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八幡神社基礎情報 全国の八幡神社リストはこちら
総本社宇佐神宮(宇佐八幡宮)
所在地(〒872-0102)大分県宇佐市南宇佐2859
三大八幡宇佐神宮(大分県宇佐市)石清水八幡宮(京都府八幡市)筥崎宮(福岡県福岡市)
系列社八幡神社、八幡社、八幡宮、若宮八幡宮、若宮神社 他
同系神社なし
備考八幡神社は稲荷神社に次いで、全国で2番目にその数が多いとされ、その数15,000社とも25,000社とも伝えられる。
八幡神社基本神
[通称]八幡神(ヤハタノカミ/ハチマンシン)
[古事記名]品陀和気命(ホンダワケノミコト)
[日本書記名]誉田別命(ホンダワケノミコト)
[他別記]譽田天皇(ホンダスメラミコト)

[同一]応神天皇(オウジンテンノウ)
[別称1]胎中天皇(ハラノウチニマシマススメラミコト)
[別称2] 大鞆和気命(オオトモワケノミコト)
[神仏習合] 八幡大菩薩(ハチマンダイボサツ)
元々は、八幡(ヤワタ)の神と称し、海神として航海民である宇佐氏に崇敬された地方神のひとつとされる。その後、幾度かのご神託を通じて、自らを品陀和気命応神天皇の化身として名乗ったことから、複数の神格を併せ持つようになった。とりわけ応神天皇は第15代天皇で実在性が濃厚な最古の天皇とも言われているため、この八幡神の存在は、宇佐の土着神的な信仰対象と歴代天皇という皇祖的な信仰対象という両極端な資質を持っている。(ただし、「古事記」や「日本書紀」などとの史書では、応神天皇と八幡神の直接的な結びつきの記述がないことから、これは後世(奈良〜平安時代)の口伝によって加えられた可能性は否定できない。)

そんな八幡神のご利益もこれにならい、八幡神として語られる部分と応神天皇として語られる部分に大別され、多くは応神天皇のイメージを元に示されるケースが目立つ。とりわけ応神天皇はその腕の肉が弓具の鞆(ほむた)のように盛り上がっていたことから弓術の達人と評されており、さらに難敵に逃れながらも出生に至り、無事に立身出世を果たしたことから武の神(弓の神)出世開運の神として崇められることが多い、これには清和源氏が京都の石清水八幡宮を氏神として篤く崇敬した結果として、多くの武士からの信仰を集めたや、清和源氏が征夷大将軍を務めるような成功者を常に輩出し続けたことが、この後のイメージに拍車をかけている。

逆に太古の八幡神の性質で言えば、海神の他に農耕神(厳密には焼き畑の神)、といった自然神に由来するところが強いが、変わったところでは、宇佐神宮の創建由来において鍛冶翁として降臨をしたことから鍛冶の神という一風変わった性質を求められることもある。ただし、この性質は「奈良の東大寺大仏建立」で発揮された伝承から他のどの神々よりもいち早く仏教との習合化を達成したことを思うと、この鍛冶の神の性質は八幡神と切っても切れない間柄にあると言えるだろう。ちなみに神仏習合が認められていた時代では、八幡大菩薩と称されることもあった。
八幡神社あるある神 八幡神社でよくみる神々
八幡神社系列は以下4柱の神々を一緒に祀るケースが多い。中でも神功皇后(ジングウコウゴウ)比売大神(ヒメノオオカミ)は、主祭神たる応神天皇を加えて八幡三神(はちまんさんじん)と呼ばれ、複数神で祀られる際の代表的な組み合わせになる。

[配祀神1]神功皇后(ジングウコウゴウ)
※[別名1]息長帯比売命(オキナガタラシヒメ)
※[別名2]大帯比売命(オオタラシヒメ)

神功皇后は、仲哀天皇の妻、応神天皇の母という立場になるが、三韓征伐(さんかんせいばつ)を代表とした武神的側面も認められ、この際住吉大神の力を授かり、長い航海を経て帰還していることから航海の神としてのイメージもある。更に、御子となる応神天皇を難敵から逃れながらも出産に至っていることから安産祈願、子育大願のご神徳を期する際にも求められることが多い。

[配祀神2]比売大神(ヒメノオオカミ)

比売大神は、応神天皇の妃神とされるが、一部には、これを宗像三女(ムナカタサンジョ)とする説もある(宇佐神宮)。また、八幡系列社の中には、この比売大神の代わりに玉依姫尊(タマヨリビメ)という海神、綿津見大神(ワダツミ)の娘を祀っていることもあるが、その関係は不明となる。

[配祀神3]仲哀天皇(チュウアイテンノウ)
※[別名1]帯中日子命(オキナカツヒコ)
※[別名2]足仲彦尊(タラシナカツヒコ)

仲哀天皇は第14代天皇にあたり応神天皇の父となる。その妻は神功皇后で、父には日本武尊(ヤマトタケル)に持つことから(第二子にあたる)、武神の印象が強い。

[配祀神4]仁徳天皇(ニントクテンノウ)
※[別名]大鷦鷯尊(オホサザキ)

仁徳天皇は第16代天皇で応神天皇の御子となる。八幡神社の中には、若宮八幡宮と称する神社もあり、こちらは「若い」というイメージそのまま、この仁徳天皇を祀ることが多い。基本、仁徳天皇はその名の通り仁政の天皇として知られ国家安寧や安泰を期する際に求められることがある。

以上、八幡神社では応神天皇を中心とした家族神が一緒に祀られているケースが多いが、少しマイナーな部類の中では、同じく縁戚関係にあたる人物で次のようなご祭神を見かけることもある。

[配祀神5]與止日女神/淀姫神/與杼比売命(ヨドヒメ)
※[別名]虚空津姫命( ソラツヒメ)
※[別名]豊比咩命/豊姫命( トヨヒメ)

與止日女神は、神功皇后の妹とされる(『乾元二年記』)。一説には、豊玉姫(とよたまびめ)とも同一視されることもあり、朝鮮半島に対する守護を司る神として知られる。また、干珠(かんじゅ)・満珠(まんじゅ)という、潮の満引きを自在に操る二つの宝玉を護衛する女神として、神功皇后を助けたという逸話から銅鏡の神とも伝えられる。

[配祀神6]與登比売神(ヨトヒメ)

こちらは先のヨドヒメと混同してしまいがちだが、応神天皇の姫神とされる。

[配祀神7] 仲姫命/中日売命(ナカツヒメ)

同じく応神天皇の姫神とされ、五百城入彦皇子/五百木之入日子命(イオキイリヒコ)の御子で景行天皇の孫とされる品陀真若王(ホンダマワカノオウ)のご息女となる。品陀真若王は3人の娘を応神天皇の妃としており、ナカツヒメはその2番目の次女として妃となり仁徳天皇を生んだとされる。

八幡神社のご利益
武勇長久応神天皇は、弓の名手として崇められることがある。これは、生まれながらにして、その腕の肉が、鞆(とも:弓を射る時に弓の弦が腕に当たるのを防ぐための道具)のように盛り上がっていたことから天性の射手と讃えられたことにある。

勝利祈願八幡神社は清和源氏の氏神となったことから武家の間でも篤く信仰を集めた。そして、戦の折には必勝祈願を行い数々の勝利をもたらした実績からも、勝負事に強いというご神徳が高く認められてる。また、母神たる神功皇后も女性でありながら、武の神を併せ持つことから、一緒に祀られていれば、勝負事に対する更なる強いご神徳があるとも言える。

出世開運応神天皇が誕生する前、後継者争いに揺れた世界で、神功皇后は何とか出産に至る。こうした危機を乗り越えたホンダワケは、後に無事15代天皇に即位できたことからも、出世に強いイメージを持ち合わせており、そんなホンダワケを氏神に仰いだ清和源氏は歴代の征夷大将軍を担っていることからも同様の姿を求めることができる。

この他にも、他のご祭神との組み合わせによって、幾つかのご利益を指摘することができる。
子育大願こちらは、神功皇后が一緒に祀られた場合に成立し、「親と子」の組み合わせによって、よく見られるご利益のひとつとなる。言い換えれば、「子孫繁栄」とも言え、同様、応神天皇の御子神である仁徳天皇が祀られても同様のことが言える。

縁結びこちらは、比売大神や與登比売神、仲姫命といった妻が一緒に祀られる場合に該当するもので、「恋愛成就/良縁祈願/夫婦和合」の多くは、こうした夫婦・カップルの組み合わせにより求められるケースが多く存在する。

※ご利益に関しては、あくまで参考程度にお考え下さい。
八幡神社拡大の歴史
八幡神社は、早い段階から神仏習合したことで、その信仰を爆発的に広めた代表的な神社と言え、そのポイントは大きく分けて、3つある。
(1)八幡神と応神天皇の習合化
元々、八幡神は地方神の一つであったが、大神比義(おおがのひき)という人物によって、その存在に応神天皇の霊格が備わる。大神比義は一部の説によれば、宇佐大神氏の祖とされ、「蘇我馬子によって遣わされ、地元の神官宇佐氏に勝利し、宇佐神宮の祀官の祖となった。」とも伝えられることから、この宇佐氏から大神氏への移行がこの八幡神信仰に大きな影響を与えたと考えられる。ちなみに、この大神氏は大和国(奈良県)の大神氏(おおみわし)の流れを汲んでいるとも伝えられ、その区別のために「豊後大神氏」とも呼ぶ。
(2)東大寺の大仏建立をサポート〜天皇による崇敬
応神天皇の神格が備えられた八幡神は、その後、神託により東大寺の大仏建立の後押しを公言することで、当時、大仏建立を推進していた聖武天皇の大仏建立推進の後ろ盾(論拠)となった。これにより、八幡神は天皇から更なる庇護を受けることになり、先ずは東大寺の守護神として分社第一号にあたる手向山八幡宮(たむけやまはちまんぐう)が建立された。その後も京都の南西の裏鬼門を守護する王城守護の神として認められ、空海の弟子にあたる行教(ぎょうきょう)が宇佐神宮で神託を受ける形で、延暦寺と共に京都の裏鬼門(南西)を守護する社として、石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)が建立され、中央との結びつきをさらに強めていった。ちなみに、大仏建立の後押しをする際に、宇佐八幡神は天皇と同じ金銅の鳳凰をつけた輿に乗って入京したとされ、これを以って「神輿」の発祥とする主張もある。
(3)清和源氏の氏神化ー武家信仰
京都に建立された石清水八幡宮は清和源氏の氏神となり、武家から非常に篤い信仰を受けることになる。その結果、八幡信仰は全国に勧請されていくことになり、源頼義(みなもとのよりよし)は河内源氏の2代目棟梁として壺井八幡宮(つぼいはちまんぐう)を河内国(現在の大阪府)に建立し、源頼朝(みなもとのよりとも)は鎌倉幕府の擁立に合わせて鶴岡八幡宮を建立するなど、その信仰地域の拡大に大きく寄与している。
このように八幡神社は武家からの信仰が篤く、武家が遠征や討伐に赴いた際にその必勝祈願や勝利感謝に応じて八幡神を勧請して祀ることが多いため、その信仰エリアもかなりの広範囲に及んでいる。

中でも、源義家(みなもとのよしいえ)は、別名、八幡太郎(はちまんたろう)と呼ばれ、奥州の豪族・安倍氏討伐において、数多くの八幡神社を関東から東北圏内に勧請している。
仲哀天皇9年
(201年)
筑紫の国
(福岡県)
神功皇后が、筑紫の宇美町で応神天皇を出産する。

欽明天皇32年
(571年)
宇佐の地
(大分県)
宇佐の地に八幡神が、鍛冶翁(かじおう)として降臨する。そして、大神比義(おおがのひき)という者が、この神を祀り、五穀を断ち三年の祈念をすると、神は三才の小児に姿を変え、自らを応神天皇と託宣する(八幡神と応神天皇の習合化)。

神亀元年
(724年)
金富神社
(福岡県)
宇佐神宮を造営するにあたり、現在の福岡県築上郡築上町で、斧立神事 が行われる。そして、仲哀天皇・応神天皇・神功皇后の3柱の神々を勧請し、矢幡八幡宮が創建される(宇佐神宮の元宮とされる説より)。
※現在は、金富神社(きんとみじんじゃ)と改称している。

神亀2年
(725年)
宇佐神宮
(大分県)
聖武天皇(しょうむてんのう)の勅願(ちょくがん)により、この地に一之殿が建立され、八幡神を奉祀し、宇佐神宮を創建する。

神亀3年
(726年)
大分八幡宮
(福岡県)
福岡県飯塚市大分の地は、神功皇后が三韓征伐の帰途、一時逗留した地であると伝えられ、この地に、大分八幡宮(だいぶはちまんぐう)が創建される。

天平勝宝元年
(749年)
宇佐神宮
(大分県)
宇佐の巫女に、「奈良の大仏造りに力を貸したい」との神託が下る。そして、宇佐八幡神は天皇と同じ金銅の鳳凰をつけた輿に乗って入京し、これを助けたとし、これは、大仏建立を進める聖武天皇の大いなる後ろ盾になったとされる(八幡神社の神仏習合化)。

同年 手向山八幡宮
(奈良県)
東大寺、並びに大仏建立を手助けした八幡神は、そのまま東大寺の守護神として、手向山八幡宮を建立する(八幡宮の分社第一号)。

貞観元年
(859年)
石清水八幡宮
(京都府)
空海(弘法大師)の弟子であった南都大安寺の僧、行教(ぎょうきょう)が宇佐神宮に参詣した折に、「私を都に近い男山の峯に移し祀れば、国家を守護しよう」との神託を受ける。これを受け、嵯峨天皇の離宮跡に赴いたところ、霊光を見て、掘ってみると岩間から湧き水が出たため、その地に、石清水八幡宮を創建する→京都南西の裏鬼門を守護→清和源氏の氏神となる。

延長元年
(923年)
筥崎宮
(福岡県)
八幡神の御神託があり、醍醐天皇の神勅によって、応神天皇の出生地とされる福岡県の箱崎に、大分八幡宮より遷座し筥崎宮を創建したとされる。

康平6年
(1063年)
由比若宮
(神奈川県)
石清水八幡宮で元服し、八幡太郎義家を名乗っていた源頼義は、その子、源義家と、前九年の役(1051年〜1062年)に参加していた。彼らは、事前に、石清水八幡宮で戦勝祈願を祈念しており、無事、戦に勝利した彼らは、その御礼として、由比郷に、石清水八幡宮からのご分霊を勧請し、由比若宮を創建したとされる。

康平7年
(1064年)
壺井八幡宮
(大阪府)
源頼義は、その後も八幡神社を信奉し、河内源氏(清和源氏の一派)の氏神として、石清水神社からご分霊を勧請し、河内国(現在の大阪)に、壺井八幡宮を創建する。

建久2年
(1191年)
鶴岡八幡宮
(神奈川県)
創建した年に、小林郷北山へ由比若宮を遷座するが、社殿が焼失してしまい、改めて、石清水八幡宮よりご分霊を勧請し、鶴岡八幡宮を創建する。

嘉禄3年
(1227年)
富岡八幡宮
(神奈川県)
当初、当地には、源頼朝が摂津国(大阪府)の難波より勧請した蛭子神を祀っていたが、嘉禄3年(1227年)に、鶴岡八幡宮からもご分霊を勧請し、富岡八幡宮として創建された(富岡八幡宮は、鎌倉幕府の鬼門の守護を司った)。

応長元年
(1311年)
富岡八幡宮
(神奈川県)
横浜の金沢一帯に、大津波が襲い、一帯の集落はことごとく水没してしまう。この時、富岡八幡宮の小山が津波の行く手を阻み、周辺は水没を免れるという奇跡を起こす。以降、富岡八幡宮は、「波除八幡」とも呼ばれるようになる。

建久2年
(1479年)
市谷亀岡八幡宮
(東京都)
鶴岡八幡宮に対し、亀岡と称して、太田道灌が、江戸城西方の守護神といして、鶴岡八幡宮よりご分霊を勧請し、亀岡八幡宮を創建する。

寛永4年
(1627年)
富岡八幡宮
(東京都)
当時、永代島と呼ばれていた江東区富岡に、横浜区金沢の富岡八幡宮の分社が創建される。

主な八幡神社
  三大八幡(事実上4社)
■ 宇佐神宮/宇佐八幡宮(うさじんぐう):[住所]大分県宇佐市南宇佐2859
・[御祭神]誉田別命・神功皇后・比売大神
・(式内社・勅祭社)言わずと知れた八幡信仰の中心地!八幡系列社の総本宮
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■ 石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう):[住所]京都府八幡市八幡高坊30
・[御祭神]誉田別命・神功皇后・比売大神
・(勅祭社)国家第二の宗廟とも伝えられる清和源氏の氏神さま
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■ 筥崎宮(はこざきぐう):[住所]福岡県福岡市東区箱崎1-22-1
・[御祭神]誉田別命・神功皇后・玉依姫尊
・(式内社)応神天皇の出生地とも伝えられる敵国降伏祈願をもたらした必勝祈願の社
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■ 鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう):[住所]神奈川県鎌倉市雪ノ下2-1-31
・(相模国一宮)東日本における八幡信仰の中心地
・[御祭神]誉田別命・神功皇后・比売大神
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  九州五所八幡宮
■藤崎八幡宮(ふじさきはちまんぐう):[住所]熊本県熊本市井川淵町3-1
・(肥後国三宮) 京都の石清水八幡宮より勧請した熊本の総鎮守!
・[御祭神]誉田別命・(相)神功皇后・(相)住吉三神
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■ 大分八幡宮(だいぶはちまんぐう):[住所]福岡県飯塚市大分1272
・[御祭神]誉田別命・神功皇后・玉依姫尊
・(郷社)筥崎宮の元宮とも伝えられる神功皇后の逗留地!
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■ 千栗八幡宮(ちくりはちまんぐう):[住所]佐賀県みやき町大字白壁2415
・[御祭神]誉田別命・神功皇后・仲哀天皇
・(肥前国一宮)壬生春成の霊夢によって創建された古社!
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■ 鹿児島神宮(かごしまじんぐう):[住所]鹿児島県霧島市隼人町内2496
・[御祭神]彦火火出見尊・豊玉毘売神・誉田別命・神功皇后・仲哀天皇・仲姫命
・(式内社・大隅国一宮)宇佐神宮と本家争いを繰り広げたこともある由緒格式ある古社!
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■ 新田神社(にったじんじゃ):[住所]鹿児島県薩摩川内市宮内町1935-2
・[御祭神]瓊々杵尊・天照大神・天忍穂耳命
・(薩摩国一宮)江戸時代までは応神天皇や神功皇后、武内宿禰を祀り新田八幡宮と呼ばれていた!
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  その他全国各地の八幡神社西日本篇(一部)
■ 手向山八幡宮(たむけやまはちまんぐう):[住所]奈良県奈良市雑司町434
・[御祭神]誉田別命・神功皇后・比売大神・仲哀天皇・仁徳天皇
・(旧県社)八幡神社分社第一号!
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■ 宇美八幡宮(うみはちまんぐう): [住所]福岡県糟屋郡宇美町宇美1-1-1
・[御祭神]誉田別命・神功皇后・玉依姫尊・住吉三神
・(旧県社)神功皇后が三韓征伐からの帰途に応神天皇を産んだとされる地!
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■ 柞原八幡宮(ゆすはらはちまんぐう): [住所]大分県大分市大字八幡987
・[御祭神]誉田別命・神功皇后・仲哀天皇
・(豊後国一宮)延暦寺の僧、金亀和尚の神託に基づき建立した古社!
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■遠石八幡宮(といしはちまんぐう): [住所]山口県周南市遠石2-3-1
・[御祭神]誉田別命・神功皇后・宗像三女神
・(県社)宇佐大神の神託に導かれ、四大八幡の一つとも称される古社!
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■亀山八幡宮(かめやまはちまんぐう): [住所]山口県下関市中之町1-1
・[御祭神]誉田別命・神功皇后・仲哀天皇
・(県社)石清水八幡宮を創建した空海の弟子、行教の神託に基づき建立された古社!
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■福山八幡宮(ふくやまはちまんぐう): [住所]広島県福山市北吉津町1-2-16
・[御祭神]誉田別命・神功皇后・比売大神
・(県社)広島を代表する八幡宮の一つ!
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■ 離宮八幡宮(りきゅうはちまんぐう): [住所]京都府乙訓郡大山崎町大山崎西谷21-1
・[御祭神]誉田別命・神功皇后・比売大神・酒解大神
・(府社)石清水八幡宮の元社にあたり製油発祥地とも知られる古社!
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  江戸八所八幡宮
■富岡八幡宮(とみおかはちまんぐう): [住所]東京都江東区富岡 1-20-3
・[御祭神]誉田別命
・(府社)東京を守護する東京十社がひとつ!
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■市谷亀岡八幡宮(いちがやかめおかはちまんぐう): [住所]東京都新宿区市谷八幡町15
・[御祭神]誉田別命・神功皇后・與登比売神
・(郷社)太田道灌が江戸城の西方守護を目的に建立した古社!
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■穴八幡宮(あなはちまんぐう): [住所]東京都新宿区西早稲田2-1-11
・[御祭神]誉田別命・神功皇后・仲哀天皇
・(村社)源義家が建立、金運招福のご利益で有名な古社!
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■ 金王八幡宮(こんのうちまんぐう): [住所]東京都渋谷区渋谷3-5-12
・[御祭神]誉田別命
・渋谷区内最古の木造建築を伝える旧渋谷城の守護神!
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■ 鳩森八幡神社(はともりはちまんじんじゃ): [住所]東京都渋谷区千駄ヶ谷1-1-24
・[御祭神]誉田別命・神功皇后
・1000年以上の歴史を継ぐ千駄ヶ谷の総鎮守!
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■大宮八幡宮(おおみやはちまんぐう): [住所]東京都杉並区大宮2-3-1
・[御祭神]誉田別命・神功皇后・仲哀天皇
・「多摩の大宮」とも呼ばれる武蔵国三大宮がひとつ!
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■ 西久保八幡神社(にしくぼはちまんじんじゃ): [住所]東京都港区虎ノ門5-10-14
・[御祭神]誉田別命・神功皇后・仲哀天皇
・源頼信によって創建された古社!
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■ 御田八幡神社(みたはちまんじんじゃ): [住所]東京都港区三田3-7-16
・[御祭神]誉田別命・天児屋根命・武内宿禰命
・(式内社・郷社)嵯峨源氏渡辺一党の氏神さま!
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  その他全国各地の八幡神社東日本篇(一部)
■ 浜松八幡宮(はままつはちまんぐう): [住所]静岡県浜松市中区八幡町2
・[御祭神]誉田別命・神功皇后・玉依姫尊・(相)伊弉諾尊・(相)伊弉冉尊
・(式内社・郷社)浜松の地名の由来を伝える古社!!
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■ 事任八幡宮(ことのままはちまんぐう): [住所]静岡県掛川市八坂642
・[御祭神]己等乃麻知媛命・(相)誉田別命・(相)神功皇后・(相)玉依姫尊
・(式内社・遠江国一宮・県社)ことのままに願いが叶う神社と称されてきた古社!!
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■代々木八幡宮(よよぎはちまんぐう): [住所]東京都渋谷区代々木5-1-1
・[御祭神]誉田別命
・(村社) 鎌倉時代より続く古社!
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■ 水戸八幡宮(みとはちまんぐう): [住所]茨城県水戸市八幡町8-54
・[御祭神]誉田別命・神功皇后・比売大神
・(県社) 水戸城主19代目佐竹義宣の創建!
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■大崎八幡宮(おおさきはちまんぐう): [住所]宮城県仙台市青葉区八幡4-6-1
・[御祭神]誉田別命・神功皇后・仲哀天皇
・(村社) 坂上田村麻呂が創建されし古社!
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■ 寒河江八幡宮(さがえはちまんぐう): [住所]山形県寒河江市八幡町5-7
・[御祭神]誉田別命・大山祇神
・(県社) 源義家が創建されし古社!
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■ 盛岡八幡宮(もりおかはちまんぐう): [住所]岩手県盛岡市八幡町13-1
・[御祭神]誉田別命・白山姫命
・(県社) 源頼義が安倍氏撃滅を祈願して創建された古社!
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