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基礎情報
総本社 宇佐神宮(宇佐八幡宮)
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基本情報
主祭神
その他神さま
ご利益
歴史
代表的な八幡さま
所在地(〒872-0102)大分県宇佐市南宇佐2859
神使鳩(ハト)
三大八幡1.宇佐神宮(大分県宇佐市)
2.石清水八幡宮(京都府八幡市)
3.筥崎宮(福岡県福岡市)
系列社八幡神社、八幡社、八幡宮、若宮八幡宮、若宮神社 他
備考
八幡神社は稲荷神社に次いで、全国で2番目にその数が多いとされ、その数15,000社とも25,000社とも伝えられる。
登録状況現在、882社(令和2年3月11日現在)→全国の八幡系列神社はこちら
主祭神
八幡神(ヤハタノカミ/ヤワタノカミ/ハチマンシン)
[古事記名]品陀和気命(ホンダワケノミコト)
[日本書記名]誉田別命(ホンダワケノミコト)
[他別記]譽田天皇(ホンダスメラミコト)

[同一]応神天皇(オウジンテンノウ)
[別称1]胎中天皇(ハラノウチニマシマススメラミコト)
[別称2] 大鞆和気命(オオトモワケノミコト)
[神仏習合] 八幡大菩薩(ハチマンダイボサツ)
元々は、八幡神(ヤワタノカミ・ヤハタノカミ)と称し、海神として航海民である宇佐氏が崇敬した地方神のひとつであった。その後、幾度かのご神託を通じて、自らを品陀和気命応神天皇の化身として名乗ったことから、複数の神格を併せ持つようになっていた。とりわけ応神天皇は第15代天皇として実在性が濃厚な最古の天皇とも言われており、八幡神の存在は、宇佐の土着神的な神と歴代天皇という皇祖が結びついた極めて珍しい性質を持っている。(ただし、「古事記」や「日本書紀」などとの正史では、この応神天皇と八幡神の直接的な結びつきの記述がないことから、これは後世(奈良〜平安時代)の口伝によって加えられた可能性も指摘されている。)

このため、八幡神のご利益もこれにならい、土着神として語られる部分と応神天皇として語られる部分に大別され、多くは応神天皇のイメージを元に示される求められるケースが目立っている。とりわけ応神天皇はその腕の肉が弓具の鞆(ほむた)のように盛り上がっていたことから弓術の達人とも評されており、さらに難敵に逃れながらも出生に至り、無事に立身出世を果たしたことからも、武の神(弓の神)出世開運の神として崇められている。しかも、清和源氏が京都の石清水八幡宮を氏神として篤く崇敬したことにより、多くの武士からの信仰を集めたことや、清和源氏が征夷大将軍を代々務めるといった社会的成功者を常に輩出し続けたことが、このイメージにさらなる拍車をかけており、まさに、「出世開運」と「武運長久」は八幡さまの得意のところとして考えられている。

逆に土着的な八幡神の性質で言えば、海神の他に農耕神(厳密には焼き畑の神)、といった自然神に由来する意味も放ち、一部変わったところでは、宇佐神宮の創建由来において八幡神が鍛冶翁として降臨をしたことから鍛冶の神という一風変わった特徴も認められている。実際、八幡神は「奈良の東大寺大仏建立」に御神威を発揮されたという言い伝えがあり、これも鍛冶の神としての性質が発揮されたと考えられており、八幡神を語る上も非常に重要な役割を果たしている。結果、八幡神はどの神々よりもいち早い段階で、仏教との習合化を達成し、八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)として盤石の体制を築いていった。

ちなみに、八幡神にはもう一つ別の読み方があり、「はちまんしん」とも言うが、この読み方は平安時代以降のものとされ、一部、「やはた・やわた」と呼ばれていたものに「八幡」の漢字が当てられた結果との指摘もあり、神仏習合における影響という見方もある。また、多くの武士に影響を与えた八幡神は、決戦前に「南無八幡大菩薩(なむはちまんだいぼさつ)」と唱えて、戦さ場に臨んだとも言われ、それだけでも如何に多くの武士に崇敬されていたかが分かる。
その他神さま
八幡神社系列は以下4柱の神々を一緒に祀るケースが非常に多く、中でも神功皇后(ジングウコウゴウ)比売大神(ヒメノオオカミ)は、主祭神たる品陀和気命を加えて八幡三神(はちまんさんじん)とも称されている。

[配祀神1]神功皇后(ジングウコウゴウ)

※[別名1]息長帯比売命(オキナガタラシヒメノミコト)
※[別名2]大帯比売命(オオタラシヒメノミコト)

神功皇后は、仲哀天皇の妻であり、応神天皇のという立場となるが、三韓征伐(さんかんせいばつ)と呼ばれる朝鮮出兵において高い功績を残していることから、武神的な側面も強く持っている。また、この時に住吉大神の力を授かり、長い航海を経て帰還していることから航海安全の神としての特徴も兼ね備え、更に、その御子となる応神天皇を難敵から逃れながらも無事に出産を成し遂げていることからも難産に打ち勝つという意味で、「安産祈願」や「子育大願」のご神威を期待する声も少なくない。ちなみに、神功皇后は国内最初の紙幣でその肖像画が採用されていることからも、日本の歴史上、極めて人気の高い人物像が伺える。

[配祀神2]比売大神(ヒメノオオカミ)

比売大神は、基本、応神天皇の妃神とされるが、一部には、これを宗像三女(ムナカタサンジョ)とする説もある(宇佐神宮など)。また、八幡系列社の中には、この比売大神の代わりに玉依姫尊(タマヨリビメノミコト)という海神、綿津見大神(ワダツミノカミ)の娘を取り入れているところもあり、比売大神と一言で言ってもその神を特定するのは難しいところがある。ただし、一般的に比売大神と言えば、ご祭神の妻を意味することが多いので、特に指摘がなければ、応神天皇の妻とみておけばよいのではないかと思われる。

[配祀神3]仲哀天皇(チュウアイテンノウ)

※[別名1]帯中日子命(オキナカツヒコノミコト)
※[別名2]足仲彦尊(タラシナカツヒコノミコト)

仲哀天皇は第14代天皇にあたり応神天皇のとなる。その妻は神功皇后で、父には日本武尊(ヤマトタケル)に持つことからも(第二子にあたる)、やはり武神としての印象が強い。

[配祀神4]仁徳天皇(ニントクテンノウ)

※[別名]大鷦鷯尊(オホサザキノミコト)

仁徳天皇は第16代天皇となり、応神天皇の御子となる。八幡神社の中には、若宮八幡宮など、社名に「若宮(わかみや)」と称するところもあり、多くの場合は、この「若い」という言葉の通り、この仁徳天皇を意味することが多い。基本、仁徳天皇はその名の通り仁政の天皇として知られ「国家安寧」や「国家安泰」を期する声が大きい。

以上、八幡神社では応神天皇を中心とした上記、家族関係にあたる神々がともに祀られているケースが多い。このため、夫婦関係があれば、「夫婦和合」や「良縁祈願」、親子関係があれば、「子孫繁栄」や「子育大願」といったご利益が迎えられることが多いので、どのような神々が祀られているのか、確認してみるのがよいと思われる。また、少しマイナーな部類の中には、同じ縁戚関係で次ののような神々が祀られていることがある。あまり多くはないが、ご参考までに以下あげてみる。

[配祀神5]與止日女神/淀姫神/與杼比売命(ヨドヒメ)

※[別名]虚空津姫命( ソラツヒメ)
※[別名]豊比咩命/豊姫命( トヨヒメ)

與止日女神は、神功皇后の妹とされる(『乾元二年記』)。一説には、豊玉姫(トヨタマビメ)と同一視されることもあり、その点では、朝鮮半島に対する守護を司る神としても知られている。また、干珠(かんじゅ)満珠(まんじゅ)という、潮の満引きを自在に操る二つの宝玉を護衛する女神として知られ、神功皇后を助けたという逸話を持ち、銅鏡の神としても一部伝えられている。

[配祀神6]與登比売神(ヨトヒメ)

こちらは先のヨドヒメと混同してしまいがちだが、こちらは応神天皇の后(きさき)とされる。

[配祀神7] 仲姫命/中日売命(ナカツヒメ)

こちらも同じく応神天皇の后(きさき)とされ、五百城入彦皇子/五百木之入日子命(イオキイリヒコ)の御子で第12代景行天皇の孫とされる品陀真若王(ホンダマワカノオウ)のご息女とされる。品陀真若王は3人の娘を応神天皇の妃としており、ナカツヒメはその2番目の次女として妃となり仁徳天皇を生んだ。

ご利益
武勇長久応神天皇は、弓の名手として崇められることがある。これは、生まれながらにして、その腕の肉が、鞆(とも:弓を射る時に弓の弦が腕に当たるのを防ぐための道具)のように盛り上がっていたことから天性の射手と讃えられたことにある。

勝利祈願八幡神社は清和源氏の氏神となったことから武家の間でも篤く信仰を集めた。そして、戦の折には必勝祈願を行い数々の勝利をもたらした実績からも、勝負事に強いというご神徳が高く認められてる。また、母神たる神功皇后も女性でありながら、武の神を併せ持つことから、一緒に祀られていれば、勝負事に対する更なる強いご神徳があるとも言える。

出世開運応神天皇が誕生する前、後継者争いに揺れた世界で、神功皇后は何とか出産に至る。こうした危機を乗り越えたホンダワケは、後に無事15代天皇に即位できたことからも、出世に強いイメージを持ち合わせており、そんなホンダワケを氏神に仰いだ清和源氏は歴代の征夷大将軍を担っていることからも同様の姿を求めることができる。

この他にも、他のご祭神との組み合わせによって、幾つかのご利益を指摘することができる。
安産祈願こちらは、神功皇后が一緒に祀られた場合に成立し、神功皇后が難敵に追われながらも無事に応神天皇を出産したとの言われから、「安産祈願」にご利益があると言われている。

子育大願こちらも、神功皇后が一緒に祀られた場合に成立し、「親と子」の組み合わせによって、よく見られるご利益のひとつとなる。言い換えれば、「子孫繁栄」とも言え、同様、応神天皇の御子神である仁徳天皇が祀られても同様のことが言える。

良縁祈願こちらは、比売大神や與登比売神、仲姫命といった妻が一緒に祀られる場合に該当するもので、「恋愛成就/良縁祈願/夫婦和合」の多くは、こうした夫婦・カップルの組み合わせにより求められるケースが多く存在する。

※ご利益に関しては、あくまで参考程度にお考え下さい。
歴史
八幡神社は、常に時代と上手く渡り合ってきた神社と言え、早い段階から神仏習合したことによって、盤石な体制を構築することに成功している。また、多くの武将に愛されたことから、その信仰は全国各地へと及び、その威厳はまさに日本を代表する名社として各地を代表する神社として数多く迎えられている。そんな八幡神社隆盛の歴史的ポイントは大きく3つ挙げられる。
(1)八幡神と応神天皇の習合

元々、八幡神は地方の航海民、宇佐氏が信仰する土着的な神さまの一つであったが、大神比義(おおがのひぎ)という人物によって、その存在に応神天皇の霊格が備わることになった。

宇佐神宮の社伝によると、欽明天皇29年(569年)のこと、宇佐神宮境内の菱形池(ひしがたいけ)のほとりの泉が湧き出るところに、八つの頭という奇異な姿の鍛冶翁(かじおう:鍛治をする老人)が現れて、この姿を見た者はたちまち病になったり亡くなったりと奇怪な出来事が続いたという。そして、大神比義が見に行くと、そこに老人の姿はなく、代わりに金色のタカが見えたといい、比義が「その姿は自ら変わったのか?それとも誰かに変えられたのか?」と尋ねると、タカは金色の鳩となって比義の袂の上に止まったという。これを「神が人を救済しようと自ら変化された」と悟ると、比義は3年ほど断食をして祈りを捧げ続けた。そして、欽明天皇32年(571年)にこの泉の傍の笹の上に光輝く3歳の子供が現れ、「我は、譽田の天皇広幡八幡麻呂(ほんだのすめらみことひろはたのやはたまろ)なり。神道の神として現れた者なり」と告げられたという。そして、再び黄金のタカとなって、駅館川(やっかんがわ)の東岸の待つの上にとどまったと言われ、これをのちに、和銅元年(708年)に鷹居社を建立し、そこに八幡さまを祀ったのが宇佐神宮の始まりだという。そして、霊亀2年(716年)に小山田の林に遷座し、小山田社を造営。神亀2年(725年)に現在の社地へとご遷座を繰り返し、今の宇佐神宮となった。結果、八幡神は応神天皇の霊格と鍛治の神の御神威が加わったことを意味する。

また一部の説によれば、この大神比義は宇佐大神氏の祖とされ、「蘇我馬子によって遣わされ、地元の神官宇佐氏に勝利し、宇佐神宮の祀官の祖となった。」とも伝えられることから、この宇佐氏から大神氏への体制の移行が結果として、朝廷の意向を汲むこととなり、その後の八幡神信仰の形態に大きな影響を与えたことが分かる。ちなみに、この大神氏は大和国(奈良県)の大神氏(おおみわし)の流れを汲んでいるとも伝えられ、その大神氏と区別するために「豊後大神氏(ぶんがおおがうじ)」とも呼ばれる。
(2)東大寺の大仏建立支援〜天皇による崇敬と神仏習合の促進

応神天皇の神格が備えられた八幡神は、その後、神託により東大寺の大仏建立の後押しを公言する。これは、当時、大仏建立を推進していた第45代聖武天皇の大仏建立推進の大きな後ろ盾(根拠)となった。なぜなら、仏教の神、つまり渡来の神を中央に迎えることはそれなりの反発を招く危険性も大きかったからだ。このため、大仏建立に対して、神道の神さまの許しを受けることは周囲を説得する上でも十分効力的であったと言える。これのため、八幡神は天皇から更なる庇護を受けることになり、手始めに、東大寺の守護神として分社第一号にあたる手向山八幡宮(たむけやまはちまんぐう)が建立され。

その後も八幡神は京都の南西の裏鬼門を守護する王城守護を司る神として、京都にまで勧請され、空海の弟子にあたる行教(ぎょうきょう)は宇佐神宮で神託を受ける形で、延暦寺と共に京都の裏鬼門(南西)を守護する社として、石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)を建立した。まさに、八幡神は中央政府と仏教という二つの大きな後ろ盾を得ることに成功し、宇佐神宮の影響力はますます強くなっていった。ちなみに、宇佐神宮が大仏建立の後押しをする際に、宇佐八幡神は天皇と同じ金銅の鳳凰をつけた輿に乗って入京したとされ、これを以って「神輿」の発祥とする主張もある。
(3)清和源氏の氏神ー武士による崇敬

その後、都の守護を託された石清水八幡宮は、清和源氏の氏神となることで、武家から非常に篤い信仰を受けることにも成功する。これが結果として、八幡神社が全国へ勧請されていくことにつながり、まずは、源頼義(みなもとのよりよし)が河内源氏の2代目棟梁として壺井八幡宮(つぼいはちまんぐう)を河内国(現在の大阪府)を建立する。そして、源頼朝(みなもとのよりとも)は鎌倉幕府の創設に合わせて鶴岡八幡宮を建立することで、八幡神社は関東へ進出する。その後、源義家(みなもとのよしいえ)は、別名、八幡太郎(はちまんたろう)と呼ばれるほど八幡神を篤く崇敬し、奥州の豪族・安倍氏討伐のために東北へ遠征する際に、数多くの八幡神社を勧請している。結果、九州に始まった八幡神信仰は、その信仰を東北にまで拡大し、全国的な神として広く知れ渡ることとなった。さらに言えば、征夷大将軍は清和源氏出身ということもあり、その氏神となる八幡神は必然的に多くの武士からの崇敬を集め、各地で戦勝祈願や勝利感謝をする際に八幡神を勧請していった。このため、八幡神社は稲荷神社に次ぐ一大神社勢力へと発展した。稲荷神が庶民の崇敬する神社であるのに対し、八幡神は武士という限られた層からの崇敬を得意とすることを考えると、現在の頒布状況からみて、その影響力が如何に大きかったかが伺える。
八幡神社拡大年表
仲哀天皇9年
(201年)
筑紫の国
(福岡県)
神功皇后が、筑紫の宇美町で応神天皇を出産する。→のちの宇美八幡宮

欽明天皇29年
(569年)
宇佐の地
(大分県)
宇佐の地に八幡神が、鍛冶翁(かじおう)として降臨する。

欽明天皇32年
(571年)
宇佐の地
(大分県)
大神比義(おおがのひき)が、五穀を断ち三年の祈念をすると、神は三才の小児に姿を変え、自らを応神天皇と託宣する(八幡神と応神天皇の習合)。

和銅元年
(708年)
宇佐の地
(大分県)
鷹居社が創建される(宇佐神宮の源流)。

霊亀2年
(716年)
宇佐の地
(大分県)
鷹居社は小山田の林に遷座し、小山田社が造営される。

神亀元年
(724年)
金富神社
(福岡県)
宇佐神宮の造営にあたり、現在の福岡県築上郡築上町で斧立神事(よきたてしんじ)が行われる。そして、仲哀天皇・応神天皇・神功皇后の3柱の神々を勧請し、矢幡八幡宮が建立される(宇佐神宮の元宮とされる説より)。
※現在は、金富神社(きんとみじんじゃ)と改称。

神亀2年
(725年)
宇佐神宮
(大分県)
第45代聖武天皇(しょうむてんのう)の勅願(ちょくがん)により、現在の宇佐神宮の社地に一之殿が建立され、八幡神を奉祀し、現在の宇佐神宮が創建される(小山田社よりご遷座?)。

神亀3年
(726年)
大分八幡宮
(福岡県)
福岡県飯塚市大分の地が神功皇后が三韓征伐の帰途、一時逗留した地であると伝えられたため、この地に、大分八幡宮(だいぶはちまんぐう)が創建される。

天平勝宝元年
(749年)
宇佐神宮
(大分県)
宇佐の巫女に「奈良の大仏造りに力を貸したい」との神託が下り、宇佐八幡神は天皇と同じ金銅の鳳凰をつけた輿に入京し、これを助ける(八幡神の神仏習合)。

同年 手向山八幡宮
(奈良県)
東大寺、並びに大仏建立を手助けした八幡神は、そのまま東大寺の守護神として、手向山八幡宮が建立される(八幡宮の分社第一号)。

貞観元年
(859年)
石清水八幡宮
(京都府)
空海(弘法大師)の弟子であった南都大安寺の僧、行教(ぎょうきょう)が宇佐神宮に参詣した折に、「私を都に近い男山の峯に移し祀れば、国家を守護しよう」との神託を受ける。そして、嵯峨天皇の離宮跡に赴いたところ、霊光を見て、掘ってみると岩間から湧き水が出たため、その地に、石清水八幡宮を創建する。→京都南西の裏鬼門を守護→清和源氏の氏神となる。

延長元年
(923年)
筥崎宮
(福岡県)
八幡神の御神託があり、醍醐天皇の神勅によって、応神天皇の出生地とされる福岡県の箱崎に、大分八幡宮より遷座し筥崎宮を創建する。

康平6年
(1063年)
由比若宮
(神奈川県)
石清水八幡宮で元服し、八幡太郎義家を名乗っていた源頼義は、子、源義家とともに前九年の役(1051年〜1062年)に参加。石清水八幡宮で戦勝祈願を祈念していたことから、その神恩感謝の証として、由比郷に石清水八幡宮からのご分霊を勧請し、由比若宮を創建する。

康平7年
(1064年)
壺井八幡宮
(大阪府)
源頼義が河内源氏(清和源氏の一派)の氏神として、石清水神社からご分霊を勧請し、河内国(現在の大阪)に壺井八幡宮を創建する。

建久2年
(1191年)
鶴岡八幡宮
(神奈川県)
由比若宮を 創建した年に小林郷北山へ遷座するが、社殿が焼失してしまったため、改めて、石清水八幡宮よりご分霊を勧請し、鶴岡八幡宮を創建する。

嘉禄3年
(1227年)
富岡八幡宮
(神奈川県)
当初、この地には源頼朝が摂津国(大阪府)の難波より勧請した蛭子神を祀っていたが、嘉禄3年(1227年)に、鶴岡八幡宮からもご分霊を勧請し、富岡八幡宮を創建する(富岡八幡宮は、鎌倉幕府の鬼門の守護を司った)。

応長元年
(1311年)
富岡八幡宮
(神奈川県)
横浜の金沢一帯に、大津波が襲い、一帯の集落はことごとく水没してしまう。この時、富岡八幡宮の小山が津波の行く手を阻み、周辺は水没を免れるという奇跡を起こす。以降、富岡八幡宮は、「波除八幡」とも呼ばれるようになる。

建久2年
(1479年)
市谷亀岡八幡宮
(東京都)
鶴岡八幡宮に対し、亀岡と称して、太田道灌が、江戸城西方の守護神といして、鶴岡八幡宮よりご分霊を勧請し、亀岡八幡宮を創建する。

寛永4年
(1627年)
富岡八幡宮
(東京都)
当時、永代島と呼ばれていた江東区富岡に、横浜区金沢の富岡八幡宮の分社が創建される。

代表的な八幡さま
  三大八幡(事実上4社)
■ 宇佐神宮/宇佐八幡宮(うさじんぐう)
・[住所]大分県宇佐市南宇佐2859
・[御祭神]誉田別命・神功皇后・比売大神
・(式内社・勅祭社)言わずと知れた八幡信仰の中心地!八幡系列社の総本宮
宇佐神宮のページへ
■ 石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)
・[住所]京都府八幡市八幡高坊30
・[御祭神]誉田別命・神功皇后・比売大神
・(勅祭社)国家第二の宗廟とも伝えられる清和源氏の氏神さま
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■ 筥崎宮(はこざきぐう)
・[住所]福岡県福岡市東区箱崎1-22-1
・[御祭神]誉田別命・神功皇后・玉依姫尊
・(式内社)応神天皇の出生地とも伝えられる敵国降伏祈願をもたらした必勝祈願の社
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■ 鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)
・[住所]神奈川県鎌倉市雪ノ下2-1-31
・(相模国一宮)東日本における八幡信仰の中心地
・[御祭神]誉田別命・神功皇后・比売大神
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  九州五所八幡宮
■藤崎八幡宮(ふじさきはちまんぐう)
・[住所]熊本県熊本市井川淵町3-1
・(肥後国三宮) 京都の石清水八幡宮より勧請した熊本の総鎮守!
・[御祭神]誉田別命・(相)神功皇后・(相)住吉三神
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■ 大分八幡宮(だいぶはちまんぐう)
・[住所]福岡県飯塚市大分1272
・[御祭神]誉田別命・神功皇后・玉依姫尊
・(郷社)筥崎宮の元宮とも伝えられる神功皇后の逗留地!
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■ 千栗八幡宮(ちくりはちまんぐう)
・[住所]佐賀県みやき町大字白壁2415
・[御祭神]誉田別命・神功皇后・仲哀天皇
・(肥前国一宮)壬生春成の霊夢によって創建された古社!
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■ 鹿児島神宮(かごしまじんぐう)
・[住所]鹿児島県霧島市隼人町内2496
・[御祭神]彦火火出見尊・豊玉毘売神・誉田別命・神功皇后・仲哀天皇・仲姫命
・(式内社・大隅国一宮)宇佐神宮と本家争いを繰り広げたこともある由緒格式ある古社!
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■ 新田神社(にったじんじゃ)
・[住所]鹿児島県薩摩川内市宮内町1935-2
・[御祭神]瓊々杵尊・天照大神・天忍穂耳命
・(薩摩国一宮)江戸時代までは応神天皇や神功皇后、武内宿禰を祀り新田八幡宮と呼ばれていた!
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  その他全国各地の八幡神社西日本篇(一部)
■ 手向山八幡宮(たむけやまはちまんぐう)
・[住所]奈良県奈良市雑司町434
・[御祭神]誉田別命・神功皇后・比売大神・仲哀天皇・仁徳天皇
・(旧県社)八幡神社分社第一号!
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■ 宇美八幡宮(うみはちまんぐう)
・[住所]福岡県糟屋郡宇美町宇美1-1-1
・[御祭神]誉田別命・神功皇后・玉依姫尊・住吉三神
・(旧県社)神功皇后が三韓征伐からの帰途に応神天皇を産んだとされる地!
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■ 柞原八幡宮(ゆすはらはちまんぐう)
・[住所]大分県大分市大字八幡987
・[御祭神]誉田別命・神功皇后・仲哀天皇
・(豊後国一宮)延暦寺の僧、金亀和尚の神託に基づき建立した古社!
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■遠石八幡宮(といしはちまんぐう)
・[住所]山口県周南市遠石2-3-1
・[御祭神]誉田別命・神功皇后・宗像三女神
・(県社)宇佐大神の神託に導かれ、四大八幡の一つとも称される古社!
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■亀山八幡宮(かめやまはちまんぐう)
・[住所]山口県下関市中之町1-1
・[御祭神]誉田別命・神功皇后・仲哀天皇
・(県社)石清水八幡宮を創建した空海の弟子、行教の神託に基づき建立された古社!
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■福山八幡宮(ふくやまはちまんぐう)
・[住所]広島県福山市北吉津町1-2-16
・[御祭神]誉田別命・神功皇后・比売大神
・(県社)広島を代表する八幡宮の一つ!
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■ 離宮八幡宮(りきゅうはちまんぐう)
・[住所]京都府乙訓郡大山崎町大山崎西谷21-1
・[御祭神]誉田別命・神功皇后・比売大神・酒解大神
・(府社)石清水八幡宮の元社にあたり製油発祥地とも知られる古社!
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  江戸八所八幡宮
■富岡八幡宮(とみおかはちまんぐう)
・[住所]東京都江東区富岡 1-20-3
・[御祭神]誉田別命
・(府社)東京を守護する東京十社がひとつ!
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■市谷亀岡八幡宮(いちがやかめおかはちまんぐう)
・[住所]東京都新宿区市谷八幡町15
・[御祭神]誉田別命・神功皇后・與登比売神
・(郷社)太田道灌が江戸城の西方守護を目的に建立した古社!
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■穴八幡宮(あなはちまんぐう)
・[住所]東京都新宿区西早稲田2-1-11
・[御祭神]誉田別命・神功皇后・仲哀天皇
・(村社)源義家が建立、金運招福のご利益で有名な古社!
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■ 金王八幡宮(こんのうちまんぐう)
・[住所]東京都渋谷区渋谷3-5-12
・[御祭神]誉田別命
・渋谷区内最古の木造建築を伝える旧渋谷城の守護神!
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■ 鳩森八幡神社(はともりはちまんじんじゃ)
・[住所]東京都渋谷区千駄ヶ谷1-1-24
・[御祭神]誉田別命・神功皇后
・1000年以上の歴史を継ぐ千駄ヶ谷の総鎮守!
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■大宮八幡宮(おおみやはちまんぐう)
・[住所]東京都杉並区大宮2-3-1
・[御祭神]誉田別命・神功皇后・仲哀天皇
・「多摩の大宮」とも呼ばれる武蔵国三大宮がひとつ!
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■ 西久保八幡神社(にしくぼはちまんじんじゃ)
・[住所]東京都港区虎ノ門5-10-14
・[御祭神]誉田別命・神功皇后・仲哀天皇
・源頼信によって創建された古社!
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■ 御田八幡神社(みたはちまんじんじゃ)
・[住所]東京都港区三田3-7-16
・[御祭神]誉田別命・天児屋根命・武内宿禰命
・(式内社・郷社)嵯峨源氏渡辺一党の氏神さま!
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  その他全国各地の八幡神社東日本篇(一部)
■ 浜松八幡宮(はままつはちまんぐう)
・[住所]静岡県浜松市中区八幡町2
・[御祭神]誉田別命・神功皇后・玉依姫尊・(相)伊弉諾尊・(相)伊弉冉尊
・(式内社・郷社)浜松の地名の由来を伝える古社!!
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■ 事任八幡宮(ことのままはちまんぐう)
・[住所]静岡県掛川市八坂642
・[御祭神]己等乃麻知媛命・(相)誉田別命・(相)神功皇后・(相)玉依姫尊
・(式内社・遠江国一宮・県社)ことのままに願いが叶う神社と称されてきた古社!!
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■代々木八幡宮(よよぎはちまんぐう)
・[住所]東京都渋谷区代々木5-1-1
・[御祭神]誉田別命
・(村社) 鎌倉時代より続く古社!
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■ 水戸八幡宮(みとはちまんぐう)
・[住所]茨城県水戸市八幡町8-54
・[御祭神]誉田別命・神功皇后・比売大神
・(県社) 水戸城主19代目佐竹義宣の創建!
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■大崎八幡宮(おおさきはちまんぐう)
・[住所]宮城県仙台市青葉区八幡4-6-1
・[御祭神]誉田別命・神功皇后・仲哀天皇
・(村社) 坂上田村麻呂が創建されし古社!
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■ 寒河江八幡宮(さがえはちまんぐう)
・[住所]山形県寒河江市八幡町5-7
・[御祭神]誉田別命・大山祇神
・(県社) 源義家が創建されし古社!
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■ 盛岡八幡宮(もりおかはちまんぐう)
・[住所]岩手県盛岡市八幡町13-1
・[御祭神]誉田別命・白山姫命
・(県社) 源頼義が安倍氏撃滅を祈願して創建された古社!
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