神代
| | 鹿島 (茨城県) | | 建御雷大神が、国譲りのため、葦原中国に降臨し、その交渉に尽力。成功に終えると、東遷し、各地の平定と開拓に注力したという。そして、東路(あづまじ)の果てに至り、この鹿島の地に留まり、利根川をはさんで、西方の香取を臨みながら、鎮まられたとする。また、この時、天羽槌雄神を派遣し、東国を支配していた天津甕星(アマツミカボシ) を誅したとされる。 |
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神武天皇御代 (紀元前660年) | | 鹿島神宮 (茨城県) | | 天種子命(アマノタネコ)を鹿島に遣わし、建御雷大神を祀る(鹿島神宮の創建)。この天種子命こそ、中臣氏の祖先とされ、後の鎌足公の鹿島出身論の根拠となる。 |
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慶雲4年 (707年) | | 豊鹿嶋神社 (東京都) | | 武蔵国に、鬼神が来たとされ、その鬼神を常陸峯にて鎮めて、天智天皇第四の姫宮及び蘇我山田石川麿が、鹿島神宮よりご分霊を勧請したと伝えられる。 |
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和銅3年 (710年) | | 春日大社 (奈良県) | | 藤原不比等が、藤原氏の氏神として、鹿島神のご分霊を、春日の御蓋山(みかさやま)に勧請し、奉祀したと伝えられるが、あくまで伝承上によるものとなる。 |
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奈良時代未明 (ーーー年) | | 鹿骨鹿島神社 (東京都) | | 鹿島大神が、春日へのご分霊の際、多くの鹿が、神鹿として、一年もの歳月をかけて、遷座される。そして、その神使とされる神鹿が病に伏し、当地で亡くなられたとされる。そして、それを里人が丁重に弔い、結果、鹿骨(ししぼね)鹿島神社が創建されたとする。因に、同地域にある鹿見塚神社 も、同様の起源によるものとされる。 |
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神護景雲2年 (768年) | | 春日大社 (奈良県) | | 社伝上では、春日大社が創建されたのが、この年となり、藤原永手(ふじわらのながて)が、鹿島大神と香取大神のご分霊を勧請し、枚岡神社より天児屋根命(アメノコヤネ)と比売神(ヒメノカミ)の御分霊を勧請し、春日大神として、御蓋山の麓に奉祀したとされる。 |
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延暦14年 (795年) | | 鹿島神社 (宮城県) | | 坂上田村麿が東征の為、陸奥国下向の節常陸国の鹿島神宮のご分霊を勧請したという。 |
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延暦21年 (802年) | | 鹿島神宮 (茨城県) | | 蝦夷の軍事的指導者、悪路王が、坂上田村麻呂(サカノウエタムラマロ)によって、討ち取られる。その後、凱旋の途中で、鹿島神宮に立ち寄り、悪路王の首を鹿島神宮に納めたとされる。 |
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延暦23年 (804年) | | 志賀理和氣神社 (岩手県) | | 坂上田村麻呂が東夷征討拠点として志波城築城の折、東北開拓の守護神である鹿島、香取の二柱の神々を当地の鎮守として勧請して祀る。 |
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代表的な鹿島神社
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| | ■ 鹿島神宮(かしまじんぐう)/総本社 ・[住所]茨城県鹿嶋市宮中2306-1 ・[御祭神]建御雷大神 ・常陸国一宮にて式内社の名神大社・鹿島系列社の総本宮 ・鹿島神宮のページへ |
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| | ■ 豊鹿島神社(とよかしまじんじゃ) ・[住所]東京都東大和市芋窪1-2067 ・[御祭神]建御雷大神 ・本殿は東京都最古と言われる鬼神を鎮めた末に迎えられた鹿島神社 ・豊鹿島神社のページへ |
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| | ■ 鹿島御児神社(かしまみこじんじゃ) ・[住所]宮城県石巻市日和が丘2-1-10 ・[御祭神]建御雷大神・鹿島天足別命 ・建御雷大神の御子神も祀る「石巻」の地名の由来にも関わる鹿島神社 ・鹿島御児神社のページへ |
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| | ■ 鹿島神社(かしまじんじゃ) ・[住所]宮城県加美郡加美町四日市場屋敷7 ・[御祭神]建御雷大神・天照大神・宇迦之御魂神・品陀和氣命 ・「おものめ様で有名な良縁祈願の伝承を伝える鹿島神社 ・鹿島神社のページへ |
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