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基礎情報
総本社 日吉大社(山王権現)
=目次(INDEX)=
基本情報
主祭神
その他神さま
ご利益
歴史
代表的な日枝神社
所在地(〒520-0113)滋賀県大津市坂本5-1-1
神使猿(サル)
同系神社松尾大社(京都府)
系列社日枝神社、日吉神社、山王神社 他
備考
日吉大社の系列社は、全国に3,800社ほどあるとされる。
登録状況現在、225社(令和2年3月11日現在)→全国の山王系列神社はこちら
主祭神

大山咋神(オオヤマクイノカミ)

[別名]山末之大主神(ヤマスエノオオヌシ)
[仏教名]山王権現(サンノウゴンゲン)

大山咋神は、素戔男尊(スサノオノミコト)の御子神にあたる大年神(オオトシガミ)と天知迦流美豆比売(アメノチカルヅヒメ)との間の御子神となる。つまり、スサノオの孫神にあたり、「古事記」では、「大山咋神、亦名は山末之大主神、此の神は近淡海の日枝山に坐す。亦、葛野の松尾に坐す鳴鏑に成りませる神なり」とある(この日枝山とは比叡山のこと)。ただし、大山咋神はどちらも日枝神社と松尾神社に関わる言われを残しており、それが大山咋神が祀られる根拠となっているが、元々は、土着の山岳信仰と大山咋神が習合したことが始まりと見られている。

ご神名の意味は、「咋(クイ)」が、「杭(クイ)」を表すとされ、「山の所有」を表すとされる。そのため、いわゆる「山の神」としながらも、大山祇神(オオヤマツミノカミ)と異なるのは、大山祇神は山の総元締めとして、すべての山を司るのに対し、大山咋神の神は個別の山に用いられるという違いがある。

例えば、同じ神様を祀る松尾大社は「松尾山の磐座での祭祀」に始まるとされ、その対象は「松尾山」となる。山王系の場合は、当然のことながら、「日枝山(ひえのやま)」、すなわち比叡山を意味し、比叡山の守護神という役割も担っている。しかし、これは仏教流入以降の話であり、元々は、比叡山の東方に位置する牛尾山(八王子山)への山岳信仰に由来するとされる。しかし、八王子山信仰はその後、この天台宗・山王神道と習合することで、八王子権現(はちおうじごんげん)として、この日吉山王権現並びに牛頭天王の眷属として8人の王子を祀り、現在、全国各地で八王子神社という別系統の神社を形成している。このため、大山咋神は、比叡山の延暦寺を始めとした仏教の本山的な意味合いを強めるに従い、仏教、とりわけ天台宗の守護神とされ、その関係から江戸城、皇居の守護神と転じて行った。また、東京の山王日枝神社は、徳川家の氏神となった経緯もある。

その他神さま
山王系列社の総本社である日吉大社は東本宮と西本宮の二つより構成され、東本宮に祀られているのが大山咋神になるのだが、西本宮には、大己貴命(オオナムチ)が祀られている。実は、大己貴命は後から大津京鎮護のために大神神社より勧請されたというが、大神神社は厳密には大己貴命ではなく、その和魂(にぎたま)とされる大物主神(オオモノヌシノカミ)を主祭神としているため、なぜ、大己貴命なのかという理由はよく分からない。ただし、勧請されて以降は大山咋神の上位とされ、現在では、二大祭神として、東と西のお宮にそれぞれ祀られている。このため、各地で勧請された山王系列社の中には、稀に、主祭神に大山咋神ではなく、大己貴命を勧請しているケースもあるため、その点は多少の注意が必要となる。

1.大己貴命(オオナムチノミコト)

[別称1]大国主神(おおくにぬしのかみ)
[別称2]大穴牟遅神・大穴持命(オオアナモチ)
[別称3]八千矛神(ヤチホコノカミ)ほか

大己貴命は、言わずと知れた大国主命(オオクニヌシノミコト)の若かりし頃の呼び名で、大国主命と全く同じ御神徳をもった神と考えてもよいだろう。基本、大己貴命は、出雲の国作りを通して、国の基盤を作り上げた神として有名で、そのため、「殖産振興」や「国家安寧」の神として名高い。また、非常多くの神々とのご縁を取り持ったことから、「良縁祈願」、いわゆる「縁結び」の神さまとして広く一般的に知られる。また、「因幡の白兎」の話は、日本の話で初めて医療的行為が行われた話としても有名で、国づくりの際、スクナビコナとともに、国民の健康のために温泉を開いたという逸話も含めて、「病気平癒」の神さまとしても非常に有名な神さまと言える。そういう意味では、非常にマルチな才能を見せる神さまとして非常に多くの信仰を集めている。ちなみに、その意味は、通常、「大地を司る神」とされ、代表的な国津神のひとつとされる。
ご利益
家内安全大山咋神は、地勢学的な場所に対する守護神的な役割が強く、また、その名が「山に杭を打つイメージ」から、その地の所有権、転じて、地主神などと言われている。そのため、大山咋神には大事な場を守る働きがあり、家庭や家族を守るという意味でも、「内安全」にご神徳があるとされている。

殖産振興元々、大山咋神は、地方の自然神との融合の中から発せられた神であり、松尾大社では、大山咋神が、川を作り、湖水を海に流したおかげて、水が干上がり、農業に適した土壌を生んだという話もある。このため、大山咋神は丹波の国の産業(農業)の振興を成し遂げたという意味も込め、山の神の性質のみならず、水の神や農業の神、そして、開拓の神の意味もあるとされ「殖産振興」にも強い御神威があるとも言われる。これは出雲の国づくりを達成した大己貴命も同様。

※ご利益に関しては、あくまで参考程度にお考え下さい。
歴史
元々は、地方神との習合から発展した山王系列社もその初期段階で、2カ所で発生したことから、同じ大山咋神を信仰するも日枝神社と松尾大社では、その動きがまったく異なる。山王系列社の場合、日吉大社が仏教との習合という、仏教の強い後ろ盾を得ることによって、時代における重要なポストを担うことができたことがその最大の特徴となっている。しかし、松尾大社は、京都の秦氏の氏神として奉斎されたことが大きく、賀茂神社と肩を並べる存在として、その存在は京の都を中心にその存在価値を高めている。また、酒造の神さまとしてもよく知られ、酒造の守り神として流布していることが多いことからも、山王系列の神社とはご祭神を同じくしながらも、その広がり方・規模はまったくと言っていいほど違う。山王系列神社拡大の主なポイントは、次の通り。
(1)地方神から都の守護神への転身
元々は、八王子山(牛尾山)の磐座(いわくら)に始まり、いち地方神に過ぎなかったが、平安京の遷都によって、比叡山が、その鬼門の位置につき、必然的にその守護の役割を担うようになった。
(2)仏教の守護神
仏教の伝来に伴い、比叡山に延暦寺が建立され、比叡山がその仏教的総本山の色合いを強めるに従って、日吉大社の地主神の性質が、京の守護、比叡山の守護のみならず、延暦寺の守護、とりわけ、天台宗の守護として迎え入れられるようになっていった。そして、仏教、とりわけ、天台宗が全国に伝搬するに従い、日枝神社も全国各地にその守護神として勧請されていった。
このように、日枝神社のあるところには、仏教の寺院が隣接しているケースが多く、日枝神社周辺には、よく、地域の要所、仏教寺院などが確認されることがある。これは日吉大社が延暦寺の守護を務めたのと同様、寺院の守護神としてその役割を務めたことが多いと推察される。ぜひ、近くの日枝神社でも地理的状況を確認してみると面白いかもしれない。
日枝神社拡大年表
崇神天皇7年
(668年)
日吉大社
(滋賀県)
現在の八王子山(牛尾山)の山頂に祀られていた磐座(いわくら)を軸に、2社の奥宮(牛尾神社・三宮神社)があり、東本宮がその牛尾神社の里宮として建立される。

天智天皇7年
(711年)
日吉大社
(滋賀県)
天智天皇が営んだ大津京(近江宮)を鎮護するため、大神神社より、大己貴神の御分霊を勧請し、奉祀するようになる。

延暦7年
(788年)
日吉大社
(滋賀県)
最澄が、比叡山に延暦寺を建立する。これにより比叡山の地主神として崇敬されていた日吉大社は、天台宗並びに、延暦寺の守護神として崇敬されるようになる。また、この頃から中国の天台宗本山、天台山の国清寺で祀られていた山王元弼真君(さんのうげんひつしんくん)にならい、山王権現(さんのうごんげん)と呼ばれるようになる。そして、天台宗の拡大に応じて、日吉社、日枝社が各地に勧請されるようになる。

延暦13年
(794年)
日吉大社
(滋賀県)
京が平安京に遷都するのを機に、比叡山の位置が、京の鬼門に位置することから、日吉大社は、鬼門除けの社として、中央からも崇敬されるようになり、日吉大社の属性が、単なる地方神から中央の守護神へと変化する。

延暦20年
(802年)
平岡野神社
(石川県)
天台第4氏の座主、泰範上人(たいはんしょうにん)が勅命により北辺の鎮護として大津市坂本の山王権現(日吉大社)よりご分霊を勧請する。

天長7年
(830年)
仙波日枝神社
(埼玉県)
第53代淳和天皇(じゅんなてんのう)の勅命により、天台宗の僧侶、円仁(えんじん)が、現在の埼玉県川越市の場所に、無量寿寺(後の喜多院)を創建する。そして、その創建の際、喜多院の鎮守として、日吉大社からご分霊を勧請し、仙波日枝神社を建立する。

永治元年
(1141年)
日枝神社
(岐阜県)
飛騨国(現在の岐阜県高山市)国司で、三仏寺城城主であった平時輔が、狩りの最中に一匹の老狼を見つける。これを射ようと矢を放ったところ、狼の姿は見えず、矢が大杉に刺さっていたことから、これを大山咋神の神徳として、老狼を救われたとして、日吉大社よりその御分霊を勧請し、ここに日枝神社を創建する。

永暦元年
(1160年)
新日吉神宮
(京都府)
後白河上皇の命により、院の御所(法住寺殿)の鎮守社として、比叡山東坂本の日吉山王七社(日吉大社)より御分霊が勧請される。

養和元年
(1181年)
日枝神社
(岐阜県)
源義仲により三仏寺城は落城し、日枝神社も焼失してしまう。

文明10年
(1478年)
山王日枝神社
(東京都)
太田道灌が江戸城を築くにあたり、川越の仙波日枝神社よりご分霊を勧請し、山王日枝神社を建立する。

元亀2年
(1571年)
日吉大社
(滋賀県)
織田信長が、比叡山領を横領したことを機に対立し、信長による焼き討ちが行われ、日吉大社も焼失の憂き目にあう。その後、豊臣秀吉の尽力により、当社も再興を果たす。

天正18年
(1590年)
山王日枝神社
(東京都)
徳川家康公が江戸に移り、江戸城を居城とすると、山王日枝神社(永田町)をその守護神として、また、徳川の氏神として篤く奉祀する。また、中央区の日本橋日枝神社は、この山王日枝神社の境外摂社となり、元々、神輿の巡幸における御旅所(おたびしょ:休憩所のようなもの)だったことに始まり、この頃より日本橋日枝神社として祀られるようになった。

慶長10年
(1605年)
日枝神社
(岐阜県)
現在の岐阜県高山市に高山城が築城され、金森長近がその城主として入城した際に、日枝神社をその高山城の守護神とするため、以前、三仏寺城は落城に伴い、焼失してしまった日枝神社を復興し、現在地に遷座させる。

承応3年
(1654年)
山王稲穂神社
(東京都)
山王日枝神社より御分霊を勧請し、山王稲穂神社が建立される。

寛文13年
(1673年)
日枝神社
(神奈川県)
吉田勘兵衛という材木商が、幕府から許可をもらい、吉田新田(よしだしんでん)と呼ばれる横浜発展の基礎を築いたとされる埋め立て地を作り上げていた。その完成における苦労は計り知れず、その完成を神仏の功徳とし、日枝神社を山王日枝神社(永田町)よりご分霊を勧請して創建した。

明治元年
(1868年)
山王日枝神社
(東京都)
山王日枝神社(永田町)が、准勅祭社に指定される。

大正元年
(1912年)
山王日枝神社
(東京都)
山王日枝神社(永田町)が、官幣大社に昇格し、皇居の守護神として正式に認められる。

このように、日枝神社は、何らかしたの守護の使命をもって祀られることが多いため、その社あるところに何らかしらの意義をみることが出来る非常に興味深い神社と言える。
代表的な山王系列社
■ 日吉大社(ひよしたいしゃ)/総本社
[所在地]滋賀県大津市坂本5-1-1
[主祭神]大山咋神・大己貴命
・山王系列社の総本社!
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■ 山王日枝神社(さんのうひえじんじゃ)
[所在地]東京都千代田区永田町2-10-5
[主祭神]大山咋神・国常立神・伊弉冉神・足仲彦尊
・永田町に鎮座する江戸の守護社の一つ!
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■ 日枝神社(ひえじんじゃ)
[所在地]富山県富山市山王町4-12
[主祭神]大山咋神・大己貴命
・富山県の県社・「さんのさんのまつり」は富山最大の祭りとして賑わう!
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■ 日枝神社(ひえじんじゃ)
[所在地]岐阜県高山市城山156
[主祭神]大山咋神
・岐阜県の県社・例祭の山王祭りは櫻山八幡宮の例祭とともに高山祭として有名!
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■ 不乗森神社(のらずのもりじんじゃ)
[所在地]愛知県安城市里町森38
[主祭神]大山咋神
・愛知県神社庁が指定する五等級社とされる日枝神社!
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■ 日枝神社(ひえじんじゃ)
[所在地]静岡県伊豆市修善寺826
[主祭神]大山咋神
・修善寺の鎮守として弘法大師により創建された日枝神社!
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■ 山王神社(さんのうじんじゃ)
[所在地]京都府京都市右京区山ノ内宮脇町5
[主祭神]大山咋神・玉依姫尊・大己貴命
・最澄の母・妙徳夫人の生地とも言われ、普賢寺の鎮守社となった神社!
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■ 新日吉神宮(いまひえじんぐう)
[所在地]京都府京都市東山区妙法院前側町451-1
[主祭神]日吉山王七神
・京都府の府社であり、院の御所(法住寺殿)の鎮守社とされる神社!
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