いたものになります。その条件は特に制限されていないため、その姿・形は無数に存在しますが、当初、この「依り代」には一つの特徴がありました。それが「形状が尖ったもの」です。

例えば、「ご神山」と呼ばれる「山」や「ご神木」と呼ばれる「木」。葉先が尖った「榊(さかき)」に、正月に飾られる「門松」など。これらは代表的な依り代となりますが、共通して言えるのはその尖った形状にあります。実際、「奥津城(おくつき)」と呼ばれる神道用の墓石もありますが、一般の墓石が上部平なのに対し、奥津城は上部が尖っています。それは尖った形状のものに神霊が依り憑くと考えられたほかありません。

それでは何故、尖ったものを用意すれば、「神霊」が依り憑くと思ったのでしょうか。そこには一つモチーフになる自然現象が考えられます。それが「落雷」です。一般的に雷は尖った場所というより、位置の高い場所に落ちるのですが、この高い場所というのが結果的に先端性の高い部分に位置すると考えれば、太古の人たちはこの「尖ったものを用意すれば神さまが降りてきてくださる」と考えてもおかしくありません。実際、太古の人たちにおける「雷」の存在は非常に特別なものでした。

例えば、太古の人たちは、「雷」を神聖視するにあたり、その恩恵というものを知っていた可能性があります。それは、「雷」のことを「雨かんむり」に「」と書くことからも分かります。つまり、太古の人たちは『雷が豊穣をもたらすこと』を知っていたということです。これは、「稲妻」や「稲光」も同じく、必ず農業と結び付けられていることからも明らかです。

そして、事実、『雷が豊穣をもたらすこと』は科学的にも証明されており、ある大学の研究結果では、『キノコの収穫量が倍になる』という発表をしております。このため、太古の人たちは、「雷の姿に恐れを感じると共にその後にもたらされる豊穣を以って感謝を抱いた」のです。そう考えれば、「落雷」を真似ることは「神霊を招く」行為につながると考えても決して不思議なことではないでしょう。
また、この「雷」を神聖視する言われは、「神」という漢字そのものからも推し量ることが出来ます。漢字はあらゆる事象を表象化したものとなりますが、この「神」という漢字は、いわゆる「祭壇」と「落雷」の組み合わせから成り立っていると言われております(「示すへん」が「祭壇」+「申」が「落雷」を意味します)。

もちろん、この「雷」は中国に由来することからも、この雷神信仰的な発想は日本固有というわけではなく、世界的に見られた傾向でもあります。ギリシャ神話ゼウスや北欧神話の雷神トール、そして、バラモン教の雷神インドラを見ても同様で、これらの神々はいずれも元は最高神と仰がれた神々です。
しかし、日本の場合、「依り代」という独自の発想を以って、こうした太古のエッセンスを伴いながら「神道」へ発展させることができました。対して、海外では「雷神信仰」や「アニミズム」といった古来の考えは近代化の流れとともに衰退し、より人類に重きを置いた科学的な考えへと目覚めていきました。ある意味、日本人と欧米人における「合理性」という思考の差は、こうした「古代観念的な背景」と「近代合理的な背景」による違いに見ることが出来るのかもしれません。

また、「祀(まつ)る」という語源も一部、「待つ」という言葉に由来するという指摘が一部あります。これはまさに「依り代を用意して神霊を待つ行為」とも言え、その間に「お神楽」のような演舞を奉納したり、「供物」をお供えしたりすると思えば、日本人の「おもてなし」の精神は案外このあたりに基づくのかもしれません。ともかく、あまりに古い話なので確実なことは言えませんが、あらゆる状況をつなぎ合わせるとこうした解釈も出来るのではないでしょうか。
神社への発展
そんな「神道」も当然のことながら、いきなり現在の「神社」のような形態を取っていたわけではありません。ここには「仏教」の影響が大きく関わり、一説には、神社が社殿を持つようになったのも、「仏教」を始めとした外来文化の流入による影響と見られています。このため、仏教伝来以降のものを「神道」と呼び、それ以前のものを「古神道」と使い分けることがあります。

これも「神道」という言葉が中国からもたらされた上で、『日本書紀』が「仏教」に対する対義語として、この「神道」を国内固有の信仰(つまり、現在の「神道」)に用いたことに始まると言われております。そして、それまでは「古道」という呼び方が馴染んでいたことから、この両者を組み合わせた「古神道」がそれ以前の呼び方として用いられました。
■神社発展のおおまかな流れ
アニミズム(精霊信仰)→古神道(古代祭祀)→[仏教並びに外来文化の流入]→神道(神社祭祀)
そんな古神道時代のスタイルは、現在の「地鎮祭」に近く、「磐座(いわくら)」や「神籬(ひもろぎ)」を用いて、仮設の祭祀場を設ける形で祭祀に及んでいました。これは、「神霊は一定の場所に留まっているのではななく、どこにでもいる」といった考えによるもので、「神南備(かんなび)」といった神霊漂う山や森といった一定の空間や領域はあっても、同じ場所に依り続けることは本来なかったのかもしれません。

しかし、「仏教」の伝来と共に急速な近代文明化がはかられると、そうした状況にも変化が出てきました。一説には、神社の代表的建築様式の一つ「神明式」も、古代日本に見られた「高床式倉庫」をモチーフにしており、これも仏教建築の流入に伴い、その対抗策として採用されたとも言いいます。つまり、「神道」は「神仏習合」を通じて、その体系化や近代化を推し進めることができたのです。そして、これこそが今、私たちが目にしている「神社」の姿なのです。
先祖崇拝
そんな「神道」には、もう一つの大事な要素、「祖霊祭祀(それいさいし)」というものがあります。これはそのまま「ご先祖さまを祀る」という意味ですが、広義に捉えれば、それは人の「御霊(みたま)」を意味し、直接的血縁関係を含まない偉人にまでその対象は及びます。いわゆる天満宮の菅原道真公といった歴史的偉人や、地域各地の功労者、また、靖国神社や護国神社をはじめとした戦没者などはそんな一例と言えるでしょう。

このため、「神道」には明確な「教え」というものはありませんが、「敬神崇祖(けいしんすうそ)」という言葉をその基本姿勢として推奨しています。これは「神を敬いご先祖さまを崇めましょう!」というもので、結局、その「畏敬」の対象は、自然社会に留まる「神霊」のみならず、人の「御霊」もまた同様に扱われているのです。

実際、夏の習慣として定着している「お盆さま(盆行事)」も、今では単純に仏教の習慣と思いがちですが、これも神道の「祖霊祭祀」が元になっているとの指摘があります。これは「盂蘭盆(うらぼん)」と呼ばれる仏教行事と習合した結果で、江戸時代の幕府令で、祖霊祭祀の仏式化(先祖供養)が奨励された結果とも伝えられております。このため、『お正月には神さまを、お盆さまにはご先祖さまを祀る』というのが、「神道」の二大年中行事とされるのです。

そう言われてみると、確かに、日本における「祝祭日」は、五穀豊穣に関わる祭りごとと歴代天皇への奉祀に関わる日が多く、この「神霊」と「御霊」をお祀りするという感覚は、日本の伝統的な感覚と言えるのかもしれません。
神道における神の姿
しかし、こうした「神霊」と「御霊」を共に「神」として扱う感覚は、ある意味、非常に日本的な考えとも言えます。何故なら、一般的な外来宗教における「神」とは唯一無二の存在であり、あらゆる「理」を超越する存在だからです。対する日本の神々は、その対象となる数が多いばかりでなく、「神」と「人」の領域すら曖昧とされております。

例えば、この「多神教」という視点においても、その類似性として、ギリシャ神話や北欧神話などが上げられることがありますが、八百万の神々と同じく共に多く存在しても、やはりその存在は超人的な存在です。しかし、日本の場合、それら神々の系譜の果てに私たちの祖先が直接つらなり、現在に至っております。「人類は神が作り上げた存在」という考えとは大きく異なるのです。

実際、「氏神さま」という考え方はその象徴的なもので、今では「その土地の神さま」という意味合いで使われておりますが、もともとは特定の氏族が仰いだ特定の神さまを意味しております。古代史にみる豪族の多くは、まさにその祖先にそれぞれの神々の存在を上げており、この「神」と「人間」の領域は非常に曖昧なままです。
■各氏族と神々の関係(一部)
氏族祖神
○物部氏(もののべ)・穂積氏 (ほづみ)饒速日命(ニギハヤヒ)
○蘇我氏(そが) 武内宿禰(タケノウチノスクネ)
○藤原氏(ふじわら)天児屋根命(アメノコヤネ)
○尾張氏(おわり) 天火明命 (アメノホアカリ)
○出雲氏(いずも)天穂日命(アメノホヒ)
○吉備氏(きび)吉備津彦命(キビツヒコ)
このように、「神道」では、「神」と「人間」の明確な境界線というものが存在しません。ある意味、こうした感覚が残っているというのは、日本という国が、それだけ他国や別の勢力によって過度に干渉されることなく、一定の国体を長期間にわたって維持出来た結果と言えるのかもしれません。だからこそ、悠久なる時の経過が太古のエッセンスを失うことなく、現代の社会と融合していったのではないでしょうか。

ともかく、「神道」における「神さま」の定義というのは、厳密に言い表すのは事実上不可能というほど、曖昧な存在と言えます。しかし、逆に言えば、その「対象」はあらゆるものすべてに及ぶとも言え、その正体とはまさに「目に見える、見えない関係なく、あらゆる万物に注がれる」と言えるのではないでしょうか。換言すれば、神道の真髄は、「自分の身の回りのことすべてに対して感謝しましょう」という姿勢にあるというのが、もっとも分かりやすい捉え方なのかもしれません。

同時に、こうした姿勢にはいわゆる「謙虚さ」というものが求められます。この「謙虚さ」が自発性の中に求められるというのは、先に上げた「鏡」の原理そのもののでもあります。よく昔ながらの日本人像に語られる、「良いことが起きれば社会のおかげ、悪いことが起きれば自分のせい」という考えも、損得勘定から言えば決して利口な判断とは言えないのかもしれませんが、長期的な視野に則って考えた時に、こうした姿勢は安定的な秩序を育む上では有用であったと考えられます。よく、日本人は「人生志向」、欧米人は「生活志向」という考え方の違いを上げることがありますが、こうした展望による違いも日本独自の文化・習俗・歴史観が織り成した結果と言えるでしょう。

ちなみに、こうした姿勢は、「下克上」という実力主義が謳われた戦国時代でも同様で、いくら武力に長けていたとしても、戦に勝利すれば神仏の加護によるものとして寺社の建立や寄進に及びました。全国に武神の象徴となる八幡神社が多いのもこのためです。日本では「おかげさま」という言葉を聞きますが、実はこの言葉に該当する正式な訳語はありません。これも本来、自分の成果を讃えるなら、「おひさま」と言う感じで「自慢」したいところですが、敢えて「かげ」の側に例えることで謙虚さを示めしているあたり、総じて神道的と言えるのかもしれません。
何気なく関わっている神道的習慣
そんな「神道」は、実際、私たち日本人の生活とも深く関わっています。例えば、私たちが何気なく過ごしている「祝祭日」などはその代表的なものと言えるでしょう。
■神道の祭り事と祝日の関係
祭祀時期祝祭日
■歳旦祭(新年を祝う)/四方節(八百万の神々への遥拝)1月1日元旦
■紀元節(建国を祝う) 2月11日建国記念の日
■春季例祭(五穀豊穣の祈念)・春季皇霊祭(天皇や皇族の忌日)3月春分春分の日
■旧天長節(昭和天皇の誕生日) 4月29日昭和の日
■旧天長節(明治天皇の誕生日)11月3日文化の日※偶然とも言われる
■秋季例祭(五穀豊穣の感謝)・秋季皇霊祭(天皇や皇族の忌日)11月秋分秋分の日
■新嘗祭(新穀を祝う日) 11月23日勤労感謝の日
■ 天長節(今上天皇の誕生日) 12月23日天皇誕生日
これらの祭祀は実際、宮中をはじめ、多くの神社でも今なお執り行われております。私たちの多くは単なる「公休日」という感覚しか持ち合わせておりませんが、実際には、今なお太古から続く文化は今なお息づいているのです。中でも、「建国記念の日」は、その創建の意味を知らなくなっておりますが、もとは、神武天皇という初代天皇の即位を讃える日となります。その創建年数は2675年(平成25年時)という時を刻み、「皇紀」という紀年法を用いて表します。

これは世界の王室と比較してももっとも古く(二位がデンマークの約1100年、三位が英国の約900年と続きます)、本来、日本という国は「世界最古の国家」を有していることになるのです。これは単純な歴史の古さではなく、同じ国家体制が続いていることに意味があります。中国やエジプト、インドは文明の発祥としては古いものの、それらの多くは過去の遺産となっております。しかし、日本の場合は、これが現在も続いていることになり、換言すれば、それだけ古き文化・価値観が続いていると言えるのです。よく日本人の考え方や価値観は世界的に見ると非常に特徴的と言われますが、そこにはこうした歴史的背景が強く関係していることが分かります。そんな「神道」はその象徴的な存在と言えるのではないでしょうか。
神道と宗教
このように「神道」は私たちの生活や考え方に深く根付いております。もちろん、日本人を構成するエッセンスとしては、仏教の影響や地勢的要因、言語的な思考などといった要素も無視できません。このため、一概に何を持ってというのは不可能ではありますが、少なくとも「神道」は日本に生まれ、原則、日本にしか見られないと考えれば、その特徴を比較的多くを含んでいるということは言えるのではないでしょうか。

例えば、よく、日本人の多くは「無宗教」と言いますが、それでも元旦には寺社仏閣へ足を運び、一年の幸福を願いに行きます。また、心霊話や都市伝説好きなところを見ても、決して、科学的根拠から「無宗教」を表明しているわけではないことが分かります。同様に、神罰や仏罰というものを頭の中では信じていなくても心のどこかで信じているのは、まさに日本人の良心として今なお受け継がれたものでしょう。それは無用に古いものを傷つけたがらない倫理観の中にも見ることができます。

実際、この「宗教」という言葉も日本古来から見られた言葉ではありません。この言葉は明治時代に、「Religion」という言葉がもたらされた際に創りだされた訳語になります。何故なら、そこに代わる言葉が日本語として存在していなかったからです。かつては、「宗旨」や「宗派」といった言葉はありましたが、これは「宗教」という今の考え方とは少し違います。かつては、あらゆる「信仰」は、「仏教」も含めて一つの「信仰」という括りの中に同居しておりました。ただ、崇敬対象が神仏といった違いや信仰方法が異なるだけで、その違いは明確化されていなかったのです。それはまさに「神仏習合」がもたらした成果とも言えます。

しかし、「Religion」は異なる絶対教義性の強い信仰を個別に総称するものであったため、当時の「宗派」といった考えに合いませんでした。そうして、生まれたのがこの「宗教」という言葉であり、こうした経緯を見るだけでも、「宗教」という言葉が如何に私たちが本来持っている解釈と異なるのかが分かります。もちろん、「宗教法人」という立場における「宗教」という表現は否定出来ない事実ではありますが、その言葉の真意が必ずしも正しいかと言うと決してそうでもないのです。解釈としては非常に難しい部分が多々ありますが、「神道」とは、そういう意味では、やはり、「生きる上での姿勢」や「生活様式」の中から解釈されるものの方が実態に近いものなのかもしれません。
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